「何度でも立ち上がってほしい。何度失敗してもいいのですから」
NTTコム オンライン・マーケティング・ソリューション株式会社
代表取締役社長 塚本 良江(つかもと・よしえ)
「goo=global infinity. 世界に向かって無限に広がる」という意味を持つ、日本初の検索エンジン「goo」。その立ち上げを先導し、現在はNTTコム オンライン代表取締役社長を務める塚本良江さんは早稲田大学の卒業生だ。常にエネルギーが集積する場所で活躍を続けてきた人生の先輩から、今まさに社会へと巣立つ無限大の可能性を秘めた卒業生に向けて、自身の経験談も交えてエールをもらった。

1997年3月27日にリリースされた日本初の検索エンジン「goo」。当時のトップページ
外の世界からエネルギーを得た自由闊達な学生時代
「高校卒業後、一度は音楽大学のピアノ科に進学しました。毎日8時間近い練習や、先生とのマンツーマンレッスンの日々で『自分には向いてないな』と気付き、新たな選択肢を求めて入学したのが早稲田大学でした」
大学入学の経緯を振り返る塚本さん。それまでの自分自身にベクトルを向けて技術習得に励む日々から、さまざまな出会いを求め、外にベクトルを向ける日々へと一変した。
「早稲田ではビックリするぐらい、さまざまな人に出会えました。今でいうダイバーシティそのもの。それまでの1対1のレッスンや自分と向き合ってばかりの日常からの反動もあってか、人が集まることで生まれるエネルギーに驚きましたし、自由闊達(かったつ)に議論することで生まれるエネルギーに感動しましたね」
周囲から新たなエネルギーを求める意識は、やがて大学の枠を越えたグローバルなものへと進化していく。
「外の世界を見たい、海外に行ってみたいという気持ちはすごく強かったです。たまたま募集していた雑誌の海外特派員に応募したところ、運良く合格。在学中は、ヨーロッパの国々を体験することができました。見たこともない世界にどんどん足を踏み入れたり、知らない世界の人と出会ったり、新しい出会いからもたくさんのエネルギーをもらいました」

卒業式、ゼミ仲間との一枚。中央が塚本さん
塚本さんが社会に巣立った1986年という時代もまた、変革のエネルギーに満ちていた頃。前年の「プラザ合意」を機にバブル景気が始まり、男女雇用機会均等法も施行。女性の社会進出がここから始まろうという端境期に、塚本さんは日本電信電話公社(電電公社)から民営化された直後のNTTに入社した。
「私が配属されたのは新規事業を立ち上げる部署で、それまでは電話回線だけを売っていたNTTにとっても新たな挑戦の場。早稲田に入学した時のような、関わる人たちのエネルギーにあふれていて、大変ながらも充実の日々でした」

NTT入社時の歓迎会で、上司と同期との一枚
ところが、好事魔多し。入社から2年後、塚本さんは思わぬ事故により重度のやけどを負い、約2年の休職期間を経験してしまう。
「一時は命の危機に直面し、入退院を十数回繰り返し…。ここまで順調に来ていたのに一瞬で全てが失われることがあるんだと知りました。それでもとにかく、毎日を頑張って生きなければならない。はじめは一人で立ち上がることもできませんでしたが、そこから少しずつできることが増えていき、一人で顔を洗えただけで、とても幸せなことだと感謝できる。そんな経験をしたおかげで、仕事でつらいこと、大変なことなんてなくなっちゃいましたね」
復職にあたっては、周囲の人々からの気遣いに感謝する出来事もあった。
「2年ぶりに会社に戻ってみたら、私のデスク周りがとてもきれいだったんです。聞けば、当時の部長さんが毎日私の机を拭いて、復帰を心待ちにしていてくれたそうです。それを聞いて感動して…。良い会社に入ったなと改めて思いました」
「本当にやりたいこと」とインターネットの価値を信じて
学生時代の「外の世界を知りたい」というモチベーションは、社会人になっても塚本さんの人生の推進力となり、社内の留学制度を活用し28歳でアメリカ留学を経験。このとき出合ったのが、当時、世界に先駆けて普及していたインターネットだった。

1993年、留学先の米国ダートマス大学でMBAを取得。左から2人目が塚本さん
「留学を終えて日本に戻ってくると、再び新規事業立ち上げのセクションに配属されたので、『アメリカで体験したインターネットがすごいんです!』と提案しました」
今では当たり前のインターネットも検索エンジンも、当時の日本では未知のサービス。当然、さまざまな障壁もあったというが、その壁を突破する上で原動力となったことは?
「信じていたからでしょうね、インターネットの価値、『Open』を。Openだから、世界中の知恵や知識が集まる。それが旧来の壁を越え、新しい世界を創っていく。インターネットのおかげで私は、子育て中でも時間と場所を乗り越えて、世界中の仲間と仕事をすることができました。私の人生を豊かにしてくれたインターネットを多くの人にも享受していただきたい、その気持ちでサービスを創ってきました」
こうして、日本初の検索エンジン「goo」の立ち上げをはじめ、数多くのインターネット事業を展開。その後はマイクロソフト社への転籍を経て、古巣NTTに復帰。2012年からは現職に就き、法人向けのDXビジネスの最前線で指揮を執り続けている。

1993年、「goo」立ち上げ時の仲間たちと。エリック・ブリューワー氏(右端)は共同でサービスを開始したInktomi社の設立者で、現カリフォルニア大学バークレー校教授。右から2人目が塚本さん
「今も毎日が勉強です。技術は2年に1度くらいのペースで切り替わっていくので、不勉強だった学生時代の自分に自慢したいほど(笑)、仕事をしながら学ぶ日々です。でも、人の役に立ちたい、誰かの喜ぶ顔につなげたい。その気持ちで頑張っています」
4年前の2021年には早稲田大学入学式で祝辞を務めた塚本さん。その時の言葉の源泉にも、「学生の役に立てれば」という願いがあった。
「どんな言葉が皆さんの役に立つのか…と考えて、『本当に自分がやりたいことを見つけてほしい』とお伝えしました。人生では厳しい局面が多くたたかれることもあると思います。でも、好きなことなら立ち上がれるし、何度でも立ち上がってほしい。何度失敗してもいいのですから」
塚本さんはそう言って、アメリカンフットボールの名コーチ、ダレル・ロイヤルの名言を紹介してくれた。
「ダレル・ロイヤルはこう言っています。『今まで打ちのめされたことがない選手など存在したことはない。ただし、一流選手はあらゆる努力を払い、速やかに立ち上がろうと努める。並の選手は立ち上がるのが少しばかり遅い。そして敗者はいつまでもグラウンドに横たわったままである…』そう、人生では打ちのめされても、何度でも立ち上がればいいんです」

2021年4月、早稲田大学入学式で祝辞を述べる塚本さん
あの日から4年が経ち、社会に巣立つ若人へ贈る言葉も「4年前と同じです」と話を続けた。
「本当に自分がやりたいことを見つけてください。4年間の学生生活でやりたいこと、夢は見つかりましたか? まだ 見つかっていないなら、見つける旅を続けてください。私自身、インターネットに出合ったのは30歳近くでした。だから、焦らなくて大丈夫。もし見つけることができていたら、ぜひその道を突き進んでください」
取材・文:オグマナオト(2002年第二文学部卒業)
撮影:布川 航太
【プロフィール】
早稲田大学政治経済学部を1986年に卒業。同年、日本電信電話株式会社(NTT)入社後、1993年に米国ダートマス大学に留学し、MBA取得。帰国後、インターネットの新規ビジネス開発に携わり、検索エンジン「goo」などをリリース。2002年、マイクロソフト株式会社執行役・MSN事業部長に就任。2008年、NTTに戻り、2012年にNTTコム オンライン・マーケティング・ソリューション株式会社代表取締役社長に就任した。本学商議員会長。