Waseda Weekly早稲田ウィークリー

クレイジーなだけじゃない早大探検部 ヒマラヤ未踏峰失敗で目覚めたこと

「ワセダに『誰もやらないこと』を好む、訳の分からない怪しい集団があるらしい」。古くから早稲田の裏街道でささやかれ続けてきた謎のサークル、早稲田大学探検部。火山の火口に潜ったと思えば、紛争地に潜入したり、はたまた、アフリカの奥地で未知の生物を探したり…。一方で、船戸与一(1969年第一法学部卒)、高野秀行(1992年第一文学部卒)、角幡唯介(2001年政治経済学部卒)など、人気作家の出身サークルとしてその名が上がることも多いサークルだ。

ここ1、2年、その探検部が再び脚光を浴びている。一昨年、ロシア・カムチャツカの奥地で未踏峰に初登頂して「ワセダ山」と命名。その様子はテレビ番組『クレイジージャーニー』(TBS系列)でも特集された。続く昨年、彼らはさらにネパール・ヒマラヤへ。しかしこれもやはり普通ではなく、1,000kmを歩いて未踏峰に向かう計画だったという。

早稲田大学探検部とは、いったいどんなサークルなのか。25年前までは自身もその一員だったOBのライター、森山憲一(1994年教育学部卒)がその素顔に迫ります。

左から、探検部「1000kmのヒマラヤ隊」隊長の大倉有紀也さん(人間科学部4年)、
副隊長の井上一星さん(政治経済学部5年)、医療係の田口慧さん(教育学部2年)

「ヒマラヤ未踏峰」まで歩いて行くクレイジーなワケ

森山
僕はOBなんだけど、最近の探検部のことはあまりよく知らないんですよ。なので、あらためて、昨年行ったヒマラヤのことを教えてください。あれは1000km歩いて未踏峰に登るという計画だったんだよね。そもそもどういうきっかけで始まったの?
大倉
2017年の9月ごろ、庄司康治さんというOBと、飲みの席で「ヒマラヤ行くか」って盛り上がったんです。庄司さんは昔、かなり本格的に登山をやっていて、卒業後もヒマラヤに通って本を出版したりしていた人。その庄司さんのアイデアが始まりです。ただし、庄司さんがもともとイメージしていたのはもっとコンパクトな話で、期間も1カ月くらいのものでした。
森山
それがどうして1,000km歩くことに?
井上
僕らが加わって、ああしたいこうしたいと自由に話しているうちに、最終的に期間は4カ月、メンバーは計10人、現地までのアプローチ1,000kmも全部歩いて行くという計画に膨れ上がっていきました。

1000kmのヒマラヤ隊隊員。上段左から2人目、田口さん、隊長・大倉さん、副隊長・井上さん

森山
目的の山はどういうところなの?
井上
ネパールとチベットの国境近くにある山で、標高は6,025m。最近まで登山許可が出ていなかった山域なので、この山を含めて一帯は未踏峰だらけなんです。だから山の名前も決まっていない状態です。
森山
それくらいの標高の未踏峰というのは他にもいくらでもあるよね。その中で、ここに目標を定めたのはなぜ?
井上
それはですね、この山はネパールで一番北にある未踏の6,000m峰なんです。だから、この山は「ネパール最北端の最高峰」! これ、カッコいいフレーズじゃないですか?
森山
なるほど、確かにね(笑)。でも最東端とかじゃダメなの?
田口
東側はエベレストとか有名な山がたくさんあって、トレッキングで行く人も多いんですよ。それに対してこちらの山域は、特に知られた山はなくて、一番手つかずなんです。カッコよくいえば、「地図上の空白地帯」ということですね。
井上
周辺で一番近い有名な山はカイラス山で、チベットの国境が近いので、文化的にはネパールというよりチベットに近いエリアです。
森山
ああ、なんとなく分かった。
井上
僕らが行ったネパールの北西部というのは、本当に地味な山しかないんです。登山をやっている人だったら、人気のある山とか、難しくてカッコいいルートとかに着目しますよね。そういう人からすると、大して魅力のないエリアかもしれません。

でも僕らは登山家ではないので、見た目がパッとしない山だろうが、難易度がそれほどでもなかろうが関係ない。それより、誰も行ったことがないという事実に魅力を感じたわけです。
森山
とはいえ6,000m峰って、言うほど簡単じゃないと思うけど…。
大倉
6,000m峰と言っても、そもそもベースキャンプの場所が既に5千数百メートルあるので、そこまで行けば山頂はもうすぐなんです。標高は高いですし、中国側から見ると傾斜が強そうに見えますけど、ネパール側から行くと割となだらかな斜面なんですよ。

それでも行く前には日常的な体力づくりに加え、雪上歩行などの基本的な登山のトレーニング、また共同生活に向けた実地訓練として中央アルプスの縦走なども行いましたね。
田口
始めはとにかく分からないことだらけで、まずリサーチがすごく大変でした。山岳図書館という過去の報告書がたくさん残っている図書館に通い詰めたり、他大のサークルまで報告書を見せていただけないかと頼みに行ったり、現地の情報をよく知る日本人を探したり、ネパール人を片っ端から捕まえて話を聞いたりしました。ちなみにネパール語で書いた「ネパール人留学生求ム!」の立て看板も作ったんですが、これには誰も引っ掛かりませんでしたね(笑)
そんなこんなで情報を集めて、週2回のミーティングとオンラインの業務管理ツールをベースに、日程、ルート、会計、装備、訓練、保険、医療、協賛などに分けて遠征計画を立てていったのですが、資料だけでA4で何百枚にもなりそうな勢いで。計画書を作る時には、大量に集めた情報を削るのに苦労しました。
井上
言ってしまえば山自体は、観光トレッキングで来た人でも登れてしまうような所だったんです。まあ、もちろん登山道ではないからそこまで簡単ではないし、そもそも一番詳しいであろう現地のネパール人に聞いても、「そんな地方のことは誰も知らないよ」と言われるような場所なので、行く人がいればですけど(笑)。
森山
その未踏峰に1,000km歩いて向かう、ということを掲げていたよね。あれはどういうこと?
田口
登山なら、頂上まで登れたかどうかが問われるところですし、単に未踏峰に登るだけではやっていることが山岳部と変わらなくなってしまうなと。現地まではヘリコプターを使えば3日で行ける場所なんです。でも探検であるならばプロセスも重要というか…。
大倉
昔、エベレストとかマナスルとかが初登頂された時代は、交通機関なんてほとんど発達していなくて、山の麓まで長期間かけて歩いて行ったわけですよね。それをやってみたいと思ったんです。

カトマンズから山頂に至るまで1,000km以上あるんですが、そこを全部歩いて行く。ベースキャンプにヘリで行って、山に登って帰ってくるだけでは得られない、何か新しい発見があるんじゃないかと。
田口
そう、「昔の探検隊がやったようなことを体験したい」というのがコンセプトの一つで。それと標高の高い場所を歩いて高所に体を慣らしたい、という意味もありました。でも一番は、目的地に至る過程で予想もしなかったような発見が得られるというのが僕らにとっての探検のイメージだった。だから、そこを4カ月かけて歩いて行くことにしました。
井上
しかも、平地を歩いて行けばもっと早く行けるんだけれども、基本的に山岳地帯をずっと歩いて行くことにしたんです。
森山
それはどうして?
井上
効率のいいルートを選ぶと、アプローチが単なる移動になってしまって、つまらなく感じたんですよね。それよりも出発から山頂までを一つの登山と見なして、1,000kmかけてそれをやってみたい、と。みんなでいろいろ話しているうちに誰からともなく言い出したんだと思います。ただ、すぐに面白い! と感じたことは覚えています。そしてそれは僕だけじゃなく、OBの庄司さんを含めてみんなそう感じたみたいで、話がまとまるのは早かったですね。
「探検」って発表やPRも含め、やった行為が何か社会的にもインパクトを与えて、学術的な意味を持って、ようやく「探検」なんですよね。だから、カトマンズから最も長大で最もハードで最も美しいルートで、極西の山を山頂に見立てた長大なアプローチで行くことが…。つまり「ネパール最北端にある未踏の最高峰まで、1,000km歩いて行く」ということが、今回の「冒険」には必要だったのかもしれません。

「もう一生進めないんじゃない?」トラブルだらけの道中

森山
ルートはどうやって決めたの?
井上
「グレート・ヒマラヤ・トレイル」というトレッカーが歩くコースがありまして、それをベースにしつつ、地図を見ながら部分的にアレンジして決めました。もちろん安全面にはかなり気を使っていたので、なるべく危険な場所は避けて、1日に15~20km歩けばいいという計算で。
森山
予定ルートを見ると、標高4,000mとか、時には5,000mあるような所も通るよね。これは相当な高さだし、高山病なんかも大変だと思うけど。
井上
ですね。長期間、標高が高い所で過ごしたときの消耗具合を考慮していませんでした。そのせいで、体調を崩したり病気にかかったりするメンバーが出てしまったので。
大倉
毎日、朝が憂鬱(ゆううつ)でした。「今日はあそこまで歩かなきゃいけないのか…」と。高山病になると、本当に気力まで落ちますね。
田口
全然回復しないんですよ、空気が薄いから寝ても疲れがとれない。
井上
そもそも、もう出発時点からトラブル続出で、現地で雇ったスタッフが賃上げを要求してきたりとか、辺境の村で酔っぱらいに絡まれてテントを破られたりとか、ラバが体調壊すとか。で、ラバが回復したと思ったら今度は自分たちが体調壊して、そしたら次はスタッフが…。

もう一生進めないんじゃないか? っていうくらい。つらかったなあ~。2回くらい本気でやめたくなりました(笑)。
田口
でも後半はだいぶ慣れてきて、標高の低い所に下りてくる区間にさしかかるころはだいぶ元気になりましたよね。
大倉
そうだね。前半が一番やばくて、後半になるにつれて調子は上がっていったね。
森山
やっぱり標高の影響はかなりある感じ?
井上
ほぼ全員が1回は高山病で39度以上の熱を出しました。環境としては、最寄りの病院が徒歩で1週間、車の通れる道路まで3日みたいな場所だったので、本来「39度出たら、即ヘリ」が普通らしいんですけど。
田口
遠征出発前に、低酸素室で測定を行って各隊員の高所適性を確認したり、自分を含めた3名はファーストエイドの講習に1週間泊り込みで参加して「この状況ならどう対処するか?」「どの時点で撤退やレスキュー要請を決断するか?」などの想定訓練も行い、万が一に備えてできる限りの準備と訓練をしていたんですが、全く想像以上でしたね…。
森山
さっき「高所順応」の話が出たけど、普通は目的地までできるだけ体力を温存して、最後の段階で集中的に順応行動をするよね。長期間標高の高いところにいると、逆に消耗してしまうと思うんだけど。
井上
…そこを考えていなかったんです。
森山
ダメじゃん(笑)。
井上
いやあ…「順応」より「馴化(じゅんか)」して、ネパール人になろうとしていたんです。
森山
なんじゃそりゃ(笑)。
井上
それくらいたくましくなりたいと。
森山
あと、昔の登山家がやったようなことをやりたかったとも言っていたけど、昔の登山家こそ、一番簡単な道を探して、できるだけ最短距離で目的の山に行くようにしていたはず。
田口
その通りです(笑)。
森山
いろいろ理屈は言うけれど、どうも、ただ1,000km歩いてみたかっただけと聞こえるなぁ…。
井上
間違いないです(笑)。でも「面白いこと」というのは、誰もやらないような、バカだと思われることだと思うんですよ。僕らは学生で、一人一人がまだ「特別あつらえの人生」を送ることを願っているし、全然それを諦めてないので。探検部は、それが特に強いんですけどね(笑)。

無念の失敗。だけど諦めたらそれこそ本当にバカらしい

森山
で、結局、目的の山は登れなかったんだよね。
大倉
そうです。
森山
どの辺まで行けたのかな。
大倉
ベースキャンプまであと30kmくらい、日数にして2日くらいのところで断念しました。標高で言えば4,000mくらいのところです。
森山
どうして最後まで行けなかったの?
井上
西の方は雪が遅いと聞いていたのですが、思いのほか雪が降るのが早くて、食糧や荷物を運んでくれていたラバやスタッフが、進めなくなってしまったんです。
森山
あと2日くらいだったら、自分たちで背負って行けないものかなぁ。
田口
自分たちだけなら行けたかもしれないんですが、同行しているネパール人スタッフが10人くらいいたり、ラバを20頭くらい連れていたりと大所帯だったので、なかなか小回りが利かなかったんです。
森山
そんなに!
田口
登山にはそんな大人数必要なかったんですが、現地の決まりがあって、同行しないといけなかったんです。後で知ったところでは、いろいろ抜け道もあったらしいんですが。
大倉
ラバやスタッフの問題だけじゃなくて、それまでにも体調不良でメンバーが脱落していたり、庄司さんも急用で帰国したり、トラブル続きでボロボロで。散々話し合ったんですが、隊全体を危険にさらすわけにはいかない、と。
森山
なるほど。トラブル続きの道中で、最後は雪にとどめを刺されて心が折れた、という感じかな。報告書に「自分たちがどれほど経験不足だったか」「どれだけ人に頼っていたか、自分で動かなかったか」と書いていたけれど、これは具体的に言うとどういうこと?
大倉
メンバーは10人いたんですけど、これだけいると、つい頼り合ってしまって、自分で動かなくなるんですよ。きっと誰かがやるだろうと。これが3人くらいだったら、「オレが動かなきゃこのチームは回らない!」という切迫感があるんでしょうけど、人数が多すぎるとついつい人に頼っちゃうんですよね。
森山
それは庄司さんに頼っちゃうということ?
大倉
それもあったし、隊員同士でも頼り合っちゃっていました。結果、ふたを開けてみると誰も動いていない。
井上
今にして思えば、すごく主体性のない隊だったなという印象があります。もともとOBが発案した計画だったということもあるんですけど、「これはオレの計画だ」という強い思いで取り組んだメンバーがいなかったように思います。僕自身を含めて。
森山
もうちょっと具体的に言うと…?
田口
例えばですね、単に1,000km歩くといっても、実際にそれをやり遂げるには、現地の研究とか許可関連の交渉とか、現地で雇えるラバや馬方を雇うにはどうするかとか、トレーニングとか、地道な事前の準備がたくさん必要になるんです。

先ほども言った通り、もちろん自分たちなりに事前準備はしていきましたが、もっと突き詰めてやっていれば分かることもあった。どこかで「ここはあいつがやっているだろう」と勝手に判断してしまっていたんだと思います。
井上
そこが僕ら探検部の強みでもあり、悪いところでもあるんですよ…。さっき話したように「探検」には発表やPRもつきものなので、デカいことやってやろうぜ! とブチ上げるのは得意なんですけど…。

ただ、そのデカいことを実際にやり遂げるには、具体的で地道な作業が欠かせないですよね。そこがまったく不得意で。森山さんの時代もそうだったんじゃないですか?
森山
まあ…そうかもね。
井上
デカいことをやるには、地道な積み重ねが必要なのだという当たり前のことを、あらためて痛感させられました。
田口
現地に飛び込んでみればなんとかなると思っていたんですけど、全く甘かったです。
森山
役割分担がきっちりできていなかったんじゃない? そういうことはチームマネジメントの基本だと思うけど…。
井上
おっしゃる通りです(笑)。ただ、そもそも探検部って、チームというよりはフリーランス集団なのかもしれません。サークルへの帰属意識も低くて、プロジェクト制で集まっているから、それがうまくいくときもあるんですが、今回のように…。
森山
だよね(笑)。
井上
そこも僕ら探検部の弱いところですね。これが体育各部の山岳部とかだったら、目的の山は変わっても、やり遂げるための方法論は変わらないですよね。でも探検部は毎回、やること自体が変わるわけです。

今回は1,000km歩いて未踏峰に登るという計画でしたが、インドネシアの未知の洞窟を探検することもあるし、ナイル川の源流に行くこともある。活動ごとに、やり方自体を手探りで作っていかなければいけないという弱点がありますね。
森山
その辺は僕がいた時代も同じだったけど、今でもOBは学生の活動にあまり口出ししない感じ? 助言とか指導とかはないのかな。
井上
基本的にないですね。現役学生主体で動いてます。ただ、活動のヒントや情報はくれますよ。OBの情報から着想を得てプロジェクトが始まることもありましたし、そもそも今回の発端は庄司さんのアイデアですし。ただ、今回は例外的と言えますね。
森山
山岳部のように、OBが密接に関わるということは相変わらずないわけだ。
大倉
ないですね。そこは自由にできるという良い面がある一方で、今回のように経験不足でつまらない失敗を重ねるという悪い面もあるところです。
森山
ヒマラヤに再チャレンジする予定はあるのかな。
田口
僕はやりたいと思っています。今回でいやというほど課題は分かったので、次はもっとちゃんと準備して、やり遂げたいです。メンバーは3~4人がいいかな。その方が小回りも利くし、何より個々人がもっと主体的に取り組めると思います。
森山
それくらいの方がいいんじゃない?
井上
今回の10人編成で、あらゆるトラブルを体験しました。メンバー同士で喧嘩(けんか)もたくさんしたり…。もうこんな大所帯では二度とやらないですね(笑)。

でも、僕も就職の内定を蹴ってしまったし、みんな休学したり借金までしてるのに、これで諦めたらそれこそ本当にバカらしいな、と。これからどうするかは、まだ考えているところですけど。4カ月歩いてる間もそれぞれ「ああでもない、こうでもない」って話して、次の冒険の計画ばっかり考えていたので(笑)。
プロフィール
早稲田大学探検部(公認サークル)「1000kmのヒマラヤ隊」
隊長・大倉 有紀也(おおくら・ゆきや)人間科学部4年
岡山県出身。県立岡山城東高等学校卒業。小学2年から高校まで野球部に所属。高校時代は岡山県ベスト4進出。探検部では前副幹事長を務め、大学1年次にはナイル川の源流を探しにルワンダへ遠征。趣味は麻雀で、在学中にプロ試験に受かることが目標だという。
副隊長・井上 一星(いのうえ・いっせい)政治経済学部5年
東京都出身。立教池袋高等学校卒業。中学・高校ではテニス部に所属。「筋肉質でもなく、名前もある意味”きらきらネーム”なので、『探検部』と言うとよく驚かれる」のだそう。尊敬する人は、探検部OBで作家の高野秀行さんと角幡唯介さん。2017年8月のロシア・カムチャツカ遠征では隊長を務めた。
https://www.waseda.jp/inst/weekly/attention/2018/04/17/42820/
医療係・田口 慧(たぐち・けい)教育学部2年
東京都出身。桐朋高等学校卒業。中学・高校では地学部に所属する一方、小さい頃からボーイスカウトの活動を行い、高校時代は個人的に登山もしていた。探検家の関野吉晴さんに憧れ、探検部に入部。強みはどこでも眠れることで、探検活動でも役立っているという。最近興味があるのは、自分で使うスプーンや石器などの道具作り。
取材・文:森山 憲一
登山とクライミングをメインテーマにするフリーランスのライター&編集者。1967年神奈川県横浜市生まれ、早稲田大学教育学部(地理歴史専修)卒。大学時代に探検部に在籍し、在学中4回計10カ月もアフリカに通い、ジャングルで未知動物を探したり未踏の岩塔に登ったりする。ノンフィクション作家として活躍する高野秀行は、探検部の2学年上で未知動物隊のリーダー。多大な影響を受けて人生を誤りました。 https://www.moriyamakenichi.com/
撮影:(ヒマラヤ)小野 寛志、田口 慧、(座談会)加藤 甫
映像制作:小野寛志
編集:横田 大(Camp)
デザイン:中屋 辰平、PRMO
撮影協力:
アララカララ
〒169-0051 東京都新宿区西早稲田1丁目9-6
電話: 03-5272-5949
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