数十年ぶりに帰国し早稲田大学で教鞭(きょうべん)を執っている。
「国内」、「海外」という言葉に違和感を覚える。「国内」、「海外」の区別は、両者の間に何か壁があり、国内の人を守っているようである。それに閉塞感を抱く人もいると思う。日本はとりわけ日本でしか通じない基準や特殊事情があり、何かと小さくまとまっている。そんな日本で、クリスチャンであり非英語圏からの帰国子女でもあった私は、少し肩身の狭い思いをして育った部分がある。
ヨーロッパに留学した90年代後半はバブル経済の余韻がまだ残っており、日本のプレゼンスは高かった。それが誇らしかった一方で、再び日本を離れて始めた「海外」生活は解放感に満ちあふれていた。今その解放感がどこから来たのかを考えると、それは日本の社会の中で、自分の立ち位置が誰に言われることもなく既定されていると感じていたからだと思う。そのような既成概念から自由になり、もう一度個人として挑戦できることが何よりもうれしかった。その後はわが道を開拓していくのみで、「国内」も「海外」もない世界が広がっていった。
グローバル人材育成が叫ばれて久しいが、グローバル人材とはニューヨークやシンガポールで働いている人たちのことではない。どの場所に置かれていても、自分と向き合うことで強くなり、「国内」も「海外」もなく、可能性に満ちあふれて世界で躍動する人であると思う。そのようなグローバル人材を育成するため、また、挑戦する若者に早稲田大学が解放感に満ちた環境を提供できるよう、貢献していきたい。
(T.K.)
第1141回