創造理工学部(2015年3月卒業)
野本 貴大
「ノーボーダー」実践の場を求めて
私が「ICCノーボーダー・スキー&スノーボード・キャンプ」に参加しようと思ったきっかけは、ひとえに「ノーボーダー」という言葉に惹かれたからです。このキャンプでは、「ノーボーダー・ルール」というICC独自のルールが適用され、実名はおろか国籍、学部、学年、年齢を言うことも尋ねることもNGとされていると知り、普段の生活では到底体験できないような経験を得られると考えました。もともと私は、敬語や国籍さえなければもっと多くの人と親しくなれるのにと考えていたので、それを実践する良い機会だと思ったのです。
そんなことを考えながら実際にこのキャンプに参加してみて、次の二つのことを感じました。
敬語なしというバリアフリー
一つ目は、年齢の公表がないと参加者同士の会話に敬語がなくなり、敬語がないと年齢の壁がなくなるということです。私は普段から、後輩には敬語を使って欲しくないと言って接していますが、私自身は年上の人に対して敬語を使うようにしています。なかには敬語を使われないことで不快に感じる人もいると思うからです。ところが、このキャンプでは年齢を隠して交流しているため、敬語を使う場面がまったくなく、誰とでも平等に、クラスメートのような感覚で気軽に接することが可能になります。日常生活において敬語を使用することで、自分がいかに相手との間に大きな壁を作ってしまっているかということに気づき、もったいなく感じました。
「どこから来たの?」はタブー
二つ目に、ステータスに関する話ができない分、自分自身の経験や人間性を人に理解してもらおうと努力する重要性を痛感しました。普段、創造理工学部生の私が誰かとコミュニケーションを取る際には、「理系の学生」であることが話題のひとつになることが多いです。また、社会においては常に「早稲田大学」という看板を(嫌でも)背負っている自分がいますし、「早大生」として見られています。私はずっと、これらのステータス自体なんの意味も持たないし、重要ではないと考えていました。そして今回、一切の属性情報を隠したコミュニケーションを体験することで、思考や経験などから自分を表現することの面白さを覚えました。例えば、通常留学生と話をするときは、多くの人が「どこから来たの?」という質問から話を始めると思います。しかし、このキャンプではそれが通用しません。自分の知っていること、経験してきたことを唐突に話すので、社交辞令がなくなります。また、自然とお互いの共通点を探すため、親しみをもって接することができました。結果として、人と仲良くなるためのステップをひとつ省いた関わり方が経験できたと思っています。
卒業を前に
大学生活最後の春休みに参加したこのノーボーダー・キャンプで、様々なことを考え、学びました。いつもは自分のことを理解してもらおうとしがちな私ですが、一風変わった「ノーボーダー・ルール」下のコミュニケーションを通して、自分のことを理解してもらうためには、まずは自分が相手のことを理解することが大切だと再認識しました。そうして他者への理解を深めることこそが、異文化理解なのだろうと思います。
また、ステータス嫌いな自分ですら、普段の生活では想像以上に様々な「ボーダー」に影響されながら暮らしているのだということも意外な発見でした。自分にとっては「意味を持たない」と感じるステータスであっても、国籍、年齢、所属…といったものが「社会的な自分」を形成していることもまた事実です。私はこの春早稲田大学を卒業し、他大の大学院に進学しますが、広い社会に出ても目の前の相手の本質を見極め、その人間性を大切にできるような人になりたいと強く思っています。