留学レポート

ヴィリニュス大学(2019年夏~)留学レポート

リトアニアのヴィリニュスへ留学されていた一色莉子さんから留学レポートを寄せて頂きました。


2019年の夏からリトアニアのヴィリニュス大学に留学していた一色です。帰国から既に一年が経とうとしていますが、リトアニアでの留学生活についてお伝えしたいと思います。

ヴィリニュス大学

まず、私が留学先としてリトアニアを選んだ理由として、英語とロシア語を両方話せるようになりたいと思ったことが挙げられるのですが、結論から言うと、留学中に一番喋れるようになった言語はリトアニア語でした。リトアニア語を教えてくれていた先生によると、リトアニアの人々は印欧語族の古い形が残っているリトアニア独自の言語をとても誇りに思っているそうです。その気持ちが大学でのリトアニア語教育にも表れていて、リトアニア語の授業を選択すると分厚い教科書が無料で配布され、週3回の授業が繰り広げられます(ロシア語の授業は週2回)。課題の量も多く、私は寮の部屋やカフェで四苦八苦しながら問題を解いていました。その分、カフェや博物館でリトアニア語が通じたり意味が理解できたりしたときの喜びはひとしおでした。言語習得には実践の場が非常に重要だと実感した瞬間です。印欧語族云々というのは留学している当時はよくわかっていなかったのですが、帰国後にロシア語史の授業で印欧祖語について学んだ際の既視感にちょっと感動したので、言語学とかに興味がある人は、リトアニア語を勉強するときっと面白いと思います。また、リトアニア人はほぼ全員リトアニア語を話すのですが、40〜50歳くらいを境に、第二言語が英語の人とロシア語の人に分かれています。リトアニアのソ連からの独立時期が関係しているのだと思いますが、このままリトアニアでロシア語が通用する場はどんどん少なくなっていくのだろうという感じでした。

  
ヴィリニュス大学

留学生活の中で非常に印象に残っているのは、リトアニア人の国民性に日本人と非常に近いところがあるということです。具体的には、直接的な表現を避けがちなところやパーソナルスペースが基本的には広いけれど公共交通機関では狭くなるところなどなど。それを象徴するのが“atsiprašau(アッチプラショウ)”という表現です。道でちょっとぶつかった時や、混雑したバスから人をかきわけて降りる時など、日本人が多用する「すみません」と同じようなタイミングで使われていました。私が留学中に最も耳にしたフレーズかもしれません。ところで、リトアニアでの主な交通手段はトロリーバスで、私が最初に住んでいた場所は大学からトロリーバスで20分ほどの森の中にある寮だったのですが、バスが石畳の道を通るとものすごく揺れるので通勤・通学ラッシュの人混みもあわさって毎朝ヘロヘロで学校へ向かうはめになり、2ヶ月ほどで通学徒歩圏内の場所に引っ越すこととなりました。寮は、24時間開館の図書館が近くにあるのは便利だったのですが、冷蔵庫の中に食べ物を入れておくと勝手に無くなってしまうような場所だったので、住み心地はあまり良くなかったです。食べ物と言っても私はちょっとした飲み物やお惣菜しか入れていませんでしたが。リトアニアでは、料理らしい料理はほとんど作りませんでした。スーパーで売られているレンジでチンするだけで食べられるお惣菜が美味しくて、そればかり食べていました…主食のじゃがいもを使った料理は本当においしくて種類も豊富なので、おすすめです。特に、ツェペリナイ(すりおろしたじゃがいもで作った団子に肉を詰めて茹でた料理)とじゃがいものパンケーキは何回食べたかわからないほどです。自分で作るのはとても手間がかかりますが、日本で食べるには自分で作るくらいしか方法がないのでそのうちチャレンジしてみようと思っています。

 学食のツェペリナイ


クリスマスマーケット

新型コロナウイルスの影響で、予定していたよりも4ヶ月ほど早い帰国となりましたが、杉原千畝のイメージしかなかったほぼ未知の国リトアニアの文化に直接触れることができたというだけでも大変貴重で身になる経験ができたと感じています。ロシア語は正直めちゃくちゃ上達したわけではないのですが、英語でロシア語を学ぶという経験は初めてだったので、それはそれで良い経験だったと思います。そして、周りの留学生たちは間違っていてもいいからとにかくコミュニケーションをとろうという姿勢でどんどんロシア語やリトアニア語をしゃべっていたので、大きな刺激を受けました。特に、リトアニア語のクラスの生徒は仕事でリトアニアに来ている人が多かったので、彼らの必死さに私も巻き込まれながら勉強していました。リトアニアにはアジア人が少なくて日本人であるというだけで一緒に授業を受けている学生や先生が興味を持ってくれるのでとても話しやすく、引っ越し先の大家さんはとても優しく、周りの人たちに恵まれた留学生活でした。リトアニアは春が一番良い季節だと周りのリトアニア人から散々言われていたのにも関わらず、春が始まる直前にリトアニアを離れることになってしまったのが本当に心残りです。物価が安く、大学寮以外の場所は治安がとっても良いので、みなさんにもいつか是非リトアニアを訪れてみてほしいです。私は、再訪に向けてリトアニア語を忘れないようにしなければ…とたまに分厚い教科書を見返す日々を送っています。

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