原口記念アジア研究基金とは

校賓*原口歌氏の篤志による寄付金(遺贈寄付)をもって早稲田大学が開設したインドネシアを中心とする東南アジア研究の発展を図るための研究基金である。

原口歌氏は、原口竹次郎(元本学教授)・志げをの3女として、大正9(1920)年1月18日台北に生まれた。1929年、日本で教育を受けるため、父親を残し母親・姉妹3人とともに帰国し成城小学校に入学、山谷小学校を卒業後、雙葉女学園を経て東京藝術大学ピアノ学科を卒業する。戦後はピアニストとして活躍し、1950年秋に早稲田大学大隈講堂でリサイタルを開いたこともある。1955年にはトーマス・マンが身元引受人となり1年間スイスに留学した(当時新聞でも大きく報道)。その後、国立音楽大学ピアノ科教授となり、多くの後進を育成し定年後は名誉教授となる。2009年8月9日没(享年89歳、受洗名セシリア、目白・東京カテドラル大聖堂に眠る)。

父親原口竹次郎(1882-1951)は、大隈重信侯と同郷の佐賀出身で早稲田大学と改称された明治38(1905)年最初の文学科総代として答辞を読んでいる。卒業とともに特待生に選ばれ、3年間の欧米留学をするなど草創期の早稲田が生んだ俊秀の一人であった。しかしながら大正期のいわゆる「早稲田騒動」に関わった事が原因となり、永井柳太郎、大山郁夫らとともに相次いで学園を去ることになった。その後は台湾総督府高官(統計官・調査課長)、1936年定年後は蘭領東インド(現インドネシア)で鉱山業・貿易に従事、戦後はオランダ大使館顧問として波乱に富んだ生涯に幕を閉じた。大隈侯とはもう一つの“因縁“がある。それは侯の誕生日2月16日が原口竹次郎の命日であるということである。なお生涯独身であった歌氏は、父竹次郎氏を深く尊敬し、戦後引き揚げた父親を青山の自宅で死去するまで一人で世話をした。

原口歌氏が早稲田大学に対して遺贈寄付の申し入れを行った経緯は以下のとおりである。早稲田大学後藤乾一名誉教授(元・大学院アジア太平洋研究科教授)は専攻との関係で原口竹次郎氏を「南方調査の先駆」として位置づけ、評伝としてまとめてみたいと願っていた。そのため1984年から青山にお住まいの原口歌氏(当時は国立音大学名誉教授)をたびたびお訪ねし、父竹次郎氏についてのお話を伺い、また数々の資料提供を受けてきた。その成果は、1987年早稲田大学出版部より『原口竹次郎の生涯―南方調査の先駆―』として上梓された。

出版に至る過程で歌氏は、自分の没後その遺産を父親ゆかりの地であり、また後藤乾一名誉教授の研究対象地域の一つでもあるインドネシアについての研究等に役立てていただきたい、ついては早稲田大学社会科学研究所(現・早稲田大学アジア太平洋研究センター)に「指定寄付」という形で遺贈したい旨、何度か吐露され、「遺言公正証書」として登記を済まされた。その後2009年8月9日、歌氏が89歳で逝去され、「遺言公正証書」に従い、顧問弁護士を通じて早稲田大学に遺贈寄付の申し入れがなされた。当学は2010年10月にこれを受理し、2011年1月に「原口記念アジア研究基金」を開設することとなった。

*「校賓」とは、特別な功労により早稲田大学の発展に対し多大な貢献のあった人物を称える名誉称号である。