Special Report
平昌、そして東京へ 躍動のリオデジャネイロ
2016年の8月から9月にかけて開催されたリオデジャネイロオリンピック・パラリンピック。
早稲田大学から多くの校友・学生が出場しました。
リオで躍動した「Waseda」の足跡を振り返りつつ平昌と東京、未来のオリンピック・パラリンピックを見据えた取り組みを紹介します。
リオデジャネイロ・オリンピック競泳 出場選手インタビュー
リオデジャネイロオリンピック・パラリンピックで活躍した選手に、大会を振り返っていただきつつ、今後の抱負をお聞きしました。
初の大舞台に緊張はなかった
メダル獲得、おめでとうございます。おふたりにとってオリンピックとはどのような舞台ですか。
瀬戸大也
オリンピックは夢の舞台であり、目標はそこで金メダルをとること。水泳を始めた頃からその軸がぶれたことはありません。
坂井聖人
僕は大也さんと違って、オリンピックは手の届かない世界だと思っていました。ただ目の前の大会に集中して、全力を尽くす。その繰り返しで、気がついたらオリンピックに出場していた、という感覚です。
瀬戸
今回が初めてのオリンピックでしたが、しっかり準備できた手応えもあって全く緊張しませんでした。ただ結果については、「悔しい」のひと言。世界水泳などで1位になり、気の緩みがあったのかもしれません。その意味で、東京で良い結果を必ず出し、今回のリオでの経験が糧になった、と言いたいですね。
坂井
僕も課題の持久力を強化してきたことが自信になって、リラックスして臨めました。銀メダルという結果には大興奮しましたが、金メダルのフェルプス選手とわずか0.04秒差だったことを知ってからは、悔しい気持ちが先行して。この借りは、東京で必ず返します。
充実した早稲田の環境
話題は変わって、早稲田大学に入学した理由について教えてください。
瀬戸
僕は大学が何なのかも理解していないような幼い頃から、「早稲田」という名前だけは知っていて、「日本一かっこいい大学」だと思っていました。大学では珍しく、室内の長水路プールがある環境も魅力的でしたし、進学先で迷ったことはないですね。実は高校の時、大会で一緒になった聖人を早稲田に勧誘したのも僕なんです。
坂井
そうですね。進学先として早稲田を意識するようになったのは、大也さんの言葉がきっかけでした。あと、トップアスリート入試による入学で、奨学金を受給できる制度があることも背中を押しました。遠征費などで負担をかけている親に、少しでも楽をさせてあげたいとの思いは強かったです。
学業との両立はいかがですか。
瀬戸
例えば、試合参加証明書を受け取る際の手続きがスムーズになるよう対応していただいたり、先生と連絡を取り合って、授業出席相当の課題を出していただいたり、充実したサポートには非常に助けられています。おかげで今は卒論を残すのみ。無事、卒業できそうです。でも聖人はまだまだ気が抜けないね。
坂井
はい……。授業と練習のため、所沢キャンパスに張り付いている状況です。僕も大也さんのように余裕のある4年生を迎えるため頑張ります。
東京で金をとるのは僕だから
最後に今後の抱負をお願いします。
瀬戸
早稲田は僕にとって「誇り」。いつもその看板を背負って戦ってきたつもりですし、卒業後も思いは変わりません。それと、聖人には、今後も一緒に日本のバタフライを盛り上げたいので、「引き続き、よろしく」と言いたい。ただ、東京オリンピックで金メダルをとるのは僕だということは、宣言しておきます(笑)。
坂井
僕は僕らしく、あまり先のことは考えず、まずは国際大会でのメダルを目標に取り組みます。その積み重ねで、東京オリンピックの金メダルに手が届くはず。そう信じています。
取材こぼれ話 笑顔の絶えない瀬戸選手と坂井選手
終始リラックスした雰囲気でインタビューに応えてくれたお2人。互いに冗談を言い合うフラットな関係が垣間見えました。先輩・後輩の垣根なく和気あいあいとした雰囲気は水泳部のカラーなのだそう。そんなのびのびとした環境が、強さの秘けつかもしれません。