
披講は神社などにおいて神前披講などの形でも行われます。右手奥が筆者(2010年10月熊野本宮大社にて)
教育・総合科学学術院教授 園池 公毅(そのいけ・きんたけ)

教育・総合科学学術院教授。専門は植物生理学。写真は歌会始で着用するモーニング姿。「本を書くのも趣味で、『植物の形には意味がある』という一般向けの本が文庫(角川ソフィア文庫)になったのが2022年のうれしい出来事でした」と語る
歌会始(うたかいはじめ)という新年の宮中行事を御存じでしょうか。毎年1月中旬にNHK総合テレビで生中継されますが、平日の午前10時半からなので、学生や堅気の職を持っている方は、ご覧になったことがないかもしれません。全国から詠進された二万首ほどの歌の中から選ばれた十首の預選歌を、両陛下の御前で「古式ゆかしく」と表現される節をつけて詠じる(これを披講と言います)儀式です。この歌会始に初めて出席したのが昭和59年、以来40年、ほぼ毎年披講の諸役を務めてきました。歌会始の日は大学を休んでおりますので、オフタイムと言えばオフタイムでしょう。
この歌会始には、昔から早稲田大学の出身者が多く関わってきました。預選歌を選ぶ選者には、文学部出身の窪田章一郎さん、武川忠一さん、篠弘さん、内藤明さん、政経学部出身の三枝昂之さんなどがいらして、窪田さん、武川さん、内藤さんは早稲田で教授を務めていらっしゃいました。
これらの方々とは異なり、僕は植物生理学を専門とし、光合成を主に研究している理系の研究者です。「なぜ理系なのに?」と聞かれるのですが、実は、歌人には理系の人がよく見られます。斎藤茂吉さんは精神科医でしたし、歌会始の選者では、岡井隆さんはお医者さん、永田和宏さんは細胞生物学者です。岡井さんは、「なぜ医者が歌なんか詠むんだ」とよく聞かれるとおっしゃっていたので、「どう答えるのですか」とお聞きすると、「歌は学生時代から詠んでいる。医者が歌を詠んでいるのではなく、歌人が医者をしてるんだ」と答えるとのことでした。その意味では、僕も披講を習い始めたのはまだ大学の学部生の時で、学位をとって研究者になったのは、歌会始で披講諸役を務めるようになった数年後ですから、「披講諸役が光合成の研究をしている」と言えるでしょう。歌の世界では文理両道はそれほど珍しいことではありません。
歌会始の披講諸役をしていると、自分も歌を詠進しなくてはなりません。長く歌を作っていると、たとえ下手でも一種の楽しみになります。仕事で頭がいっぱいになった時に、何もせずに休もうとしても心が張り詰めたままになってどうしようもないことがあります。しかし、そのような際に歌を考えると、余計な緊張がほぐれていきます。自分の専門としてやっているわけではないからでしょう。オフタイムへの切り替えに歌が役に立っているわけです。

須賀神社(栃木県小山市)での奉納蹴鞠。中央の赤い装束が筆者。視線の先、中央右手に白い鞠が上がっているのが見えます(2012年5月)
この他、純粋な楽しみとして、蹴鞠(けまり)のまね事もやっています。蹴鞠もまた日本の伝統文化の一つですが、もともとは公家の遊びです。鞠を落とさずに上げ続けるところは、サッカーのリフティングに似ています。しかし、鞠は、革でできた紙風船のようなもので、サッカーボールと違って圧力はかかっていませんから、飛び方は柔らかです。また、数を競うことはあっても、勝敗がつくわけでもありません。自分たちで作った鞠を仲間と蹴っていると、体も心もほぐれます。

作製途中の鞠。二枚の半円形の鹿革を背革の紐で綴じ合わせて作ります。この後、胡粉(ごふん)と膠(にかわ)を表面に塗って真っ白の鞠となります
歌もたしなみ鞠も蹴ることを称して歌鞠(かきく)両道といいます。人生はバランスが大切ですから、オンタイムとオフタイムをうまく切り替え、歌鞠両道、文理両道をこれからも続けていきたいと考えています。