enpaku 早稲田大学演劇博物館

当館について

館長よりご挨拶

ごあいさつ

早稲田大学演劇博物館第9代館長 児玉竜一

早稲田大学坪内博士記念演劇博物館(通称「演博」=エンパク)は、2028年に創立100周年を迎えます。
1928年10月27日、午後1時から挙行された開館式において坪内博士、すなわち坪内逍遙は有名な講演をおこないました。その原稿が残されています。少々意訳すると逍遙は、<この建物は、今でこそ空っぽの、中味の乏しい倉庫か容れ物のようなものですが、いずれ我が国のために、また世界中の国々のために、新しい文化を養い育てるゆりかごの役目を果たす日が来ることを、私はひそかに期待し、かつ信じています>と述べました。同時に、演劇博物館が収集すべき資料や文献は、ひとつの時代や国に限定されるのではなく、すべての時代、すべての地域にわたるべきである、との理想を掲げました。
それからおよそ100年、演劇博物館は、坪内逍遙の理想の通り、古今東西のあらゆる演劇にかかわる膨大な数の資料を集めてきました。<演劇にかかわるモノなら、なんでもある>、それが、演劇博物館が理想とするところです。
膨大な収集を可能にしたのは、まず第一には、世界中から当館に資料を寄贈してくださった方々のおかげです。第二には、そうして蓄積されてゆくコレクションを見極めて、さまざまな点を補うべく収集や購入の努力を続けてきた歴代の館員たちの精勤のたまものです。そして、それらを必要としてくださる方々があってこそ、収集した資料は光を放ちます。資料に意義を与え、価値を発見してゆくのは、来館者や利用者の方々でもあります。
演劇博物館では、これらのコレクションを核として、常設展と企画展を柱に、大小さまざまな展示やイベントを仕掛けて、演劇文化の魅力を広めて参ります。

演劇博物館は、博物館であると同時に、演劇書に関する日本最大の図書館です。しかもこの図書館は利用資格を一切制限していませんので、早稲田大学のなかでも、最も社会にむけて広く開かれた場所であると申せましょう。
1953年10月31日の創立25周年式典にあたって寄せられた、松竹株式会社・大谷竹次郎会長(当時)の祝辞の録音が残されています。
「この図書館が盛んであり、この図書館の盛んな姿を見るたびごとに思うことは、日本の演劇が滅びるとか、なくなるとかいう一部の声は、ほとんど無駄な声でありまして、この図書館を通じて演劇を研究なさる方のある間は、日本の演劇は衰微もいたさなければ、滅びるものではありません。ますます盛んになるものだと、深く信じるゆえにおきまして、われわれ演劇関係者といたしましては、心からのお慶びを申し上げる」
ここでいう「日本の演劇」は、こんにちでは「世界の演劇」と置き替えてもいいでしょう。演劇博物館は、こうしたご信頼に応えて参ります。

このたび館長となりました私、児玉竜一は歌舞伎や文楽を中心に研究しています。副館長に任命した和田修は、歌舞伎と民俗芸能を中心に研究しています。この組み合わせは、演劇博物館が歌舞伎を中心とする日本演劇に特化してゆくことを示しているのではありません。演劇博物館が抱える膨大な範囲は、館長と副館長の守備範囲だけでは、とうていカバーしきれるものではないという認識にもとづいています。坪内逍遙が示した広大な領域に加えて、映画や映像分野にまで広がっている領域を視野に収めるために、学内はもとより、学外の専門家のみなさんのご意見等もあおぎながら、演じること、見ることにかかわる、すべてのジャンルのために役立つ機関であり続けたいと念じております。

演劇博物館は、世界中におられる利用者の方々の便宜をはかるために、最大限の努力をしてまいります。利用者のなかには、数十年後、それよりさらに先の世の利用者の方々も含まれますので、資料保存のために現在の利用者のみなさまにご不便をおかけする場合も生じます。その点はなにとぞお許しいただきたいと思いますが、幸いにして、現在ではデジタルアーカイブその他の利用によって、資料を閲覧していただくことも可能になっています。演劇博物館が2000年に、所蔵する40000点以上の役者絵の画像をいちはやく全世界に開放したことは、役者絵の研究の進展に大きく寄与したと自負しております。演劇の収録動画を公開する試みもJDTA(Japan Digital Theatre Archive)として始動をはじめております。番付やパンフレットをはじめとする一次資料の公開も進めておりますし、それらにもとづく上演史に関わるデータベースも多数公開しています。これらの流れを絶やすことなく、より多くの資料を利用しやすく供することで、学術研究のために、演劇創造のために、学生諸君の研鑽のために、文化の普及のために役立つよう努めて参ります。
どうぞ、みなさまのお力添えをお願い申し上げます。

演劇博物館の歴史

演劇博物館は、1928(昭和3)年10月、坪内逍遙博士が古稀の齢(70歳)に達したのと、その半生を傾倒した「シェークスピヤ全集」全40巻の翻訳が完成したのを記念して、各界有志の協賛により設立されました。以来、演劇博物館には日本国内はもとより、世界各地の演劇・映像の貴重な資料を揃えています。錦絵48,000枚、舞台写真400,000枚、図書270,000冊、チラシ・プログラムなどの演劇上演資料80,000点、衣装・人形・書簡・原稿などの博物資料159,000点、その他貴重書、視聴覚資料など、およそ百万点にもおよぶ膨大なコレクションは、90年以上培われた“演劇の歴史”そのものといえるでしょう。1987年(昭和62年)には新宿区有形文化財にも指定されました。演劇人・映画人ばかりでなく、文学・歴史・服飾・建築をはじめ、様々な分野の方々の研究に貢献しています。

建築様式(意匠)

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演劇博物館は坪内逍遙の発案で、エリザベス朝時代、16世紀イギリスの劇場「フォーチュン座」を模して今井兼次らにより設計されました。正面舞台にある張り出しは舞台になっており、入り口はその左右にあり、図書閲覧室は楽屋、舞台を囲むようにある両翼は桟敷席になり、建物前の広場は一般席となります。このように演劇博物館の建物自体が、ひとつの劇場資料となっています。
舞台正面にはTotus Mundus Agit Histrionem“全世界は劇場なり”というラテン語が掲げられています。

歴代の館長

初代 金子 馬治 1929年(昭和4年)4月22日~1934年(昭和9年)10月28日
二代 河竹 繁俊 1934年(昭和9年)10月29日~1960年(昭和35年)3月31日
三代 飯島 小平 1960年(昭和35年)4月1日~1970年(昭和45年)10月31日
四代 倉橋 健 1970年(昭和45年)11月16日~1988年(昭和63年)11月14日
五代 鳥越 文蔵 1988年(昭和63年)11月15日~1999年(平成11年)3月31日
六代 伊藤 洋 1999年(平成11年)4月1日~2004年(平成16年)3月31日
七代 竹本 幹夫 2004年(平成16年)4月1日~2013年(平成25年)3月31日
八代 岡室 美奈子 2013年(平成25年)4月1日~2023年(令和5年)3月31日
九代 児玉 竜一 2023年(令和5年)4月1日~

歴代の副館長

初代 河竹 繁俊 1928年(昭和3年)7月1日~1934年(昭和9年)10月28日
二代 印南 高一 1960年(昭和35年)5月1日~1962年(昭和37年)
三代 安藤 信敏 1966年(昭和41年)6月9日~1976年(昭和51年)9月15日
四代 竹本 幹夫 2001年(平成13年)4月1日~2003年(平成15年)3月31日
五代 秋葉 裕一 2004年(平成16年)4月1日~2012年(平成24年)9月20日
六代 岡室 美奈子 2012年(平成24年)9月21日~2013年(平成25年)3月31日
七代 児玉 竜一 2013年(平成25年)4月1日~2023年(令和5年)3月31日
八代 和田 修 2023年(令和5年)4月1日~