Graduate School of Japanese Applied Linguistics早稲田大学 大学院日本語教育研究科

その他

川上郁雄(日研教授)『今だから話せる日研着任前の話――「年少者日本語教育」から「移動する子ども」学へ』

現職:早稲田大学大学院日本語教育研究科 教授

私が日研に着任したのは2002年4月だったが、その1年ほど前に、新宿駅近くのホテルのロビーで、私は、初代の研究科長の吉岡英幸先生と細川英雄先生、宮崎里司先生に会った。当時、まだ宮城教育大学の教員だった私に、吉岡先生は「子どもの日本語教育をやってほしい」と言われた。学校や地域で外国人の子どもに関わる人たちから要望や質問がたくさんあるとも言われ、これから社会的なニーズも出てくるから、ぜひこのテーマの研究室を立ち上げてほしいということだった。吉岡先生はお酒を飲まれないので、すぐ帰られた。細川、宮崎両先生と、ちょっと飲もうかとなったが、その道すがら、細川先生が「(吉岡先生はあんなふうに言うが)何をしてもいいんだ。好きなことをやればいい」と言われた。細川先生と私は、日本事情教育で出会ったのが最初だったから、私への配慮もあったのだろう。しかし、私は、吉岡先生の提案を聞き、いよいよ私が思い描いていた時代が来ると予感した。

1980年代後半、大阪大学大学院博士課程にいた私は、在日ベトナム難民家族の調査を行っていた。その研究はのちに博士論文として大阪大学より学位を授与されたが、その中に子どものことが含まれていた。(川上郁雄「ベトナム人子弟の言語生活と言語教育」『日本語教育』1991、第73号)。その後、国際交流基金からオーストラリア・クィーンズランド州教育省に派遣され、初等中等教育の子どもたちへの日本語教育アドバイザーを務め、1993年に宮城教育大学に赴任、1995年に「みやぎ児童生徒の日本語教育を考える会」を立ち上げ、宮城県内で日本語を学ぶ子どもたちへの日本語教育を実践研究した。加えて、2001年より、文部科学省の「JSLカリキュラム」開発委員を務めた。

そのような流れの中で、私は日研に着任することになった。着任直前に、細川先生から研究室の名前をどうするかと聞かれ、何度かやりとりした後に、細川先生より「年少者日本語教育」が提案され、それに決定した。「年少者日本語教育」は、いまでこそ、学界内でも市民権を得たが、10年前は、それすらなかった時代であった。

日研に来て10年目に入った今年2月、この10年間に私が日研で考えてきたことをまとめて刊行した(川上郁雄『「移動する子どもたち」のことばの教育学』2011、くろしお出版)。それは、「年少者日本語教育」を足場にしながらも、「移動する子ども」の視点から、ことばと人の新しい研究、「移動する子ども」学を立ち上げようという宣言でもあった。日研は、私にとって、港のようなものだ。さまざまな刺激とエネルギーが得られ、出帆と寄港を繰り返し、新しい発想と旅立ちを準備すする場所だ。さあ、これからどこへ向かうだろう。「移動する子どもたち」と大海原に、いざ出発だ、これからの10年の航路を思い描きながら。

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