いつの頃からか、「思考停止」という言葉をよく目にするようになった。論争相手などを非難したいときに、「あなたは考えが足りない」という意味で用いることが多いようだ。ただ、「思考停止」という言葉のインパクトはあまりに強い。我(われ)思う、故に我あり。人間は思考するからこそ人間だ。思考が停止しているという宣告は、人間性の否定にすらつながる響きを持つ。だからだろう、時にこの言葉は論争相手にとどめを刺すかのような印象を与える。
しかし、この言葉を使う人こそ、考えてみてほしい。思考というのは停止せずにいつまでも継続できるものだろうか? 例えば、選挙でどの候補者に投票しようか考えているとしよう。誰に入れるか決められない。でも投票の期日は迫る。となれば、どこかで考えるのをやめて、誰かに決めなければならない。こんな風に、とても大事な問題を相手にするときだって、私たちは思考をどこかで停止しているのではないだろうか。そうでなければ意思決定はできないし、他の重要な問題を考えるための時間も無くなってしまう。考えるためのスタミナだって限界がある。思考には休みが必要だ。
人間はいつだって、思考を停止しては頭を休めたり、別の思考を開始したりする。投票に行ったあとは頭を切り替えて家族での外食のことを考えもするだろう。思考停止というのは私たちの常態かもしれないのだ。だから、「思考停止」という言葉は、この言葉の意味に関して思考を停止しなければ使えるものではない、と私は考える。論争にとどめを刺す言葉としては要注意である。
(E)
第1131回