NO.882 Oct.20,1999
特集:大隈講堂 知られざるその素顔


 本学のシンボルとも言うべき大隈講堂。先ごろ東京都の歴史的建造物に指定された由緒ある建物だ。各学部の入学式やさまざまな大学行事で、皆さんも一度は中へ入ったことがあるだろう。しかし、意外と知られていないことも沢山あるのでは?
 そこで、今回の特集では「大隈講堂」を取り上げ、その知られざるエピソードをご紹介しよう。

1.大隈講堂その歴史

早稲田のシンボル、こころの故郷「大隈講堂」  大隈講堂が竣工したのは一九二七(昭和二)年のこと。今から七十二年前のことだ。当時、現在の東大、東京帝国大学の安田講堂が竣工したばかりで、それを参考にしたが、安田講堂にはない新しい工夫を試み、建設された。
 建設にあたっての当時の総長・高田早苗の注文は、「ゴシック様式であること」、「演劇に使えること」であった。これは当時としては画期的な事で、高田早苗の「早稲田にしかない講堂の建設」を目指したものと言えよう。設計は当時の理工科の教授陣によるコンペが行われ、その当選作を参考にして、建築科の佐藤武夫教授によるデザイン、東京タワーを設計したことでも知られる内藤多仲教授の構造によって、建築が始められた。日本で初めて音響設計をした講堂で、音響の設計には電気科の黒川兼三郎教授が当たるなど、当時の錚々たるメンバーによって建設が進められた。また、建設費には多くの篤志家から多数の寄付が寄せられ、建設の上での大きな助けとなった。
 そして、十月十五日には客席数千四百三十五席の立派な講堂が竣工。当時の東京には、専門の劇場でもこれだけの規模を持つ劇場は数少なく、その威容を誇ったのである。この年は創立四十五周年にあたる年だったこともあり、その記念を兼ねて十月二十日に開館。奇しくも今日がその七十三回目の開館日に当たることになる。

2.大隈講堂その構造

太陽系を表現した採光窓  大隈講堂には構造上数多くの特徴がある。地上三階地下一階(地下は大隈小講堂)の構造には、当時は珍しかった先進的な様式や工夫が施されている。
 舞台に向かって一様の傾斜を持っている客席、照明を助けるホリゾントの使用、これらは当時は稀なものであった。中でも特筆するべきは二階席を支える梁で、十二メートル突き出た客席には一本の支柱もなく、それを二十三メートルの梁で二百十八トンもの重量を支える設計になっている。
 また二階廊下にはステンドグラスが散りばめられ、電気を消すと自然光でパープル、ブルー、エメラルド・グリーンの模様が浮かび上がる。太陽光を受けてまばゆいきらめきを見せるステンドグラスは一見の価値がある。
 大隈講堂の中でもユニークなのは天井。天井は宇宙を表現し、楕円形の窓は太陽系を表現した採光窓になっている。中央に太陽をかたどり、十字型の西に三日月、その周りには九つの星をあしらってある。九つの星とは水・金・地・火・木・土・天・海・冥のそれぞれの星を現わしている。下から見上げる天井はユニークな形をしているが、その天井にはそんな意味が含まれていたのだ。
 また講堂の門扉や天窓の側面には、大隈家の家紋「裏梅剣花菱」をアレンジした十字状の模様が随所に見られる。

3.大隈講堂その華麗なる舞台

二階席から。大隈講堂の天井はまるで宇宙のよう。  大隈講堂の舞台には、多くの来賓がその足跡を残している。古くはインドのネール首相、アメリカのロバート・ケネディ司法長官(いずれも故人)、フィリピンのアキノ大統領などの政治家をはじめ、ベルリン・フィルハーモニーの終身常任指揮者だった故ヘルベルト・フォン・カラヤンが早稲田大学交響楽団のために公開練習を行い、タクトを振ったこともある。また最近では、現職の大統領としてアメリカのクリントン大統領が初めて来校したり、金泳三韓国大統領、江沢民中国国家主席などが来校し、講演している。
 芸術方面では、一九八二(昭和五十七)年の創立百周年記念事業の一環として、校友の俳優・森繁久彌さんのライフワークとして有名なミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」の上演や、やはり校友の松本幸四郎さん、中村吉右衛門さん兄弟による歌舞伎「勧進帳」の上演が行われた。詰め掛けた満員の観客は森繁さんや幸四郎さんらの演技に酔い、大隈講堂が割れ返るような興奮と熱気に包まれた。その後も島田正吾さんの一人芝居「白野弁十郎」などが上演され、こうした公演によって、建設当初の「演劇に使える」という目的は果たされたのである。現在は、学生主催のイベントや毎年恒例のワセダ・カルチャー・トーク等著名人を招いた講演会などが行われている。
趣のある回廊

4.大隈講堂その知られざる場所

 大隈講堂には、庭園に面した回廊があるのをご存じだろうか? 講堂の側面がアーケード式のバルコニーになっている。大礼服姿の大隈重信の銅像を移設するために、壁に予め窪みが造ってあり、そこには大隈重信の銅像がたたずんで庭園を眺めている。この回廊は貴賓室に通じており、普段は閉鎖されているので、皆さんはそこを歩くチャンスはないかもしれないが、ガーデンハウスへ通じる道から垣間見ることができる。
 そして、特派員が訪れた時計塔。毎週金曜日と土曜日に現役早大生がキャンパス内を案内するキャンパスツアーでは、この時計塔の中を見学することができる。皆さんも、申し込んで時計塔を覗いてみてはいかがだろうか。

5.大隈講堂次の世紀へ

 本学のシンボルとして、多くの学生を見続けて来た大隈講堂。間もなく次の世紀を迎えるが、大隈講堂は今も変わらぬたたずまいで、多くの学生を見守っている。二〇〇七年には、本学も創立百二十五周年という大きな節目を迎える。その時には老朽化した講堂の大規模修繕も予定されているが、いつまでも本学のシンボルとして聳え立つ講堂は、今日も次の世紀を担う学生たちを見守っている。

特派員 潜入! 大隈講堂 時計塔

 いつの時代も、変わらない鐘の音で早稲田の街に時を告げるる大隈講堂の時計塔。キャンパスツアーでも人気の本学のシンボルだ。しかし、大隈講堂には入れても、時計塔は普段は非公開。キャンパスツアーでしか入ることができない。そこで本紙特派員が時計塔を取材。直に鐘の音を聞いてみることにした。

 大隈講堂の時計塔の高さは百二十五尺(約三十八メートル)、地上七階に当たる。大隈重信が生前常々唱えていた人生百二十五歳説に因んだ数字だという(人は摂生すれば百二十五歳まで生きると言う言葉)。ちなみに、二〇〇七年の創立百二十五周年もこれに由来する。
 聳え立つ塔に取りつけられた四つの時計は長針一メートル、短針八十センチで直径二メートルをも超す巨大なもの。一階にある標準時計によって管理・作動され、標準時計の信号で自動的にハンマーが動き、三十秒間鳴り続ける。動力源にはバッテリー室で充電した蓄電池を使用。夕方になると、自動的に豆電球が点き、朝になれば、電球が自動的に消えるようになっている。
大きさの違う四つの大鐘で、音はF、Bフラット、C、D。重さは最大のもので720キロもある。  時計塔の鐘は米国・ボルティモア市マクレン社からはるばるパナマ運河を越えて運ばれた。大小四つの鐘でハーモニーさせる方法は日本では最初のものだとか。鐘の音を鳴らす時間は八時、九時、十二時、十六時、二十時と、一日六回(試験の時などは配慮して、鐘の音を止めることがある)。ウエスト・ミンスター寺院のそれと同じハーモニーを奏でているのだという。
 さて、早速大隈講堂の時計塔へ。夕方、十六時の鐘に間に合うように出発した。講堂に入ってすぐ、左手の階段を上っていく。黄色いステンドグラスから洩れる光を背に大隈講堂の二階席最後尾まで来ると、今度は薄暗い狭い階段に変わる。やっとの思いで百十段(地上五階)を昇りきると、時計室へ到着。薄暗い四面の壁にはそれぞれ直径二メートルを超す巨大な時計が取り付けられている。
 時計室からさらに階段を上っていくと、屋上へ出るはしごに辿りつく。天井から漏れる明かりを頼りに、一歩一歩足を運ばせ、いざ大隈講堂のてっぺんへ。やっとのことで昇った屋上から見渡す景色は見事。夕陽で色づく早稲田の街と、その先まで一望することができた。屋上のWを描いた凹凸の壁と大鐘の側面は薄黒く変わり、七十二年の歴史の重みを感じさせる。見上げれば、頭上に吊るされた巨大な貫禄のある四つの鐘が圧巻である。
 十六時。仕掛け時計のようにハンマーが、ギィーと引っ張られた。瞬間、耳を押さえても溢れてしまうほどの重音が。ハンマーが鐘を叩く音までが聞きとれる。そして荘厳な含蓄のある音には四つの奥深いハーモニー。鐘の音色は早稲田の街へと響きわたった。
 最上階で受ける爽快な風を肌で確かめながらの貴重な体験。 皆さんは創立当時から変わらないこの鐘の音をどんな思いで聞いているのだろうか。

(さ)

■キャンパスツアー 【問い合わせ先】広報課 TEL03(5286)1276
【URL】http://www.waseda.jp/tour/campt.html

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