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Monthly Spotlight / 杉山博昭

15世紀フィレンツェの聖史劇を再構成する

15世紀フィレンツェの聖史劇

私は中世イタリアで上演された聖史劇を研究しています。専門は演劇史ということになりますが、研究資料として絵画も参照するため、美術史も大きな関心領域のひとつといえます。

聖史劇とは、中世末期の欧州で盛んに上演された宗教劇です。主に典礼暦上の祝祭日に、聖書や聖人伝、同時代の宗教的奇跡などの物語をテーマとして、街路や広場、修道院の中庭、聖堂内などで上演されました。教会内の典礼劇にその起源がありますが、典礼劇は聖職者がクローズドな環境で上演したのに対し、聖史劇は平信徒で構成される兄弟会が教化を目的に、パブリックな環境で上演しました。

なかでも15世紀フィレンツェの聖史劇は、上演規模、上演頻度、集客力などの点から、ひとつのピークにあったとみなすことができます。このフィレンツェの聖史劇は、ローマ、フェッラーラ、ミラノなどの大都市を巡業公演のような形で回ることもありました。出版ブームが到来する直前の当時、聖史劇は世界最大のマスメディアであったといえると思います。

現在私は、15世紀フィレンツェの聖史劇を、テクスト(上演台本)、上演(演出法)、受容(見物客の反応)の3つの観点から、総合的に再構成することを試みています。聖史劇の実態を知るための主な研究資料としては、上演される物語が書かれたテクスト、見物客が残した見物記録、制作団体である兄弟会の帳簿や財産目録などが挙げられます。しかし、それらの資料は十分に残ってはおらず、聖史劇の詳細は長らく不明のままでした。この資料不足は、イギリス、フランス、ネーデルラントなどの他の国に比して、特にイタリアの場合に顕著です。そのため、イタリアの聖史劇の研究は困難だとみなされており、現在、専門の研究者はごく少数を数えるのみです。

「読み物」と「台本」の違い ― 台本から浮かび上がる聖史劇上演の様子

私の研究の出発点は、これまで見過ごされてきたマニュスクリプトを精読するということです。聖史劇のテクストには、「読み物」として出版されたインキュナブラと、「上演台本」であるマニュスクリプトの2種類があります。インキュナブラは、日本語では初期刊行本と訳される資料で、ときには木版の挿絵を含む活版の印刷物のことです。活版印刷が普及し、出版ブームにあった15世紀末に、それらは小冊子としてどんどん世に出回りました。従来の聖史劇研究は、このインキュナブラを上演台本とみなしてきました。しかし、そこには落とし穴がありました。

文字が読みやすく、挿絵入りのインキュナブラは、手書きの文字のみのマニュスクリプトより、一見すると研究資料として充実しているように見えるでしょう。しかし実際には、組版の関係上、上演台本のト書きがかなり削られています。したがって、聖史劇がどのように上演されたかを知るためには、マニュスクリプトを参照する必要があります。私は現在、当時実際に上演されたと考えられる演目の上演台本36編を選び出し、研究と翻訳を進めています。

聖史劇は、外連味たっぷりの仕掛けと派手な演出が特徴的です。ここで、聖史劇のハイライトの演出を1つ紹介します。
図1は、「洗礼者ヨハネの斬首の聖史劇」のインキュナブラの挿絵です。この斬首のシーンでは、牢獄の窓から突き出した人形の首が、処刑人の身振りとともに落とされました。その際、赤い液体が噴出する装置が使われて、かなり派手な演出が施されたようです。このような上演の様子が、マニュスクリプトなどの資料にあたると明らかになります。


 

図1: 「洗礼者ヨハネの斬首の聖史劇」1490年頃、国立中央図書館、フィレンツェ

聖史劇は人々にどのように受容されたのか

1439年3月25日に上演された「受胎告知」は、同時期にフィレンツェ公会議という宗教会議が開催されていたため、出席していた各国の宗教関係者に見物されたと考えられます。その中の1人であるスズダリ(ロシア西部ウラジミール州の古都)の司教アブラハムは、とても詳細な見物記録を残しました。彼は、飛ぶ天使役の演者や走る稲光の様子などを、仕組みとともに詳しく記しており、後に彼の手記をもとに、天使役が聖堂内部の空中を渡るための舞台装置の再現モデル(図2)が作られました。また彼は、マリア役の演者についても証言しています。「聖歌隊の幼くかわいらしい少年がかつらをかぶり、少女の優美な服を身に着けてマリアを演じていた」との記述があります。

彼は手記の締めくくりで、「これは、素晴らしくも恐ろしい見世物である」という感想を述べています。手記の記述を追ってみると、「受胎告知の聖史劇」を見たアブラハムは、視覚、技術、生命、教義、信仰、性愛などの位相において強い衝撃を受けたのだろうと考えられます。

これは、特定の人物が見た特定の上演に関する受容研究です。しかし、他の聖史劇の上演台本や上演形態を研究していった結果、このアブラハムの感想に含まれるいくつかの要素は、聖史劇一般のそれに敷衍されうると感じています。

図2: チェーザレ・リージとルドヴィコ・ゾルジ、アブラハムの記述にもとづく『受胎告知』のための舞台装置再現モデル、1975年

 

ところで、「受胎告知」の絵画作品(図3)を見てみると、マリアの中性的な容姿を見て取ることができます。13世紀から15世紀頃の絵画制作の伝統では、マリアを描く際、女性としての身体的な特徴を強調するような描き方をすることはありませんでした。ですから、中性的な外見のマリアは美術史的な常識の範囲内に収まっています。しかし、聖史劇を見物した人がこの絵の前に立った時に、何を感じたでしょうか。おそらく聖歌隊の男の子が女装して演じていたマリアを思い出したことでしょう。聖史劇を身近に感じていた人々の生の経験をふまえた上で絵画を見てみると、従来の美術史の見方とはまた違った見方が可能になるように思われます。このように同時代の絵画などを積極的に参照し、演劇史と美術史の研究をパラレルに進める点も、私の研究方法の特徴といえるでしょう。 

図3: アレッソ・バルドヴィネッティ《受胎告知》1447年、フィレンツェ、ウフィッツィ美術館

 

演劇というものは始まったら終わって消えていきます。それを見た人の感情も現在に残るものではありません。しかし、資料をもとに想像力を働かせることで、当時の人々の記憶や感情の一端に触れられるのではないか。その可能性にかけて私は研究しています。「無闇な妄想」と「節度ある想像」は紙一重ですが、前者を避けつつ後者を探る困難のなかに、この研究の醍醐味があると思っています。

取材・構成:押尾真理子
協力:早稲田大学大学院政治学研究科J-School

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