Waseda Weekly早稲田ウィークリー

中島×八木元主将対談 早稲田が再び箱根駅伝で勝つために必要なこと

世界に近づいた、マラソン日本新・大迫傑

10月の出雲駅伝が10位、11月の全日本大学駅伝は15位と、今季低迷が続く早稲田大学競走部が、箱根駅伝(第95回東京箱根間往復大学駅伝競走)で勝つためには何が必要なのか。2011年の箱根駅伝で総合優勝を達成したメンバーで、共に“主将”という立場を経験した中島賢士さん(2011年スポーツ科学部卒。九電工社員)と現役マラソン選手の八木勇樹さん(2012年同学部卒)の二人による対談。

後編では、共に2011年の箱根駅伝総合優勝を達成した元チームメイトであり、2018年10月にマラソンの日本新記録を樹立した大迫傑選手(2014年同学部卒)の心構え、芯の強さなどをひもときながら、早稲田が再び箱根路で輝くために必要なことについて語りました。

中島さんは今、陸上とはどのように関わっていますか?

中島
大学を卒業してから3年間、九電工で走らせていただいて現役を引退し、今は東京本社で事務職をしています。走ることとの接点といえば、ニューイヤー駅伝や女子駅伝の応援や裏方スタッフとしての関わりくらいですね。指導者になりたいという思いがないといったらうそにはなります。ただ、それはタイミングの問題もありますので。でも、自分のやりたいことの一つではあります。
八木
今の中島さんの体を見たら「あ、中島さんまだ走ってるな」っていうのはないですよね(笑)。
中島
ないね(笑)。だいぶ渡辺康幸さんに近づくことができたかなと(笑)。

走ることから少し距離を置いた環境で、今の陸上長距離界をどのように見ていますか?

中島
やはり設楽君(悠太、2014年東洋大学卒、Honda所属)が2018年2月にマラソン日本記録を16年ぶりに更新して、10月に大迫(傑、ナイキ・オレゴン・プロジェクト所属)がまた更新(※写真#1)して、日本のマラソン界の止まっていた針が動き出したという感じがします。

僕らのころは青学の下田君(裕太、2018年青山学院大学卒、GMOアスリーツ)や早稲田の安井(雄一、2018年スポーツ科学部卒、トヨタ自動車)のように、現役学生がマラソンに挑戦することもあまりなかったので、そういった意味でも新たな時代の流れになっている。昔に比べて海外のトレーニング方法や色んな世界の情報が入ってきていると思うので、確実に世界に近づいている印象を受けます。

【写真#1】大迫傑選手は2018年10月7日に行われた米・シカゴマラソンで、2時間5分50秒の日本新記録を達成し、3位となった。大迫選手が陸上の日本記録を保持するのは3000m、5000mに続いて3種目目。ゴール後、大迫選手は同大会の優勝者で、ナイキ・オレゴン・プロジェクトで共に練習を積むモハメド・ファラー選手(リオデジャネイロ五輪5000m・10000m金メダリスト)と握手してお互いをたたえ合った。

ケニアでケニア人選手と共にトレーニングを積む八木さん(Webサイト『YAGI PROJECT』より)

八木さんは今、どのようなポジションに?

八木
卒業後は旭化成で5年ほど。そこから独立して、自分の競技をやりながら、市民ランナーの方やトップアスリートのサポートができるような環境を整えていきたいと思い、今はさまざまな取り組みをしています。その一つがトレーニング施設「SPORTS SCIENCE LAB」のプロデュースで、代表は早稲田の競走部で同期だった三田裕介(2012年スポーツ科学部卒)が務めています。

他にも、「YAGI RUNNING TEAM」というランニングチームを立ち上げ、ケニアにランナー育成型トレーニングキャンプ「RDC KENYA (Running Development Camp KENYA)」を 設立して、ケニア人チームの指導も始めています。あとは、自分自身が競技で結果を出すというピースをはめにいかないとな、と思っています。

大迫傑選手(中央)も訪れたことがある「SPORTS SCIENCE LAB」。
左が代表の三田祐介さん(2011年の箱根駅伝では7区・区間2位の好走で早稲田の総合優勝に貢献)

ケニアでの指導のきっかけは?

八木
もともとは、自分のトレーニングのためにケニアに渡ったのがきっかけです。アメリカからの情報はよく入ってくるし、現に大迫がアメリカに飛び込んでいる状況で、僕がその後追いをしても仕方がない。そこで考えたときに、マラソンで今、世界で一番速い選手がいるのはケニアだなと。でも、ケニアの情報って何もないんです。世界一の選手を輩出している国がどういったトレーニングをして、どんな生活をしているのかを知りたいと思ったんです。

実際にケニアに行ってみて、気付いたことは?

八木
あらためて彼らの強さを実感した反面、ケニアの陸上界は課題も多い、と感じました。表舞台に出ている一部の選手は活躍して生活も豊かでしょうけど、そうじゃない選手たちが大半なんです。僕よりも走れているランナーが食事も満足に食べられない現状を知って、少しでもそういった環境を改善したいと思ったんです。

また、自分自身の可能性をあらためて感じ取れた部分もありました。もう少し長期的にケニアを拠点にやりたいという思いもあって、ケニアに家も用意しているところです。ケニアでしっかりとトレーニングを積んで、皆さんの前で「八木、強くなったな」という走りができるように鍛えていかないと! と思っています。

そういう八木さんの取り組みを中島さんはどう見ていますか?

中島
もともと好奇心が旺盛でしたけど、あらためてよくやっているなと思います。大迫にしてもそうですけど、実業団を辞めて、もう退路がないわけじゃないですか。そういった面での覚悟ですよね。なんのバックアップも保証もない中で、自力でやっていくっていうのは勇気の要ること。それできちんとやれているのはすごいと思います。
マラソンで結果を出し始めた箱根駅伝ランナー

ここまで何度も話題に出ている大迫選手ですが、1年生で入ってきたときの印象は?

八木
相当な負けず嫌い(笑)。こだわりが強かったですし、駅伝には興味がない、という自分の意志を伝えられる芯の強さもありました。試合に負けたときの悔しがり方も含め、競技者としての強さを感じていましたし、大迫を見て、逆に自分に足りないものを感じたりすることもありましたね。
中島
信念というか、自分がどこを目指したい、こうなりたいというのがはっきりしていました。自分が目指すべきところに向けて不要なものが、大迫にとっては駅伝だったと思うんです。別に箱根を目指しているわけじゃない。それでもチームのことも考えて走ってくれました。
八木
大迫が今の姿になっているのは必然だなと思います。環境を考えてアメリカ(ナイキ・オレゴン・プロジェクト)に行ったのも最善の策。周りの雑念に左右されることなく、きっちりと自分の目標に打ち込めるし、一緒にトレーニングをするのはオリンピックで優勝を狙うレベルの選手ばかり。その中で、「世界で戦えるレベル」という目指すものに向かってステップアップしてきました。日本記録にしても、いずれ確実に更新するだろうな、という感じはありましたよね?
中島
うん。あとはやっぱり、アメリカで同じベクトルの考えを持った指導者に出会えたのが大きいのではないでしょうか。何かのインタビューで見たんですけど、「アメリカにいるから強くなるわけではない。特段、トレーニングは日本と変わるようなことはしていない」と言っていました。誰しも自分の理想像はあるものの、彼の場合はその思いが人一倍強くて、その思いをちゃんと行動に移せている。だから今の大迫があるんだと思います。

最近では、大迫選手に憧れて、「駅伝よりも自分のやりたいことを」と公言する選手もいると聞きます。また、箱根駅伝が日本のマラソンにとって弊害を生んだ、といった意見も一部では耳にしますが、それについてはどのように思いますか?

八木
何かを分析したがっている人がそう言うのかな、と思います。そもそも、箱根駅伝を走りたくなかったら関東の大学に行かなければいいだけの話。自分で選んで大学に進んだのなら、その4年間で目指すもの、やらないといけないことは何かを考えて実行するべきです。大迫はその部分を自分でしっかり考えていたから強いんです。箱根駅伝がマラソンをダメにしたということはないですよ。
中島
そうですね。マラソンにとって害とは特には感じないです。大迫みたいに「自分はトラックで勝負する」という思いがあれば、別に箱根を走らなくてもいいとは思います。ただ、これだけ1年の中でもビッグイベントになっていて、競技レベルに違いはあっても、学生は就職先などの進路を決めるきっかけにもなっています。

それに、マラソン日本新を出した設楽君も大迫も、箱根を走っているわけです。アジア大会で金メダルをとった井上大仁君(2015年山梨学院大学卒、MHPS所属)も箱根を走っています(※写真#2)。基礎を作るという意味では意義がある大会だと思います。やるのは選手なので、選手がどういう思いでやっているかによるのではないでしょうか?

【写真#2】(左)2018年2月の東京マラソンで、設楽悠太選手は2時間6分11秒の16年ぶりの更新となった日本新記録(当時)でゴール/(右)2018年8月のジャカルタ・アジア大会の男子マラソンで、井上大仁選手は2時間18分22秒で優勝した。この種目の日本勢金メダルは1986年ソウル大会の中山竹通氏以来だった。

八木
それと、大迫を目指しているという選手も学生時代の大迫を直接見ていないから、印象だけが一人歩きしてしまっている気がします。「大迫さんは箱根に向けての練習をやっていなかった、トラックに向けてやっていたから自分もそうしよう」と思っても、それが単なるわがままな選択になってしまうこともある。大迫も実はやっていた、という要素は多いですから。

2009年の箱根駅伝で8区を走る中島さん(当時2年)。7区八木さん(当時1年)から襷(たすき)を受け取った中島さんだったが、東洋大の逆転を許して早稲田は悔しい総合2位に(共同)

お二人にとって箱根駅伝はどのような存在でしたか?

八木
僕自身は箱根駅伝を目指してではなく、世界で戦うために単純に力をつけたい、という気持ちで早稲田に入りました。ただ、チームの目標として箱根駅伝優勝がありましたので、そこを通っていきながら自分の目標を目指すというイメージです。だからこそ、箱根をないがしろにはできませんでした。箱根の20kmという距離を経験することで自分自身の力になる、というのも感じていたので、重要なレースの一つという位置付けでしたね。
中島
佐賀県出身の自分にとって、高校までは箱根駅伝を意識する機会は正直言ってあまりありませんでした。でも、1年生のときに4区を走らせてもらって、今までの駅伝やレースで体験したことがないくらい沿道からの声援をいただいたんです。それこそ、終わった後に左耳だけがキーンと耳鳴りがするくらいの。あれには驚きましたね。

特段、箱根を走りたいという思いもなく入学してしまった自分でも、やっぱり3・4年生の箱根に懸ける姿を見ていると、選ばれたからにはちゃんと走らないといけないなと思うようになりました。

それと、1年目は下馬評が低い中でのまさかの総合2位で、次の年は優勝を狙いにいっての2位。もう、打ち上げのときの雰囲気が全然違うんです。そういった経験を重ねて、学年が上がるにつれて、箱根駅伝は僕の中でどんどん大きな存在になっていきました。
早稲田がもう一度強くなるために必要なこと

これから箱根を走る競走部に向けてのメッセージをお願いします。彼らに期待することは?

中島
出雲、全日本と厳しい結果が続いていますけれども、箱根は3・4年生がしっかり走ってくれれば、おのずと結果はついてくると思います。毎年恒例の直前1カ月の集中練習を乗り切れば、本番では走れるはず。先輩たちも僕らもみんなそうでした。

早稲田にはこれまでの歴史があるので、その過去データも生きてきます。まずはインフルエンザや故障などがなく、本番に向けて練習を積んでいってもらえればと。特に、疲れから抵抗力も落ちてくるので、体調管理の意識を強く持ってほしいと思います。

スポーツ科学部3年 新迫 志希(しんさこ・しき)

八木
今年は1年に強い選手が入ってきましたが、反面、新迫志希(スポーツ科学部3年)をはじめ、上の代の選手や本来走らないといけない選手の欠場が続いています。でも、集中練習できっかけと自信さえつけることができれば、まだまだ分かりません。それと、一人一人がそれぞれの区間で流れを変える、というような強い思いを持てる選手が多くならないと、今のチーム状態で戦っていくのは難しいと思います。

一人のエースだけで勝てる時代ではない、と。

八木
僕らの時代だったらエース級と言われていたレベルの選手が、今は各大学の3番手、4番手になるくらい、全体の層が厚くなってきています。つまりそれは、勝つのは並大抵のことではない、ということ。

その中で少しでもいい順位にしていくには、最後の1カ月の集中練習で、ただメニューをこなすだけじゃなく、気持ちの持っていき方を考えることが大事です。個々の能力は高いので、少しでも歯車がかみ合えば、うまく回り出す可能性はあります。

あとは相楽豊監督(2003年人間科学部卒)がしっかり考えていると思います。僕らのときはコーチでしたけど、渡辺監督の参謀としてずっと箱根を見てきた方ですから(※写真#3)。

【写真#3】2011年の箱根駅伝で、相楽監督はコーチとして胴上げされた。

中島さんは相楽監督をどのように見ていますか?

中島
緻密で頭の回転が早い方。選手が自信を無くしているときに、「去年はこうだったよ」と、過去の事例も持ち出して選手のモチベーションを上げたり、不安を取り除くのがすごくうまいんです。

もちろん上級生を中心に、学生が主体となって内からモチベーションを上げて、チームとして同じベクトルに向いていかないといけないんですけど、そのサポートを上手にできる方だと思います。選手は、それをどれだけ信じてやれるか、です。
八木
あとはやはりチームの中でキーマンが誰か、ということ。僕が1年のときは竹澤さん(健介、2009年スポーツ科学部卒)という絶対的な存在がいて、常に緊張感がありました。中島さんのときも大迫みたいに強い信念を持つ選手がいた。それって、優勝するために必要な要素だったという気がしています。

一人一人が気持ちを強く持っていこうとか、自信を持って走ろうとは言っても、それがどういう状態なのか分からないと思うんです。その指標になる選手が出てくると早稲田はもう一度強くなると思います。

総合3位となり、ゴール後に選手同士が抱き合って涙した2018年の箱根駅伝。2019年も選手たちの感動の涙を見せてほしい

最後に、今年の箱根駅伝の展望をお聞きします。青山学院大学の「箱根駅伝5連覇」、史上初となる2度目の「大学駅伝3冠」なるかという点に話題が集まる中、早稲田がその牙城を崩すためには?

八木
駅伝で一番大きく戦況が変わるときというのは、予想だにしない展開になったときに後ろの選手がオーバーペースになってしまって失速する、というのが結構続くんです。だから、まずはレースを荒らさないと。先頭から何秒差で渡せば御の字、とかいう考えでやっていると、気が付いたら初めは30秒差だったのが1分差、2分差と広がっていく。

前半から逃げていかないと箱根で勝つのは厳しい。1・2・3区でほぼ勝敗は決するんじゃないでしょうか。今の早稲田は競ったときに力を発揮する選手の方が多いと思うので、前半から勝負を仕掛けてほしいですね。

スポーツ科学部4年 永山 博基(ながやま・ひろき)

スポーツ科学部3年 太田 智樹(おおた・ともき)

中島
昨年の箱根で往路優勝した東洋大のように、前半から力のある選手をつぎ込んでどこまで離せるか。その間に青学をいかに慌てさせることができるか。

あとは今季、駅伝に出られなかった永山博基(スポーツ科学部4年)や太田智樹(スポーツ科学部3年)といった本来走れる、チームの核となる選手が走ってくれれば。あの二人がいることによって安心するというのもありますから。まずはしっかり体調を戻して、スタートラインに立つことを考えてもらえればと思います。
八木
やっぱり早稲田のOBとしては、早稲田が優勝争いをしているところが見たいんです。だから頑張ってほしいですね。
プロフィール
中島 賢士(なかしま・けんじ)
1988年、佐賀県生まれ。株式会社九電工勤務。2011年早稲田大学スポーツ科学部卒業。早稲田大学競走部2010年度主将。4年連続で箱根駅伝に出場し、最後に出場した2010年度大会では10区走者を務め、総合優勝のゴールテープを切った。卒業後は九電工陸上部に所属。2014年に陸上部を引退し、現在は九電工 東京支社社員。
八木 勇樹(やぎ・ゆうき)
1989年生まれ、兵庫県出身。株式会社OFFICE YAGI代表取締役兼プロランナー。会員制トレーニング施設「SPORTS SCIENCE LAB」プロデューサー。2012年早稲田大学スポーツ科学部卒業。早稲田大学競走部2011年度主将。駅伝3冠、関東インカレ・日本インカレ総合優勝の5冠という史上初の快挙を達成。卒業後は旭化成陸上部に所属。2014年のニューイヤー駅伝では、インターナショナル区間の2区で日本人歴代最高記録を更新。2016年6月に旭化成を退社し、株式会社OFFICE YAGIを設立。「YAGI RUNNING TEAM」を発足し、自身の競技力向上とともに市民ランナーのサポートも行う。
取材・文:オグマ ナオト
2002年、早稲田大学第二文学部卒業。『エキレビ!』『野球太郎』などを中心にスポーツコラムや人物インタビューを寄稿。また、スポーツ番組の構成作家としても活動中。執筆・構成した本に『福島のおきて』『爆笑!感動!スポーツ伝説超百科』『木田優夫のプロ野球選手迷鑑』『高校野球100年を読む』など。近著に『ざっくり甲子園100年100ネタ』『甲子園レジェンドランキング』がある。
Twitter: @oguman1977
撮影:石垣 星児
編集:早稲田ウィークリー編集室
デザイン:原田 康平、PRMO


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