
2025年度の「教えて! わせだ論客」のテーマは「コミュニケーション」。複数の専門家の視点から、コミュニケーションについて考えます。第6回のゲストは、「メディア・コミュニケーション」を専門とする高橋利枝教授(文学学術院)。2000年代からSNSなどのデジタルメディアを研究し、近年はAI(人工知能)活用に関する国際共同研究なども手掛ける高橋教授に、AIと人間のコミュニケーションにおける課題と可能性について伺いました。
AI時代に求められる「コミュニケーション」とは?
変化の激しいAI時代により重要になるのは、人間同士の「対話」や「共感」です。AIを「共同作業のパートナー」としながら、人間は創造的な活動や他者との関係づくりに力を注ぐべきです。
INDEX
▼人間の尊厳と幸福を起点とする「ヒューマン・ファースト・イノベーション」
▼「デジタル・ウェルビーイング」の視点も重要
▼大切なのは自分と社会を創り直す「セルフ・クリエーション」
人間の尊厳と幸福を起点とする「ヒューマン・ファースト・イノベーション」
高橋先生の専門である「メディア・コミュニケーション」とは、どのような研究分野なのでしょう?
テクノロジーが人間の行動や思考、社会のあり方をどのように形づくるかを探る学際的な研究分野です。メディアと同じ語源の「メディエイト(mediate)」が「媒介する」を意味するように、人類のコミュニケーション手段の歴史的変遷を調べる分野ともいえます。紀元前の壁画、のろしから始まり、伝書バトの時代を経て、活版印刷、電話、テレビ、インターネット、そしてSNSへとメディア環境は大きく変化してきました。そして今、ChatGPTに代表される生成AIが登場して、さらに新たな時代に入ったと思っています。
私は、人々がどのように情報を受け取り、他者とつながり、自分自身を形成していくのかを、日本・欧米・アジアで長年フィールドワークを行いながら研究してきました。AIが人間の創造性や意思決定に直接関わるようになった今こそ、人間性と技術を往還しながら理解する視点が重要だと考えています。

左から、高橋先生の著書『デジタルウィズダムの時代へ』(新曜社)、国連開発計画が発行した『Human Development Report 2025』(UNDP<国連開発計画>)
先生のAI研究のキーワードである「ヒューマン・ファースト・イノベーション」とは?
「ヒューマン・ファースト・イノベーション」は、私がAIに関する国際共同研究などを通して提唱している概念です。ここには、「ヒューマン・ファースト」、「クロスディシプリン」、「セルフ・クリエーション(自己創造)」という三つの柱があります。
一つ目の「ヒューマン・ファースト」とは、技術主導ではなく、人間の尊厳と幸福を起点にAIを活用しようという考え方。世界が密接につながる今こそ、個人や一国の利益ではなく、「人類全体のための技術」という視点が不可欠です。
二つ目の「クロスディシプリン」とは、文系・理系の垣根を越えて協働し、文化や価値観の違いも踏まえてAI社会をデザインする姿勢です。技術だけでは解決できない問題に、人文・社会科学の知見がますます求められています。
三つ目の「セルフ・クリエーション」とは、AIが働き方や社会構造を大きく変える時代に、経験を通じて自分と社会を創り直し続ける力のことです。若者とメディアに関する20年以上のフィールドワークから生まれた概念で、AI時代において変化をチャンスに変えるための核心的能力だと考えています。

「デジタル・ウェルビーイング」の視点も重要
昨今のSNSやショート動画のトレンドをどのように見ていますか?

「心の健康指数平均スコア」(縦軸)が高いほど精神的幸福感が高まる(UNDP『人間開発報告書2025』より)
SNSやショート動画は便利で楽しい反面、「3〜4時間を無為に過ごしてしまい後悔した」という学生の話もよく聞きます。研究者として気になるのは、若者のウェルビーイングへの影響が国際的に問題視されていることです。UNDP(国連開発計画)の『人間開発報告書2025』の調査データを見ると、若者の主観的満足度が急激に低下しています。10〜15年前に多くの国で見られた「心の健康指数平均スコア」における“幸福度のU字型カーブ”が崩れ、高齢層は高い状態で維持しているのに対し、若年層の満足度だけが低下しているのです。特に、若い女性の満足度が男性より低い傾向も指摘されています。
これは、スマートフォン普及率との相関が示唆されており、SNSによる他者との比較や情報過多、睡眠の質の低下などが背景にあると言われています。だからこそ、SNSを受動的に消費するのではなく、心の健康を守りながら主体的に使いこなす「デジタル・ウェルビーイング」の視点がこれまで以上に重要です。
AIと人間のコミュニケーションには、どのような課題があると思いますか?
AIとのコミュニケーションには、大きな可能性があると思っています。うつ病を患った方が、生成AIとの会話を重ねることでコミュニケーションに自信を持ち、日常生活に戻れたといった事例も耳にします。
一方で、多くの課題もあります。まず、「依存リスク」の問題。悩みや意思決定をAIに委ねすぎるのは危険です。即時的な回答に慣れ、自ら考える機会が減ることで「主体性の低下」が懸念されます。さらに、「バイアス」の問題。生成AIでは、学習データの「偏り」がそのまま回答に反映されることが課題となっています。
総じて重要になるのは、AIを「人間の置き換え」ではなく、「共同作業のパートナー」として捉えることです。AIの力を生かしつつ、自分自身の判断力や批判的思考を育てる姿勢が必要です。
AIやSNSの利用に関して、日本と欧米で違いを感じることはありますか?
実は日本と欧米では、AIやSNSへの向き合い方に文化的な違いがあります。欧米ではAIの導入に対して、思いの外ネガティブな受け止め方が根強く、映画『ターミネーター』のような異物として扱う傾向があるのに対し、日本ではおそらく『ドラえもん』や『鉄腕アトム』の影響もあり、全体的にポジティブな受け止め方をする傾向があります。これは、戦後の日本の技術発展の歴史など社会的背景が影響していると分析しています。
一方、SNSに関して、欧米では「私はいつでもそばにいる」という貢献度を示すツールとして機能しているのに対し、日本では「他者からどう思われるか」という懸念が大きく、「炎上しないように」「迷惑をかけないように」と慎重な使い方が目立ちます。これは、欧米の「個人主義」、日本の「集団主義」の違いによるものといえるかもしれません。どちらが良い悪いではなく、各国の文化的価値観がテクノロジーとの関わり方(エンゲージメント)を形づくっているのだと考えています。
大切なのは自分と社会を創り直す「セルフ・クリエーション」
若い世代はAIとどう向き合うべきでしょう?
AI時代に求められるのは、単なる「使いこなし」ではなく、次の三つの力だと考えています。それは、AIの情報を自分で確かめる「批判的思考」、AIと共に新しい価値を生み出す「創造性」、AIには代替できない人間の「共感力・倫理観」です。技術と人間性の両方を磨くことが、これからの時代を主体的に生きるために欠かせません。
大切なのは、変化の中で自分と社会を創り直す「セルフ・クリエーション」の意識です。例えば、あなたがタクシー運転手だったとします。完全自動運転社会が到来したとき、どうすべきでしょう? 「明日から失業だ…」と悲観するだけではなく、「そもそも自分は何をしたいのか?」と問い直し、新しい生きがいを見つけるきっかけにすべきだと思うのです。生成AI時代なら、あなたは明日から絵本作家や映画監督になれる可能性もあります。これまで積み上げた経験を土台にしながら、自分の「好き」や「やりたい」という気持ちを大切にし、人生を豊かにする新たな挑戦を続けていってほしいと思います。

高橋先生が考えるAI時代の「コミュニケーション」とは?
AI時代のコミュニケーションは、「人×人」「人×AI」「AI×AI」が重なり合う複雑なものになります。これからは、AIが発信した情報をAIが学習し、情報が再生産される時代です。批判的思考を研ぎ澄ませて、情報社会を読み解く必要があります。
そんな時代により一層重要になるのは、人間同士の「対話」や「共感」です。AIに任せられる部分が増えるからこそ、人間は創造的な活動や他者との関係づくりに力を注ぐべきです。今こそ、人間にしかできないスキルとは何か考えてみてください。この“人間中心”の視点こそ、「ヒューマン・ファースト・イノベーション」の基盤です。
最後に早大生に向けてメッセージをお願いします。
AIは単なる技術ですが、使い方次第で私たちの能力や創造性を高める強力な道具になります。だからこそ大切なのは、AIではなく“人間”を中心に据えた姿勢です。
「どんな人になりたいのか」「どんな社会をつくりたいのか」。その問いを持ち続け、自分の言葉で考え、選び取る力を育ててください。それが、変化の時代を生き抜く「セルフ・クリエーション」につながります。早稲田大学から未来のAI社会を切り開くグローバルリーダーが生まれることを、心から期待しています。

高橋 利枝(たかはし・としえ)
文学学術院教授。ケンブリッジ大学「知の未来」研究所アソシエイト・フェロー。東京大学大学院社会学研究科修士課程修了。修士(社会学)。英国ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)大学院博士課程修了。Ph.D.(社会科学)。専門はメディア・コミュニケーション研究。人工知能やロボット、スマートフォン、SNSなどを人文・社会科学の立場から分析。人工知能の社会的インパクトやロボットの利活用などについて、国連やハーバード大学、ケンブリッジ大学、スタンフォード大学などと国際共同研究を行っている。
取材・文:丸茂 健一
撮影:石垣 星児






