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Monthly Spotlight / 武田 和久

ラテンアメリカの先住民のキリスト教化のプロセスとその帰結を探る

研究テーマの三つの軸

私は歴史学を専門とし、植民地期(16-18世紀)のラテンアメリカの歴史を研究しています。主な研究テーマは、(1)ラテンアメリカにおけるキリスト教布教の歴史、(2)アメリカ先住民に対するキリスト教布教の社会文化的インパクト、(3)キリスト教布教における軍事的側面です。特に、南米大陸南東部のラプラタ地域(現在のパラグアイ南東部、アルゼンチン北東部、ブラジル南部、ウルグアイにまたがる領域)において、イエズス会士が1609年から1767年にかけて行った布教活動に焦点をあて、これまで15年以上にわたり研究を続けています。ラプラタ地域のイエズス会士は、およそ150年にわたり、スペイン語でレドゥクシオン、もしくはミシオンと呼ばれる先住民改宗施設を運営していました。最盛期の18世紀前半には、レドゥクシオンの数は30に達し、総人口は14万人を超えました。

 

図1:研究対象とするラプラタ地域。右側の枠の中の青い点がレドゥクシオンの位置。

出典 Sélim Abou, La “República” jesuítica de los guaraníes (1609-1768) y su herencia, Buenos Aires: Manrique Zago Ediciones, 1996.

図2 レドゥクシオンの一つであるサン・イグナシオ・ミニの聖堂跡。所在地は現在のアルゼンチン、ミシオネス州。1984年に世界遺産に登録(提供:武田和久助教)。

 

旅行を通じて、スペイン語圏の歴史、文化に惹かれる

学部時代の専攻は英語でしたが、並行して異なる言語も習得し、語学の幅を広げたいと思うようになりました。そこで、第二外国語として学んでいたスペイン語の学習にも本格的に取り組み始めました。スペインの首都マドリードへの1週間程度の旅行がその後の私の人生に大きな影響を与えました。スペインの歴史や文化を紹介する博物館や美術館を訪れ、今から数百年も昔に、遥か遠いラテンアメリカにもその影響が強く及んでいたことに驚嘆しました。特に、コロンブスによるアメリカの「発見」(1492)以降、スペイン、ポルトガル主導のもと、植民地化とキリスト教化が同時に進展していったことで、アメリカ先住民の土着の文化が大きく変容していったことに関心を持ちました。

こうした問題を学術的に探求したいという衝動に駆られ、研究職を志しました。研究に必要な諸資料は、南米、北米、ヨーロッパ諸国の文書館や図書館に広く散逸しています。こうした事情から、これまで多くの国を訪れて来ました。

ラプラタ地域でイエズス会士の活動が始まった経緯

アメリカの「発見」は、当時のヨーロッパ人を驚嘆かつ困惑させる前代未聞の出来事でした。スペインは、いかにしてこの世紀の大発見を自国の利益と結びつけられるか、神の代理人と言われていたローマ教皇に相談を持ちかけました。両者の間でなされた合意が、「発見」された土地の住民をキリスト教徒に改宗させれば、その土地はスペインの領土として認定されるというものでした。

こうした背景のもとで、「全人類のキリスト教化」を目指していたのがイエズス会です。イエズス会とは、1540年に正式認可された、比較的新しい修道会です。イエズス会士は、未知の彼方の土地にも積極的に足を運び、現地住民のキリスト教化に果敢に取り組んだことで有名です。

ラプラタ地域の先住民、グアラニのキリスト教化

ラプラタ地域で多数派を占める先住民は、グアラニと呼ばれていた人たちです。彼らはキャッサバなどの根菜類を栽培し、肥沃な土地を求めて数年おきに移動を繰り返すという半定住的な農耕生活を送っていました。彼らが話すグアラニ語は、ヨーロッパの諸言語とは全く異なり、文字もありませんでした。住居は藁葺きの簡素なものであり、一夫多妻や呪術的な慣習など、グアラニの文化には、キリスト教的な観点からすれば異教的な要素が認められました。


図3 ヨーロッパ人の想像によるキリスト教化以前のグアラニ
出典 Ulrich Schmidl, Americae pars VII, Frankfurt: Officina Theodori de Bry, 1599.

イエズス会士は、グアラニに対して「感覚的な宣教」を行いました。これは、キリスト教の難解な教理や神の概念を理論的に説明するのではなく、絵画や音楽を用いて、視覚や聴覚に訴えかける宣教方法です。また彼らは、書き言葉が存在しなかったグアラニ語にアルファベットをあてはめて、辞書や文法書の作成に励みました。イエズス会には、スペイン人とグアラニとの間に生まれた混血や、現地生まれの宣教師も所属していました。こうした人々は、グアラニとの通訳や仲介役として、重要な役割を果たしました。

こうしてイエズス会士は、グアラニと次第に打ち解け、グアラニもキリスト教を受け入れていきました。グアラニのキリスト教化に決定的なインパクトを与えたのが、冒頭で述べたレドゥクシオンにおいて、17世紀初頭から150年にわたり実践されていたイエズス会士とグアラニの共同生活です。言語や文化が根本的に異なる人間同士の長期にわたる生活は、想像を絶するものがあります。

グアラニに対する軍事教練とイエズス会士の追放

ラプラタ地域はブラジルと近接し、サンパウロ在住のポルトガル人が組織する遠征部隊の断続的な侵入にさらされていました。イエズス会士が建設したレドゥクシオンの大半も襲撃の対象となり、相当数のグアラニが奴隷化されブラジルへと連行されました。こうした危険な状況に直面したイエズス会士たちは、キリスト教の原則からは外れますが、自衛のための武装を決断しました。グアラニにはヨーロッパ式の軍事演習が教練され、レドゥクシオンの防備体制も強化されていきました。

イエズス会士は、グアラニを歩兵や騎兵などの部隊に分け、銃器をはじめ、ヨーロッパ発祥の様々な武器の操作方法を訓練しました。訓練は厳しい規律と秩序のもとで行われ、兵士と化したグアラニには、上官の号令や合図に従って、機械のように整然と隊列を組み、攻撃や防御に瞬時に転じることが求められました。このような戦闘方法は、グアラニが祖先から代々受け継いできたものとは大きく異なりました。グアラニに対する全く新たな戦闘技術の教授が可能になったのは、ヨーロッパやスペイン領アメリカ各地で戦闘に携わってきた元軍人のイエズス会士の存在があってのことでした。

図4 機械のような陣形の一つ、「半月の陣形」の組み方を解説する16世紀ヨーロッパで出版された軍事教練書。こうした陣形の組み方がイエズス会士によってグアラニに教練されていた。
出典 Martín de Eguiluz, Milicia, discurso, y regla militar, Amberes: Casa de Pedro Bellero, 1595.

軍事力を次第に高めていき、ポルトガル人の侵入の抑止や好戦的な先住民の平定に何度も活躍したことで、ラプラタ地域防衛の要とまで謳われたグアラニですが、18世紀中葉から後半にかけて、ヨーロッパの人々から次第に危険視されるようになりました。グアラニが、持ち前の軍事力を駆使して、宗主国スペインの支配に対して反乱を画策したり、さらには独立運動を組織化したりするのではと、噂されるようになったからです。実際に18世紀中葉、スペイン、ポルトガルの海外領土の境界線の変更をめぐってグアラニは、後世「グアラニ戦争」として知られる軍事反乱を起こしたのです。イエズス会士は、反乱の影の首謀者とみなされ、厳しい批判にさらされました。

一方で、この時期のヨーロッパでは、国王の権力を絶対視する考え方が次第に強まっていました。ラプラタ地域でイエズス会士やグアラニが担っていたスペイン領の防衛は、国権を司る人々の仕事とされるようになっていたのです。

こうしてついに1767-68年にかけて、スペイン領全域からのイエズス会士の追放令が、時のスペイン国王から公にされました。この時すでに、イエズス会士は、ポルトガルやフランスならびに両国の海外領土からも追放されていました。しかしそれでもイエズス会を危険視する声は収束せず、ローマ教皇の命により、1773年には、会の解散という事態にまで追い込まれました。幸い1814年には会の再結成が同じくローマ教皇により正式認可され、今日に至っています。

イエズス会士が去った後に残されたグアラニは、遥か昔の彼らの祖先が暮らしていた生活形態に戻ったと言われ続けていました。しかしここ数十年の研究成果により、その多くは、レドゥクシオンでの長期にわたる生活を通じて、様々な観点からヨーロッパ化し、キリスト教化していたことがわかっています。むしろ、都市に出て鍛冶や仕立などに従事する職人として働いたり、農業や牧畜で生計を立てたり、19世紀以降のラテンアメリカ全域を巻き込んだ独立戦争に傭兵として身を投じたりと、レドゥクシオンで培った知識や技術を活かして、激動の時代を生き抜いていったと考えられています。

グローバルとローカル、双方の視点を持って研究に取り組みたい

南米大陸南東部のラプラタ地域でイエズス会士がグアラニに対して行ったキリスト教布教活動、そしてヨーロッパ発祥の軍事技術や戦術の教授は、極めてローカルな現象です。しかしグローバルな視点からこの現象を見ると、似たような状況が、世界各地で同時多発的に起きていたことがわかります。例えば明王朝時代の中国では、イエズス会士が皇帝の軍事顧問として重用されていました。またフィリピンでは、イエズス会士が軍事要塞の建設に重要な役割を果たしていました。グアラニの軍事的な名声はスペイン領アメリカ各地でも話題となり、現在のボリビア東部一帯や、1898年まではスペイン領であったグアムの防衛に際して、グアラニの軍隊をモデルとした部隊の設立案がスペイン帝国内で浮上していました。

日本でもよく知られているフランシスコ・ザビエルは、イエズス会の会員でした。イエズス会の活動は地球規模で展開されており、現在のグローバリゼーションの先駆けでもあります。彼らの足跡を丹念にたどることで、ローカルな場で起きた事件や出来事が、グローバルな動きと連動していたことがわかります。次元の異なるこうした二つの視点を持つことは、21世紀に生きる私たちにとって、とても大切なことだと考えています。

取材・構成:青山聖子/濱口翔太郎
協力:早稲田大学大学院政治学研究科J-School

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