この号が出る4月末には、キャンパスの喧噪(けんそう)も少しは落ち着きを取り戻していることだろう。皆さんの今年度の「居場所」は定まっただろうか。
「居場所」というのは日本独特の概念で、翻訳されずにそのまま“Ibasho”と表記されることもある。単なる住み処(か)ではなく、人間が落ち着き、安心して過ごせる、成長に欠かせない教育的な居所をそれは意味するようである。「いる」、「ある」、「存在する」を意味する「居」と、「空間」も含意する「場所」を掛け合わせた「居場所」は、実存主義に倣えば、孤独や不安に絶えずさらされる宿命にある人間が、自由と責任を果たして生きていくための要件といえるかもしれない。
去ること数十年前、大学に入学した私は、ある授業でたまたま隣に居合わせた友人と二人でサークルを探すことにした。目ぼしいところを決めて、さぁ新歓だというその前日のこと。今では某広告会社で何人もの部下を持つ部長となっているその友人が、風邪で参加できないという。いつも友人に付いていく感じだった引っ込み思案の私は怯(ひる)んだ。困ったな、行かなくてもいいか、居づらいし。それでもせっかく決めたのだから、と思い直して参加することに。時期はちょうど今ぐらいの話である。あれから時を重ねて、そのときに出会った友人は、件(くだん)の現部長を含めて皆竹馬の友となり、私の人生を陰に陽に支えてくれている。
だから今の皆さんに小声で言いたい、迷ったときにはまず一歩を踏み出してみよう、と。それがあなたの生涯の「居場所」となるかもしれないのだから。
(T)
第1121回