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Monthly Spotlight / 馬場匡浩

エジプト文明の起源地を掘る
~国家はいかに形成されたか~

早稲田大学のエジプト発掘調査

早稲田大学は、日本においてエジプト文明の研究で有名です。1995年、私は21歳のときに初めて早稲田大学のエジプト発掘調査に参加しました。当時は現地作業員とともにひたすら発掘作業をするだけでしたが、その10年後には私が現場主任になり、幸いにも盗掘を受けていない墓をいくつも発見することができました。早稲田大学の現地調査を通して、「発掘技術」「現地でのマネージメントスキル」「アラビア語のコミュニケーション能力」などを身に付けることができました。こうした経験があったからこそ、私はエジプト考古学者としてここまでやってこられたのだと思います。

先王朝時代、その社会とは

早稲田大学の発掘調査は王朝時代が対象ですが、私自身の関心は先王朝時代にあります。紀元前3000年頃にファラオという王が誕生し、そこからエジプト文明が始まります。先王朝時代とは、そのファラオが生まれる前の紀元前4000年紀頃の時代を指します。つまり、ファラオをトップとする国家の形成に向かって、いかにして社会が複雑化したかを探ることが、私の研究の究極の目的となります。

社会を最も簡単に模式図で示すと図1のようになります。縦軸は「身分差」、横軸は「職の分化」を表しています。人は元々、みな平等な存在でした。身分差がなく、誰もが自給自足をしている社会だったのです。身分差がない限り、職の分化はほとんど起こりません。なぜなら、自給自足をしない専業的な職人が存在するには、支配者の庇護が必要です。それは、職人は通年で支配者の求めるモノを作り、その見返りに食糧を得るシステムです。このように、身分の階層化があることで、明確な職の分化、つまり専業化が成立すると考えられるのです。ファラオが誕生して王朝時代を迎える頃には、社会的な上下関係が形成され、専業化も進んでいました。ファラオを頂点としたピラミッド型の社会になっていくこうした過程が、先王朝時代なのです。

 

図1:社会構造の複雑化を表す模式図。身分差(縦軸)と職の分化(横軸)が大きくなることで、ピラミッド型の階層社会が形成されていった。

 

ヒエラコンポリス遺跡で発見された一般の人々の墓とエリートの墓

先王朝時代の遺跡は多数見つかっています。その中でも、カイロから800km離れたところに位置するヒエラコンポリス遺跡は、この時代で最大規模を誇ります。ここは当時の中心地であり、最初に都市化した場所だと言われています。ちなみに、最初のファラオであるナルメル王はヒエラコンポリスの出身と考えられています。現在は辺鄙な田舎ですが、そのお陰で遺跡が荒らされずに良く残っていることも特徴の一つです。

この遺跡の南東に位置するHK43地区では墓地が見つかっています(写真1)。これは特別な墓ではなく、先王朝時代によく見られる一般的な墓です。直径1mほどの穴を浅く掘り、胎児のようなスタイル(屈葬)にして遺体を置いて、周りに副葬品を並べてあります。ただ、この墓地では大きな発見がありました。それは、人工的にミイラ処理した遺体です。数例ですが、樹脂に浸した亜麻布で腕や顔が覆われた遺体が発見されたのです。従来ミイラは、極度に乾燥した砂漠に遺体を埋葬したことでできた自然のミイラがその起源とされてきましたが、当初から人工的に処理をしていたと考えられるわけです。

一方、北西の砂漠奥地に位置するHK6地区では、エリートの墓地が発見されています。ここの墓は先ほどの一般的な墓とは規模が異なり、長軸6mの矩形を呈するものまで存在します。さらに、墓の周りを取り囲むように巨大な多柱建築施設がいくつも存在したこともわかりました。これらは墓ではなく、儀礼や祭祀などを行うための施設と考えられます。古代エジプトの神殿は多柱建築が特徴ですが、その起源がここにあると言えるでしょう。このように、ヒエラコンポリス遺跡では、身分差による墓地のすみ分けがみられ、どこよりも早くエリート(支配者)が台頭していたのです。

写真1:HK43地区の墓(先王朝時代で一般的な墓) (C) Hierakonpolis Expedition

 

世界最古のビール醸造所

私は2003年より、エリート墓地近くのHK11C地区で発掘を行っています。ここで最初の大きな発見は、ほぼ完全な状態のビール醸造址です。壁体で囲まれた中に、少なくとも5つの大甕が並んでいます。大甕は直径50~85cm程で、外から燃料を焚いて内部を加熱する構造となっています。実際、内部には液体が熱せられて凝固した黒色で光沢ある残滓(ざんし)が残っていました。もう少し後の時期のビール醸造所は見つかっていますが、ここが今のところ最も古く、造りも原始的です。残滓の分析の結果、原料には麦芽(モルト)のエンマーコムギ(古代小麦)が用いられ、発酵に必要なイースト菌の酵母も検出されました。また、大甕が加熱施設とすると、ここではビール工程における糖化(麦汁づくり)が行われていたと考えられます。

実は、ビールは簡単には作れません。イースト菌はすごく弱く、他の雑菌に負けてしまいます。雑菌を繁殖させないようにするなど環境対策ができていないと、ビールを作ることはできてもすぐに腐ってしまいます。つまり、適切な環境と酵母の維持・管理が必須となり、専業的なビール職人の存在が示唆されます。このことは発見された醸造址の規模からも支持されます。

一般的に、エジプトではビールは誰でも飲んでいたものとされてきましたが、少なくとも先王朝時代においては違うのではないかと思っています。当時、ビールは一般の人々に作らせなかったのではないでしょうか。ビールはエリート特権のアルコール飲物であり、エリートに従い、また儀式への参加を許されたものだけが飲むことができたのではないかと考えています。つまり、エリートが社会を統制し、自身の地位を確立し、さらに地位を高めるためにビールというアルコール飲料を造らせた。社会コントロールのためにエリートが利用していたものの一つがビールであり、そのためにお抱えのビール醸造職人を擁したのでしょう。

大量の骨が発掘された食品加工施設

ビール醸造址のすぐ近くで近年、食品加工施設を発見しました(写真2)。天日干しの硬いレンガで造られていて、9m×7.5mと、とても大きな遺構です。このようなレンガでできた巨大な建造物は、この時代では他に見つかっていません。

床には火を焚いた炉址が14カ所ありました。特に炉址の内外で、動物の骨が大量に見つかりました。動物学の先生に調べていただいたところ、家畜牛と、ナイル川に生息するナイルパーチという1mを超える巨大な魚の骨が大部分を占めていることがわかりました。これら動物を、焼くなり、蒸すなり、燻すなどして、加工していたのでしょう。当時のナイル川はHK11C地区から最低でも3km程度離れていたにも関わらず、わざわざ魚を運んできて加工していたことになります。その理由として、エリートの墓のためにこうした食品加工をしていたのではないかと推測しています。骨の出現頻度を調べると、牛の頭や足、魚の頭や鰭など、人が食べないパーツが圧倒的でした。食べる部分の骨がないということは、消費する場所は他にあり、そこに卸していた、ということです。卸す場所こそが、エリート墓地だったのです。ビールと同じくこちらも、エリートお抱えの職人によるものでしょう。

 

写真2:HK11C地区で見つかった食品加工施設(左)と出土した大型魚の骨(右)

 

このようにHK11C地区で発見されたビール醸造址や食品加工施設などは、この時期に、職の分化、つまり専業化が出現したことを物語っています。そしてその出現をもたらしたのが、エリートの支配者たちです。つまり、HK6地区の墓地でエリートの要求を満たし、豪華なごちそうを並べるためだけではなく、エリートの儀式と地位の維持を支えるために、職の分化が進んだと言えます。冒頭で述べたように、先王朝時代の主な研究目的は、国家形成に向かう社会の複雑化過程の解明にありますが、これまでそれを語る考古学的資料が不足していました。その意味で、ヒエラコンポリス遺跡でのこうした発見は、複雑化を具体的に把握できる極めて重要な資料となっています。

取材・構成:青山聖子/秦 千里/土谷純一
協力:早稲田大学大学院政治学研究科J-School

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