「ライバルはいるか?」と問われ、すぐに思い浮かぶ存在はいるだろうか。小学生の頃は運動会の徒競走で、中学生や高校生の頃は、試験の点数や部活動の試合などで、この子には、このチームには負けたくないという存在がいた経験がある方も、少なくないのではないだろうか。
私は地方の公立男子校出身であるが、先生方から文武両面においてライバル校と刷り込まれた高校があった。そのライバル校とは、さまざまな運動種目で競い合い、最終的に総合得点で学校の勝ち負けを決する「定期戦」という両校にとっての一大行事を、1年に一度実施していた(2024年で78回目)。その時期になると、学校は定期戦一色になる。始業前、昼休み、体育の授業時間、放課後と各種目に出場する選手が大真面目に練習をする。定期戦実行委員なる一部生徒が、選手を選考し、叱咤激励しながら練習に明け暮れ、相手の戦力分析なども行っていく。「今年はどの競技に力を注いで来るか」「どんな戦術で来るか」など、さまざまなことを考えながら自陣を強化していく。そして、前日の決起集会を経て、本番で勝敗が決すると、勝った学校しか歌うことが許されない各校の校歌を歌い、一部の生徒が涙する。そんな行事である。
教職に就き、それなりの年月がたった今、いわゆるライバルという存在はすぐに思い付かなくなった。相手の出方を考えたり、互いの努力する姿を想像したり…。熱量を持って、自分を高めようと努力させてくれる存在は、今の私自身にも必要であるし、そのような存在は人生を豊かなものにしてくれるのではないかと考えている。
(T.S.)
第1171回