早稲田大学東洋哲学会 第二十三回大会
〈日 時〉 二〇〇六年六月十日(土)
〈会 場〉 早稲田大学文学部 三十三号館二階
第一会議室
〈研究発表および講演要旨〉
【研究発表】
『紫度炎光経』の成立について
廣瀬 直記
本発表では、原本『紫度炎光経』の編纂経緯について考えてみたい。陶弘景の『登真隠訣』では、『紫度炎光経』を「偽経」と述べている。この「偽経」とは、楊許(楊羲、許謐、許カイ)の書写本ではなく、それ以降の人物が編纂した上清経という意味である。したがって、陶弘景の見た『紫度炎光経』は、東晋末に王霊期によって編纂された上清経の一つと推測される。そこで、現行の道蔵本『紫度炎光経』を手がかりに、原本『紫度炎光経』の内容を分析し、その経緯をたどってみたい。
成玄英の『老子義疏』における「道」と「老君」について
趙 晟桓
従来『老子義疏』の「道」は、専ら老荘思想の「道」と同じく「理法」の意味で解釈されてきた。しかし、実際には『老子義疏』では「道」は「老君」や「聖人」の意味としても用いられている。成玄英が『老子義疏』で「道」を「老君」や「聖人」の意味で用いるに至った経緯について考えてみたい。
王陽明の思想形成における龍場大悟の位置
大場 一央
王陽明(一四七二〜一五二八)が流謫先の龍場にて大悟したのは正徳三年、三十七歳の時である。通常大悟の内容は「心即理」であると言われるが、『年譜』にはそのように明記されておらず、その後の講学内容、また大悟について陽明が語る資料から見て、大悟はより広い内容を有すると思われる。本発表は、陽明の関心が終始「格物」にあったこと、孝が若年の悩みを救う大きな要因になったことに着目しつつ、その内容を再検討する。
伊藤仁斎における天道論・人性論の位置
阿部 光麿
伊藤仁斎(一六二七〜一七〇五)が人倫日用における徳行、「孝弟忠信」の実践を強く説いたことは周知に属する。しかし、この主張を仁斎の重んじたものとする点では多くの研究が一致していながら、この修養論と、その他の議論、なかでも世界観として扱われる一元気の天道論、或は人性論との位置、本末の関係については一定せず、ともすれば修養論は天道論などに由来する二次的なものと見做されてきた。本発表は、仁斎の用いる表現に意を払い、こうした天道論や人性論が、仁斎の思想体系の中心に据えるべき議論ではないことを提示するものである。
安慧の唯識説の一考察――識の顕現の視点から――
伊藤 康裕
唯識思想においては、識が認識対象に似た表象を帯びて生じることによって、世界のあらゆる物事の存在が説明されている。識が対象の形で顕れる働きは、漢訳で「顕現」と訳される。安慧(Sthiramati, ca.510-570)は『中辺分別論釈疏』において、「顕現」をpratibhAsa, AbhAsa, prakhyAnaなどと使い分けており、ここに、安慧独特の「顕現」についての理解が想定される。これらの用例を手がかりに安慧の唯識説における物事の存在の捉え方について、考察したい。
徳一の「如是我聞」訓読をめぐる二、三の問題
師 茂樹
『守護国界章』巻中之中・弾謗法者偽訳如是章第十二には、徳一が経典冒頭の「如是我聞」を訓読によって解釈するのを最澄が批判する、という論争が見られる。この徳一の解釈は『仏地経論』『法華玄賛』等に基づくものであるが、訓読という方法は平安初期としては珍しく、思想史研究の対象としてだけでなく、国語学の研究対象としても注目すべきものではないかと思われる。
【講 演】
道蔵資料よりみた道教的共同体の特色について
テリー クリーマン
中国固有の組織宗教である道教は、二世紀の成立以来、かなり整備された教えと理念を有し、四川北部を中心に独自の宗教共同体を形成した。中国全土に拡大し、少なくとも数百年間中国社会の重要要素を構成したこの共同体は、朝廷主体の正史には一面しか記載されないが、道蔵の戒律や威儀類からその実態を探ることができる。本報告は、道蔵資料を分析しながら早期道教共同体内の社会編成、人間関係、年中行事、幼童教育等を考察する。