School of Social Sciences早稲田大学 社会科学部

【社会科学部報No.52掲載】出てこい、「出る杭」。

【社会科学部報No.52掲載】出てこい、「出る杭」。

1989年卒 中川 智博さん

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Profile
中川 智博
東海高校出身

リクルートコスモスを経て、総合不動産コンサルティング会社である株式会社リオを設立。不動産に関わる全ての問題について「ワンストップ」で解決するビジネスを展開し、さまざまな事業の資産運用・再生をサポートしている。

Q. 学生時代、どのような生活を送られていましたか?
A. 僕は二浪して入ったのだけど、高校時代の友人が多く早稲田に進学していたので、上京して1年目なんかは彼らとよく一緒にいました。東京、早稲田に対する憧れもとても強く、受かったときは本当に嬉しかった。中高は男子校だったので、大学は女の子の友達も作るぞと思っていましたね(笑)僕は中学ではとても成績が良かったんだけど、高校3年間サボってしまって、浪人したらできるだろう、なんて思ったら全然できなくて。自分の凡人さをすごく痛感した。だから、大学では、次のステップの就職の時は、少なくとも自分より先に就職した友達を追い抜こう、というような意識が高かった。高校時代の友達って、僕が1年の時にみな3年生。入学してからすぐ彼らと同じ感覚で就職のことを考えられたことも良かったかもしれないね。あと学生時代の大きいことはカミさんとの出会いかな。大学の同級生だったから、大学の行事が一緒になる。そして大学のイベントも一緒に愉しんで、早稲田一色になった。大学がすごく好きになった。カミさんちは、両親もお兄さんも慶應出身だったんだけど、彼女は駅伝も野球もラグビーも強い早稲田にどうしても来たかったみたい。

Q. 社学で良かった、と思われたことは?社会科学部の良いところは?
20_4A. 社会科学部はいろいろなことを学べる。だから、楽に単位を取ろうというよりも、学びたいものを学ぼうと思って授業を選んだかな。今は世の中、求められるのはジャッジができる人間で、自分がそこで何を学ぶか、とか、何がしたいか、とか、これはやるべきか、やらないべきかっていうのを決める力、総合力がすごく必要なのだと思う。 今、ほとんど、サラリーマン社長にしても、起業社長にしても、営業畑とか財務畑出身というような、全体を見て判断できる人が多い。何がドコでどう動いてどうなっているかわからないから、そのためには、少なくとも営業が分かる、技術も分かる、財務も分かる、人事、経理も分かるという人間じゃないと、怖くて思い切って動けない。それが今の流れで、いろんな大学がいろんな学部を作っている傾向だと思うんだけど、そういう意味では社会科学部って、経済を、法律を、会計を・・・って、とても良いよね。

Q,社会科学部で培われたものが、今に生かされていると思われますか?
A. 今生かされるのは、教室での勉強もだけど、それよりも友達とか、人かな?自分が「何をしたらいいんですか?」って聞きに行くと、「じゃあお前は何やりたいの?」って聞かれるじゃない。で、すごく自問自答したんですよ。それではっきりしたのが、僕は「起業したい」って。実はたまたま、祖父が東海東京証券の社長だったこともあり、色々な人の話を聞ける環境にいられた。一番言われたのは、語学力。それに世界を見なさいといわれたな。あと、簿記。数字がわからないといけないと言われて、勉強して、それはかなり役に立っている。その頃は今みたいにジャッジが必要だ、って意識はなかったけれど、簿記ができれば日本経済が読めるよと言われて、実際、そうだと今になって思うよ。

株式会社リオ

株式会社リオ

Q. 学生時代から不動産にも関心があったのですか?
20_3A. 卒論では、不動産モーゲージ、いわゆる不動産の証券化っていうのを書いたんだ。もともと金融と不動産が好きだったので、そのふたつは必ず一緒になると考えていた。以前は、それが融合することなんてありえないと思われていたんだけれどね。ゼミの内容もそういったもので、丁度85年にプラザ合意があって、それ以降影響の強かった前川レポートをすごく勉強した。それで、これは将来こうなるだろうと思った。

Q. 進路を決めた理由は?
A. リクルートのチャレンジができる雰囲気にすごく惹かれて。リクルートのような会社で、不動産と金融というキーワードで探して見つかったのが、リクルートコスモスだった。でも、もともと起業しようと思って入ってるから、就職自体が起業のための訓練所みたいなものだったのかもしれない。このリオっていう会社、平成3年には登記上発足してるの。その時は、まだリクルートにいるんだけどね。僕は未だに金儲けをしたいとは思っていない。リクルートコスモスにいてすごく感じたのは、とても良い会社で大好きだったんだけど、結局、不動産屋というのは、必ず利益相反が生まれる仕事で、それがすごく嫌だった。俺は地主に対して今は売らないほうが良いぞ、そのままにしておいて、これはうちじゃなくて別のところに売った方が良いぞ、っていうアドバイスをして、それで商売を成り立たせたかった。
会社に入ってからは、起業しようと思う半面、準備も万端なんだけど、保守的になっていたこともあった。リクルート自体が楽しかったこともある。でも、やっぱり夢にかけよう、と思ってね。それで、カミさんと二人で平成9年の頭から自宅の一室を事務所にして立ち上げた。それは勇気というより、先行して起業した人たちが活躍しはじめて、ゴールドクレストとかフージャースコーポレーションなんかに対する憧れだったね。彼らに会うたびに輝いて見えた。俺もその予定じゃなかった?って。若い人には、”世の中厳しい”なんて思わないで、世の中甘いぞ、どんどんチャレンジしろと言いたい。

Q. チャレンジができないとき、判断に迷うときには?
A. 努力すること。判断することができるための知識や情報を持つこと。今の僕の仕事も、ほとんどは判断。その判断が正しければ会社ってうまくいくし、間違えたら会社がうまくいかない。たくさんの情報がないと、判断は間違う。  それから、常に今を考えるのではなく、5年先を考える。5年先から自分を逆算していくと、判断って先を見るようになるよね。過去の記録、記憶から判断するのではなく、先の予想から判断すること、かな。

Q. 5年後を見据えられなかったり、情報に振り回されてしまうこともありますよね。
A. これだけ複雑多岐な世の中になると、5年後を見据えて判断しても、確かにその5年後っていうのが正しいのかどうかって、はっきりいって誰も分からない。世の中で勝っていく人は、変化に対応できる人。僕が言いたいのは、5年後を考えなさい、ということ。それが正しいかどうかなんて、どうでもいい。考える習慣をつけなさいということかな。格好よくなくてもいいじゃないか、どんな体制になっても生きられる自分にする、っていうのが大事じゃないかな。 将来のために資格を、という人がいるけれど、資格は、持っていればいいものじゃなくて、使わないと全く意味がない。もっている知識をジャッジのために使う。ボクも資格を目指して断念したことがある。けど、勉強したことは絶対にムダにならない。記憶力がなくて試験結果が出なくても、応用力をつけられて、自分を豊かにする勉強ができれば良いんじゃないかな。

Q. 今後の夢や目標を聞かせてください。
A. 若い優秀な人を育てたいと思う。ボクがリクルートにしてもらったことを若い人に伝えたい。こいつは、と思う人間はどんどん昇格させていくし、うちの会社に残っても、出て行ってもいいと思っている。そういう人間をたくさん世の中に輩出して、自分が60歳くらいになったときに、そういう人たちを集めてそれで飲み会が出来ればそれで幸せかな。「お前、そんな活躍してるのか」って人をたくさん育てられたら、すごく嬉しい。

Q. 今の社会科学部生に向けてメッセージを。
A. 今だからこうやって言えるけど、自分がまだ学生のときに、ジャッジはできなかった。悩んでいるのは当たり前で、いいんですよ。うちの会社では、「分をわきまえろ。」なんて絶対に言わない。分をわきまえろ、ってことは自分の百パーセントの力を出すな、ほどほどで終われよってこと。出る杭はどんどん引き抜くくらいに伸ばしたい。ベンチャースピリットを持っていてほしい。そして自分が何だったら勝てるかってことを考えて、それに夢中になってほしいです。

「百聞は一見にしかず」とは言いますが、中川さんはさらに「話すこと」を大切にされていました。自分の意見をまとめて話してみると、それに対し返ってくる言葉が本何十冊分よりも重い。社員の話も真摯に受け止める企業のトップ、この人についていきたいと思う社員も多いのではと感じました。

(聞き手・構成:志熊万希子)
掲載:社会科学部報No.52

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