- 年表は『キャンパスハンドブック』(2015年度発行版)に則り、学部情報のみ掲載。
- 記事内における名称・肩書きなどは、誌面掲載時の表記に則ります。
1960年~
高度経済成長のただ中に東京五輪開催。各大学で学生運動が盛んに。
1962 | 文学部校舎竣工 米国ケネディ司法長官来校 |
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1963 | 国際部設置 理工学部校舎竣工 大隈重信生誕125年記念祭開催 |
1966 | 本誌前身『早稲田』創刊 社会科学部設置 |
1号 1966年3月20日発行
創刊号が発行されたころ、学費・第二学生会館管理運営問題をきっかけに学園紛争が続き、学生ストライキやバリケード封鎖が行われていました。各学部長による学生・保護者に向けた文面からは。当時の緊迫した学内情勢が伝わってきます。
1970年~
あさま山荘事件や沖縄返還、2度のオイルショックが日本社会に衝撃を与える。
1970 | 第1回ホームカミングデー開催 |
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1974 | 第3次古代エジプト調査団、マルカタ遺跡より彩色階段発見 |
211号 1974年6月26日発行
菊池徹夫文学部講師(当時)による調査日誌には、約2ヵ月に及ぶエジプトでの発掘の日々がつづられています。マルカタ遺跡「魚の丘」で、エジプト第18王朝とみられる彩色人物像のある階段遺構を発見の際には、「丘の至るところに生々しい人骨、ミイラ続出」との記載が。他の研究者と夜通し激論を交わした様子なども書かれ、調査団の興奮が感じられます。
1980年~
バブル景気により日本中が沸き立つ。昭和から平成に改元となり、消費税(3%)スタート。
1981 | エクステンションセンター設置 |
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1982 | 創立100周年記念式典 |
1987 | 人間科学部設置 |
429号 1982年10月28日発行
記念会堂で行われた創立100周年の記念式典には、世界22カ国67大学から約5000人が集いました。「早大は世の中に結びついて初めて存在意義がある」「甘えのない厳しい大学に」と、校友の井深大(まさる)(SONY創業者)による叱咤激励の祝辞が贈られました。
1990年~
バブル崩壊。地下鉄サリン事件や阪神・淡路大震災が起こる。「失われた10年」。
1991 | 総合学術情報センター開館 |
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1993 | 米国クリントン大統領来校 |
1998 | 會津八一記念博物館開館 |
号外 1993年7月15日発行
第19回先進国首脳会議(通称『東京サミット』)に出席するための来日に際し、日本の学生と対話を行いたいという大統領側の意向で実現した講習会。米国の現役大統領が日本の大学を訪問するのは史上初のことだったとか。実際に講習会を見た学生のレポートでは、大統領がユーモアを交えたスピーチで聴衆を魅了した様子や、入場時の厳戒態勢について書かれています。
2000年~
インターネットが急速に浸透。アメリカ同時多発テロや世界金融危機で世界情勢は混乱。
2003 | スポーツ科学部設置 |
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2004 | 国際教養学部設置 |
2007 | 文化構想学部、文学部、理工3学部設置 創立125周年記念式典 |
2008 | 「早稲田キャンパス」名称変更 胡錦濤中国国家主席来校 |
1023号 2004年4月8日発行
国際教養学部(SILS)開設を受けて始まった月イチコーナー「出島Diary」。ポール・スノードン国際教養学部教授(当時)によって、知られざるSILSの実情が英語記事で紹介されました。第1回は、当時SILSの拠点だった22号館がまるで長崎の「出島」のように他の学部から切り離された場所だと感じる。SILSの学生はこの孤立したコミュニティーの一員として扱われてほしくないと、教授の思いがしたためられています。
2010年~
東日本大震災・福島第一原子力発電所事故発生。スマホ・SNSが爆発的に普及した。
2011 | 東日本大震災復興支援室設置 |
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2012 | 「Waseda Vision 150」発表 野田佳彦総理大臣講演 |
2013 | 6学部でクォーター制導入 |
2014 | 中野国際コミュニティプラザ開館 |
2015 | 早稲田小劇場どらま館竣工・こけら落とし公演上演 |
2016 | 本誌Webマガジンへリニューアル |
1284号 2012年7月19日発行
東日本大震災発生直後より、早稲田大学では継続して復興支援を行っています。震災支援活動については例年特集を組んでおり、この記事では「早稲田から”絆”を!」と題して、平山郁夫記念ボランティアセンター(WAVOC)の気仙沼チームと、卓球部の活動などについて紹介しました。