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Monthly Spotlight / 安倍雅史

古代中東における人々の営みを探る

発掘調査の参加をきっかけに考古学の道へ

私は、中近東の考古学を専門とする考古学者です。現在の主な研究テーマは、中東地域における農耕・牧畜の起源についてです。また、古代バーレーンに存在した「ディルムン王国」についての研究や、シリアの文化遺産の保護活動にも取り組んでいます。

考古学に興味を持ったきっかけは、学部生時代に発掘調査に参加したことです。私は小さいころから東洋史・西洋史を問わず、歴史全般の勉強が好きでした。ですが、大学では専門分野を絞らねばならず、専攻する時代や地域を決めかねていました。そんなある時、山梨県の縄文遺跡の発掘調査に参加する機会がありました。調査では、自らの手で遺物を掘り出し、当時の人が使っていた土器や動物の骨に実際に触れることができました。この体験によって考古学への興味とやりがいを感じ、専門的に学ぶことを決意しました。

中東考古学との出会い

考古学を専攻すると決めた後は、知識を広げるために大学博物館でのアルバイトを始めました。すると、その際の上司にあたる先生が中東の考古学をご専門にされていました。先生には中東の遺跡についての知識を教えていただいたほか、大学3年生の時にシリアでの発掘調査に同行させていただくなど大変お世話になりました。この先生の薫陶を受けて、私も中近東の考古学を専門に決めました。

さらに、博士課程では日本を離れ、イギリスのリヴァプール大学に進学しました。港町であるリヴァプールにはエジプトや中東の貴重な考古資料が残っていたため、私にとって理想的な学習環境でした。言語の面では慣れるまで苦労しましたが、当時築いた現地の考古学者とのネットワークは今の研究活動に活かされています。

「肥沃な三日月地帯」と農耕・牧畜

これまでの研究では、麦作農耕とヒツジ・ヤギ飼育の発祥地は、中東の「肥沃な三日月地帯」であるという説が定説になっています。ただし、広範囲に及ぶ「肥沃な三日月地帯」のうち、西側の「レヴァント地方」と東側の「ザグロス地方」のどちらがほんとうの発祥地なのかについては、現在議論が分かれています。

図1:  肥沃な三日月地帯(提供:安倍雅史助教)

 

農耕・牧畜の起源を探ることの重要性は、G・チャイルドという考古学者によってはじめて指摘されました。ですが、当初、その起源はナイルまたはメソポタミアであると考えられていました。

この風潮に異を唱えたのがR・ブレイドウッドという学者です。彼は「野生の麦やヒツジが生息する場所で、最初の農耕が始まった」という説を主張しました。その考え方をO・バルヨセフがさらに深め、レヴァント地方こそが農耕・牧畜の起源であるという説を確立させました。そのため、近年の考古学界では、「農耕・牧畜は、紀元前10000年ごろにレヴァント地方で発祥した」という考え方が有力視されています。

ですが、近年、生物学分野で遺伝子研究が急速に発展し、栽培化・家畜化された動植物と野生の動植物の遺伝子を比較するなど、考古学とは異なる側面からの分析が進められるようになりました。その結果、「レヴァント地方だけでなくザグロス地方においても、同時並行で農耕・牧畜が始められていた」との新説が提示されました。

図2: 農耕・牧畜の起源をめぐる様々な学説(提供:安倍雅史助教)

 

私は、この遺伝子研究の成果が正しいのかどうかを考古学的見地から検証するため、現在イランにおいて考古学調査を実施し、石器資料から得られる知見をもとに農耕・牧畜の起源を再確認する試みに取り組んでいます。

農耕・牧畜が始まったわけ

古代の人類が狩猟・採集をやめて農耕・牧畜生活へと移行した要因は、「ヤンガー・ドリアス」とよばれる氷河期の到来であると考えられています。ヤンガー・ドリアスは、いまから13000年前から1000年ほど続き、その期間中は地球の気温と降水量が大幅に下がりました。それにともない、森林は枯れ、森林を住みかとする動物たちの数も減ってしまいました。ヤンガー・ドリアスによって野生で獲れる食料が減ってしまったため、当時の人々は、自分たちで食料を生産する必要が生じました。そこで、土壌が豊かな「肥沃な三日月地帯」に生息する野生の麦や、ヤギ・ヒツジの栽培・家畜化が始まったのです。

古代バーレーンに存在した「ディルムン王国」とは

私は農耕・牧畜の起源の研究と並行して、バーレーンにあった古代王国「ディルムン王国」の古墳に関する調査も行っています。中東の島国であるバーレーンは、古墳が多いことで有名です。国全体の大きさは東京23区程度なのですが、その中に、日本全国の古墳総数に相当する17万基もの古墳が密集しているのです。

図3: バーレーンでの発掘調査風景(提供:安倍雅史助教)

 

紀元前2000年ごろバーレーンに存在したディルムン王国は、海上交易の要地として繁栄しました。当時のメソポタミア文明は、インダス文明に向けて大麦や織物を輸出し、インダス文明からラピスラズリや砂金、紅玉髄を輸入するという海上交易を行っていました。ディルムン王国は、その交易を取り仕切っていたのです。そのため、メソポタミア文明の遺跡から発見された当時の文献にも、ディルムン王国についての記述が数多く見られます。

私の調査対象は、このような海上交易によって権力を手にしたディルムン王国の初期の王墓です。ディルムン王国においてどのように王権が発達し、海上交易を独占するようになったのかを、古墳の発掘を通じて研究しています。

今後の展望

中東は非常に気候が厳しいため、現在は比較的涼しい1~3月に現地での調査に参加し、4月以降に成果を論文にまとめるという日々を送っています。ですが、今取り組んでいるイランやバーレーンの発掘調査は、大きな発見をするには10年から15年ほどかかるかもしれません。考古学は、成果が出るのに時間がかかる学問なのです。

忍耐力が必要になりますが、成果を焦ることなく、これからも地道に研究に取り組んでいきたいと考えています。

取材・構成:青山聖子/濱口翔太郎
協力:早稲田大学大学院政治学研究科J-School

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