学生時代にとにかく何でも経験を
映画監督 大澤 広暉(おおさわ・ひろき)
世界中の映画人、映画ファンが憧れる夢舞台=アメリカ・ハリウッド。この地で映画監督としてのキャリアを歩み始めたのが、人間科学部出身の大澤広暉さんだ。ロサンゼルス在住5年目にして、映画祭で複数の監督作品が受賞。監督業だけにとどまらず、プロデュース業や日本語教材の映像コンテンツ制作にも携わるなど、幅広く活動している。そんな大澤さんの原点を聞くと「早稲田時代がなければ今の僕はありません」という答えが返ってきた。早稲田で過ごした日々とそこで培った武器が今、ハリウッドという舞台でどう生きているのだろうか?
強く影響を受けた言葉「置かれた場所で咲きなさい」

サークル活動でよく通っていた学生会館を6年ぶりに再訪(撮影:鶴巻達弥)
高校時代からイベントの企画立案に打ち込んでいた大澤さん。ただ、イベントはその場限り。これを映像という形に残せれば、空間と時間を超え、より多くの人に届けられるのでは? そんな思いから“メディアに強い大学”として選んだ進路が早稲田大学だった。
「正直なところ、学部はどこでもいいから早稲田に入りたい、と思っていた部分がありました。でも、入学直後のオリエンテーションで、ある先生の言葉を聞いて考えが変わったんです。『置かれた場所で咲きなさい。人間科学部には皆さんが知らない新しい視点があるはずです』と。振り返れば、確かにその通りでしたね」
大澤さんがまず打ち込んだことは、公認サークル・放送研究会での活動だった。学生団体としてはトップレベルの機材を有するこのサークルで、さまざまな映像企画のストーリーを考え、実際にカメラを回して編集まで担当するなど充実の日々を過ごした。
「先輩たちの作品には刺激を受けましたし、サークルという場だからこそいろいろな機材に触れることができました。今、編集だけでなくビジュアルエフェクト制作もできる監督として重宝されているのは、放送研究会にいた経験が大きいのは間違いないです」

ゼミの研修で、大学3年次に米国クリーブランド、ボストンへ
サークル以外でも、放送研究会で出会った仲間との連名で映像作品を制作。「飛騨高山映像祭 優秀賞」(2011年)、「早稲田学生文化賞」(2012年)を受賞するなど、高評価を獲得した。
「飛騨高山映像祭に出品したのは、『名前をよんで』という子どもの名前にフォーカスを当てたドキュメンタリーです。ちょうど“キラキラネーム”が話題になり始めた頃で、人名漢字の選定に携わった笹原宏之教授(社会科学総合学術院)に話を聞くとともに、出産直前の妊婦さんに1カ月間、密着取材しました。旦那さんが撮影した出産シーンも使用させていただけて、観客の心を引き込む作品になったと思います」
また、副専攻で「映像・映画」を履修していたこともあり、ゼミでは卒業研究として人間科学部のプロモーションビデオ(PV)を制作。当時、実際に存在した学部紹介映像は一般的なフォーマットに則った説明的なもので、他大学・他学部にはない人間科学部ならではのPVがあってもよいのではないかと感じたことが企画の出発点だった。

大澤さんの制作した人間科学部PVのワンシーン
「自分ならもっと毛色の違うPVにできる、と考えました。ただ、“研究”となると、単なる自己満足ではダメ。そこで、300人の高校3年生にアンケート調査をして、その結果を基に内容や表現方法を詰めていきました。幅広い学びや価値観を受け入れてくれる人間科学部でなければこんな卒業研究は認められなかったはずで、あらためていい学部で4年間を過ごせたなと感じました」
実はこの頃、ゼミの指導教員だった保崎則雄教授(人間科学学術院)から「アメリカに行って専門的に映像を学ぶべきだ」と言われていたという大澤さん。卒業後、一度は玩具メーカーに就職したものの、やはり映像作品の世界で生きてみたいと、2年後に退職を決意。保崎教授の言葉を思い出し、どうせやるなら世界最先端の場所で学んでみようと、ハリウッドでの生活がスタートした。
早稲田で集めた「色」がやがて「新たな色」になる
アメリカには映像制作を学べる大学院がたくさんある中、大澤さんが選んだのはニューヨークフィルムアカデミーのロサンゼルス校。他の映画大学院の多くが3~4年間のカリキュラムであるところ、2年で修了できる点に魅力を感じたという。ただし、3~4年で履修すべき内容が2年に凝縮されているのだから、当然、課題漬け・勉強漬けの日々。夏休みも冬休みもなく、年末年始に10日ほどの休みがあるだけだった。
「ハリウッドのいくつものスタジオと提携しているため、入学翌日にユニバーサルスタジオでカメラを持たされるという、かなり実践的な講習から始まりました。人によって評価の分かれる学校ですが、自分にとっては最適な場所でしたね。それは、早稲田と同様に学生の積極性が求められ、“自分で動いたかどうか”が問われたから。受動的な学生は基礎的な内容の理解だけで終わりますが、僕は言語的な壁もあるからこそ、積極的に質問し、議論しました。そのおかげで、知識量だけでなく英語力も向上しましたし、世界一競争の激しいハリウッドの空気に在学中から触れられたことは本当に得難い経験でした」

ニューヨークフィルムアカデミー在学時代に制作した作品で監督を務め、俳優に演技指導する大澤さん
それは、早稲田入学時に聞いた「置かれた場所で咲きなさい」とも通じることだった。
「置かれた場所、というのは学校だけではないんです。ハリウッドではタクシーの相乗りが珍しくないんですけど、同乗者の9割は映画業界人ではないかと感じるほどです。車内での名刺交換も頻繁にあります。そんな環境にいるんだから生かさない手はないですよね。実際にそこでの出会いから作品作りに声を掛けてもらったこともあります」
2017年秋に大学院を修了した後は、そのままロサンゼルスで自主制作作品の監督などを担当。監督作『Pandora’s Box』に主演した俳優が「アクターズアワーズ2018」でベストアクター賞を受賞するなど、何本もの作品が日の目を見た一方で、時には脚本の和訳、カメラ、海外プロダクションの通訳など、できることであれば何でも請け負う日々。少しでも次につながればと、未来を模索しながら可能性を広げる毎日を過ごしている。

撮影:鶴巻達弥
「アメリカには星の数ほど監督がいます。その中で生き抜くには、“強み”が必要です。自分の強みってなんだ? と考えたときに思い浮かぶのは、日本の知識や文化、日本人としての視点。そこは大いに活用すべきだし、実際にそういう相談事を受けることは多いです」
そんな“自分らしい強み”の部分で、「早稲田で過ごした日々が生きてくることは多いです」と大澤さんは続けた。
「サークルで編集ソフトの使用経験があったおかげで受けた依頼もありますし、学生時代からアイデアやエピソードを常にためていて、それが別のヒントと組み合わさることもあります。大学院の授業で撮った『ロシアン寿司』というマフィア映画も、学生時代によく利用した居酒屋のメニューがヒントになりましたから(笑)。ハリウッドですらネタ探しに躍起になる中で、どう新しいものを生み出すか。そこで必要なのは、アイデア同士の掛け合わせです。同じストーリーでも、舞台が日本になれば描き方も変わります。自分のアイデアとアメリカのアイデアを組み合わせて新しい視点を出すことは自分ならではの強みだし、今後もやっていくべきこと。その意味でも、早稲田時代の経験は、遊びも含めて自分の肥やしになっていますね」

アカデミー賞授賞式も行われるハリウッドのランドマーク「チャイニーズ・シアター」で卒業制作映画『The Alc-Man』がプレミア上映された際に、レッドカーペットでキャストやクル―と撮影(左端が大澤さん)
そんな大澤さんだからこそ、今の学生に伝えたいこととは?
「将来、何が役に立つのかって学生時代には分かりません。だからこそ、授業でもアルバイトでもサークルでも、とにかく何でも経験しておく。“飲み会にたくさん参加した”だっていいんです。いくつもの経験がそれぞれ別の色となって、その色と色が将来、自分だけの新しい色の組み合わせ=オリジナリティーになるはずです。早稲田大学は、それが一番やりやすい大学なんじゃないかなと思います」
取材・文=オグマナオト(2002年、第二文学部卒)
1990年生まれ。東京都出身。2013年早稲田大学人間科学部卒業。学生時代に制作した作品で「飛騨高山映像祭 優秀賞」(2011年)、「早稲田学生文化賞」(2012年)を受賞。玩具メーカー勤務後、渡米してニューヨークフィルムアカデミー・ロサンゼルス校に修士入学。現在は映画監督やプロデューサーなど、ハリウッド映画界で幅広く活動中。監督作品『Pandora’s Box』で主演した俳優が「アクターズアワーズ2018」でベストアクター賞を受賞するなど、複数の映画祭で受賞歴がある。