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縁結び・川越氷川神社宮司 大隈重信の言葉で知った伝統・地域を守る価値

活躍する場所はスケールの大きさに評価されるものではない

川越氷川神社・宮司 山田 禎久(やまだ・よしひさ)

都心から気軽に行ける観光地として人気の川越。中でもひときわにぎわっているのが、縁結びの神様として知られる川越氷川神社だ。国の重要無形民俗文化財である川越まつり(川越氷川祭)を取り仕切ったり、連日多くの結婚式を行うだけでなく、近年では、言い伝えにちなんだお守り「縁結び玉」や、色とりどりの風鈴が並ぶ「縁むすび風鈴」など、次々に話題を打ち出している。神社の長である宮司を務める山田禎久さんは、社家(しゃけ・宮司を代々務める家系)に生まれ、神主としては珍しく、早稲田大学政治経済学部で学んだ。そんな山田さんが得た宮司としての自信と誇りとは?

決められた道に反発していた10代20代

子どものころから、将来は神主になるのだろうなと思っていた山田さん。神主になるためには神道系の國學院大学または皇學館大学で学ぶのが一般的だが、そうした決められた道に進むことには抵抗があったと言う。そして高校生のときに、父の言葉で早稲田大学に進学することを決意する。

「私は行きたかった大学に行かずに後悔しているから、おまえは行きたい大学に行って、神主になるまではしたいことをしなさいと言ってくれたんです。合格を報告したときには、父がすごく喜んでくれたのを覚えています」

憧れだった早稲田でのキャンパスライフだが、楽しい日々はそう長くは続かなかった。3年次の5月に父が急死したのだ。それからはほとんど大学に行けず、神主の資格を取って家業に専念することとなった。

「すごく戸惑いましたね。それに、卒業したら商社で働きたいと思っていたので、就職という開放感が閉ざされた気がして、とてもつらかったです。頑張るぞという気持ちよりも、なんで自分がこの道に進まなければならないんだ、という気持ちでした」

その気持ちは、大学を卒業してからも続いた。折しもバブル景気の余波が残る時代。錚々(そうそう)たる有名企業に就職した友人たちは世界中を飛び回り、華やかな社会人生活を送っている。それに比べて、神社から出られず、朝から晩まで変化のない毎日を繰り返している自分は劣っているように感じていた。自分だってそういうことができたかもしれないのに…という忸怩(じくじ)たる思いが胸を覆っていた。

「川越という古い町で伝統的なことを守っていくという価値が当時の私には分からず、華やかでアグレッシブなものがかっこいいと思っていましたし、自分は魅力のないところにいると考えていました。恥ずかしながら、その気持ちは30歳直前まで続いたんです」

早稲田に入ってよかった そう思えたスピーチ

大きな転機は、29歳のころ。校友(卒業生)で組織される川越稲門会の先輩がとある叙勲を受け、その祝賀パーティーで、先輩の同級生だった西原春夫元総長のスピーチに大きな衝撃を受ける。

境内にて。平日にも関わらず多くの参拝客でにぎわっていた

「『大隈重信公が早稲田大学を創設したときの願いの一つは、地域に在り、地域のために力を尽くす学生を育てたいということだ。君は長年同じ仕事を故郷川越で行い、叙勲の栄に浴した。君のように地域で活躍し、地域のために尽力する存在を大隈公は一番喜んでいるはずだ、君は早稲田の誇りだ』とおっしゃったんです。それを聞いて、本当に心の底から感動しました。いろいろなところで活躍している友人と比べて、地域を守る仕事に引け目や負い目を感じていた私は、西原先生の言葉でものすごく救われたんです。早稲田に入ってよかったと思いましたし、私の人生において一番といっていいほど大きい思い出です」

その出来事を機に、神社の仕事をより懸命に取り組むようになった山田さん。今では、川越氷川神社の宮司、結婚式場氷川会館の館長、小江戸川越観光協会の副会長などとして忙しい日々を送っている。神社の仕事のやりがいは? と聞くと、

「神社は人生儀礼の場です。うちで結婚式をされる方は、お宮参りから氷川神社だったとか、両親もここで結婚式をしたということが多くて、世代を超えて人生の節目に関わり続けられるというのが神社のとてもいいところです。そうした場所にいられることが本当に誇らしいと、今は心底思いますね」

毎年10月14日に執り行われる「例大祭」(左)とその後の「神幸祭」(右)は370年ほど続く川越まつりの根源。神幸祭では蔵造りの街中を馬で巡行する

“インスタ映え”? 伝統を守るために

また、神社としての伝統を守りながらも、カフェを併設したり「縁むすび風鈴」など新たなことにも積極的に取り組んでいる。インスタ映えのためにやっていると揶揄(やゆ)されることもあるが、山田さんは決して面白さ目当てで行っているわけではないと語る。

2014年から始まった「縁むすび風鈴」。今年は7月6日(土)から9月8日(日)までの開催

「昔の人は、風が思いを運んでくれると考えていました。今の私たちはSNSで既読スルーされるといらいらするなど、非常にせわしない生活をしています。昔の人のように返事が来るか分からなくても、風に思いを託すような考え方を知ってほしいのです。このように、古くからある日本人の考え方を現代の人にどうすれば伝えられるのだろうということを常に考えています。そもそも新しいという言葉は“あらたしい”と読まれていました。今までになかったものが突如として現れるという今の新しいではなく、“改まり”、つまり文脈を引き継いだ上であらたまっていくという意味だったのです。引き継ぎとあらたまりを繰り返していくことが、私にとって伝統を守ることだと思います」

5月1日に行われた新元号「令和」の奉納揮毫(きごう)

自身の経験を通して、後輩に伝えたいことは何だろうか。

「これからの時代は国際的な視野というのが大切ですが、それを支えるのは生まれ育った地域や国です。長く続いた国の文化や伝統を、世界に羽ばたく世代だからこそ、常に胸に持って進んでもらいたいと思います。そして、活躍する場所というのはスケールの大きさに評価されるものではないので、どこの場にあっても早稲田大学の学生・卒業生としてのお役目を果たしてほしいですね」

6月にはかざぐるまが飾られる。「風が思いを運んでくれる」という考えが随所に感じられる神社

取材・文=小堀 芙由子(2009年、政治経済学部卒)
撮影=石垣 星児

【プロフィール】

埼玉県出身。1992年早稲田大学政治経済学部卒業。川越氷川神社第23代宮司。川越氷川神社を含め市内12の神社の宮司、結婚式場氷川会館館長、小江戸川越観光協会副会長などを務める。川越氷川神社は約1,500年前の欽明天皇2年の創建と伝えられ、室町時代の長禄元(1457)年、太田道真・道灌(どうかん)父子によって川越城が築城されて以来、城下の守護神・藩領の総鎮守として歴代城主の厚い崇敬を受けた。国の重要無形民俗文化財で370年近い歴史を持つ川越まつり(川越氷川祭)は、毎年10月に行われる川越氷川神社の「例大祭」「神幸祭」、そして「山車行事(祭礼)」から成り立っている。2016年にはユネスコの無形文化遺産に「山・鉾・屋台行事」の一つとして「川越氷川祭の山車行事」が登録された。同神社に隣接する氷川会館内に2013年9月にオープンした「むすびcafé」は、人やモノやコトが結び付いて新たな力を生み出すと同時にほっとできる場を、という山田さんの思いから生まれた。

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