NO.894 Apr.1,2000 入学記念号
ご入学おめでとうございます! 皆さんとの出会いに寄せて・・・


自反自責の気骨をもて 総長・奥島孝康

奥島孝康総長  新入生諸君、早大生となったいまの気分はいかがですか。おそらく、面映いような、足が地につかないような、なんとなく落ち着かない気分ではないでしょうか。しかし、五月の連休も過ぎると、早慶戦の洗礼も受けて、十年も前からこのあたりに住んでいたような気分になるに違いありません。ともかく、まず、神宮へ早慶戦の応援に出かけてみてください。学友と肩を組み、手を振り、声をかぎりと応援歌を歌っているうちに、諸君は、急速にワセダニアンになっていく自分を感じることでしょう。そのときから、諸君は本当の意味で、ワセダの学生になるのです。

 諸君の多くは、ワセダの学生となることはどういうことを意味するか、まだ考えたこともないでしょう。当然です。しかし、ワセダの学生となるということは、ワセダの歴史の継承者となり、ワセダの伝統の創造者となるのだということを、そろそろ自覚してもらわねばなりません。そのために諸君は早稲田大学に入学したのであり、そのために諸君はここにいるのです。いささか禅問答めいてきたので端的に申し上げますが、諸君はすでにこの百十八年の歴史と伝統を有する早稲田大学という人生劇場の主人公となったのです。これからは、主役は諸君です。諸君は観客の一人ではないのです。そうだとすれば、諸君はもう行動を起すべきです。世のため人のために自分は何をなすべきか、いまから真剣に考えるべきです。「石中に火あり、打たずんば出でず」というアフォリズムは、諸君のためのものだからです。

 おそらく諸君は、これまで長い灰色の受験生活を孤独に耐えながら送ってきたのだから、大学に入学してようやく自由になれたとばかり、いまその解放感を満喫していることでしょう。しかし、「石中の火」を取り出すためには、これまで以上に諸君は「孤独」を友とすることが必要です。むしろ、私がかつてパリで聞いたムスタキの歌うシャンソンの一節のように、「いえ、決して私は一人ではない。いつも孤独と一緒だから…」というくらいの強気でなければなりません。

 かつて、フランスの高名な歴史家であるジュール・ミシュレ(一七九八−一八七四)は、学生に対し、一八四八年の革命(二月革命)前夜のコレージュ・ド・フランスにおける講義の中でこう語っています。すなわち、「孤独とは何でしょうか? 何らかの青春の痛みゆえに、自らの心の上で自らの心を打ち砕くことでしょうか? それとも……ぼんやりと生を流れるままにしてしまうことでしょうか?……いいえ、孤独とは、力強い心情の集中であり、 自らを準備し、将来に備え、精神的力を蓄えることです。孤独とは、一人の人間が人間達に棒げる最初の犠牲であり、ひたすら人々に尽くすために、人々から離れるということです。孤独であるのは、社会的人間関係を持ちうるようになるためです。幸せな人々、輝ける人々、人生が一つの遊びであるような人々のもとを逃れ、それだけにいっそう現実の生に近づこうとすることなのです」(ミシュレ(大野一道訳)『学生よ』)と。

 おわかりになりますか。この巨人のことばの意味は、「あなた方若い人々が、万人のために尽して下さるように!……あなた方、万人から愛され万人に受け入れられる皆さんは、自らの心を拡大して下さい。そこに万人が含まれてしまうほどに……」という結びの一節を合わせて読んでいただければ、明らかでしょう。そうです。諸君は孤独を恐れてはいけません。諸君が真のワセダニアンとして万人から愛され万人に受け入れられるようになるためには、学問をするという孤独な作業に「力強い心情の集中」が必要なのです。大隈さんもいうように、「高く翔ばんと欲すれば、深く学ばざるべからず」ということになるのです。

 青春とは孤独と同居することです。そして、大学に入学するということは、本気で学問に取り組むという決意表明にほかなりません。しかし、諸君が早稲田大学に入学した動機は、実際、学生一人ひとりが異なることでしょう。しかし、諸君がどんな動機をもっていようと、本学に入学した以上は、その動機を純化する努力が必要です。そのために、私は、本学の恩人の一人である坪内逍遙先生が造語された「自反自責」という言葉を諸君に贈りたいのです。すなわち、「自ら反省し、自ら責任をとる」というワセダ育ちの潔い生き方をするためには、諸君は一人の学生として日々純粋な生き方を心がけ、学びの姿勢を持続しなければなりません。

 とはいえ、私は、青春多感な大学時代を修道僧のごとき清廉潔白な生活を送れと強要しているわけではありません。自由に、伸び伸びと、そして、若者らしく、なにかに一途にのめり込んでいくこともあってよいのです。そののめり込む対象が広い意味での勉強であればさらによいと願うことはいうまでもありません。孤独を恐れず、孤立を恐れず、常に「自反自責」を心がけ、青春の生命を本学のキャンパスで完全燃焼してください。

Temez-vous bien!

ミニコラム「意義ある学園生活を」 教務部長・小口彦太


 新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。これからの大学生活に思いを馳せ、期待に大いに胸を膨らませていることでしょう。どうか今の意欲を大切にして、この貴重な時期を悔いのないものにしてください。幸い、わが早稲田大学は、皆さんそれぞれの持つ希望や将来の夢に応えるよう、さまざまな制度や環境を用意していますから、大学を余す所なく自分のやり方で活用してほしいと願っています。

 さて皆さんもご承知の通り、現在の日本は戦後最悪の不況下にあり、未だその出口さえはっきりと見出せないでいます。経済の停滞が国民心理にも重くのしかかり、日本全体が自信喪失の状態に陥っているかのようです。ただそのおかげで、今までは常識とされてきた考え方や社会の仕組みに対しても、率直な疑問の目が向けられるようになってきました。例えば、これまで日本人の国民性のように言われてきた"集団主義"に対する疑問とか、"会社中心主義"の破綻などを思い浮かべてください。これからは私たち一人ひとりが個人としての力量を飛躍的に高めていかなければなりません。この力量の中には深い教養、高度な専門知識、巧みな表現力等さまざまな面が含まれます。

 学生時代こそ、皆さんがこの個人としての力量を本格的に培う絶好の機会です。何よりも時間的な余裕がある間に、先人の遺した知恵や内外の最新の知見に幅広く学び、洞察と批判を繰り返し積み重ねていってください。同時に、多様な人たちと直に接し、異なる個性と価値観をぶつけ合う実体験も極めて重要です。目的意識のない勉学ほど不毛なものはありません。哲学者カントは、いつも学生たちに「哲学を学ぶのではなく、哲学することを学べ」と説いたそうです。学問とは何か、何のために学問をするのか、ということを常に念頭に置いてほしいと思います。

 早稲田大学は総合大学としての利点をふまえて「教育のオープン化」を唱え、意欲ある学生のために多様な学習機会の提供を図ってきました。自分の所属学部で独自性と専門性を追求する一方、全学部オープン科目を受講したり、国際教育・語学教育・情報教育を担う各専門機関で学部横断的な教育を受けることも可能です。海外留学の充実はもとより、一九九七年度からは、国内交流として同志社大学との間で相互に学部生の派遣・受入を行うユニークな制度も始まりました。二〇〇〇年度からは日本女子大学、学習院女子大学にも対象を広げています。他にも、情報ネットワークを使ったマルチメディア授業や社会人学生の積極的な受入れなど、次々と新しい試みに取り組んでいるところです。

 しかし、これらの制度はすべて、学生の皆さんの自主性を大前提とすることは言うまでもありません。もともとuniversityの原語universitas(ウニヴェルシタス)は、ラテン語でギルドなど自律的な団体・結社を意味しました。大学の発祥地たるボローニャやパリでは、志を同じくする学生や教員が自然発生的に各地から集まり、共同で教学組織を運営するようになったのです。学生が大学における教育と研究を発展させる原動力であることに、今も変わりはありません。

 学生であるということに感謝し、また早稲田大学にいるということに誇りを持って、ぜひとも充実した学園生活を送られますことを、心から祈念しています。


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