NO.882 Oct.20,1999
特集:大隈講堂 知られざるその素顔
大隈講堂が竣工したのは一九二七(昭和二)年のこと。今から七十二年前のことだ。当時、現在の東大、東京帝国大学の安田講堂が竣工したばかりで、それを参考にしたが、安田講堂にはない新しい工夫を試み、建設された。
大隈講堂には構造上数多くの特徴がある。地上三階地下一階(地下は大隈小講堂)の構造には、当時は珍しかった先進的な様式や工夫が施されている。
大隈講堂の舞台には、多くの来賓がその足跡を残している。古くはインドのネール首相、アメリカのロバート・ケネディ司法長官(いずれも故人)、フィリピンのアキノ大統領などの政治家をはじめ、ベルリン・フィルハーモニーの終身常任指揮者だった故ヘルベルト・フォン・カラヤンが早稲田大学交響楽団のために公開練習を行い、タクトを振ったこともある。また最近では、現職の大統領としてアメリカのクリントン大統領が初めて来校したり、金泳三韓国大統領、江沢民中国国家主席などが来校し、講演している。
4.大隈講堂その知られざる場所
大隈講堂には、庭園に面した回廊があるのをご存じだろうか? 講堂の側面がアーケード式のバルコニーになっている。大礼服姿の大隈重信の銅像を移設するために、壁に予め窪みが造ってあり、そこには大隈重信の銅像がたたずんで庭園を眺めている。この回廊は貴賓室に通じており、普段は閉鎖されているので、皆さんはそこを歩くチャンスはないかもしれないが、ガーデンハウスへ通じる道から垣間見ることができる。|
特派員 潜入! 大隈講堂 時計塔
いつの時代も、変わらない鐘の音で早稲田の街に時を告げるる大隈講堂の時計塔。キャンパスツアーでも人気の本学のシンボルだ。しかし、大隈講堂には入れても、時計塔は普段は非公開。キャンパスツアーでしか入ることができない。そこで本紙特派員が時計塔を取材。直に鐘の音を聞いてみることにした。 大隈講堂の時計塔の高さは百二十五尺(約三十八メートル)、地上七階に当たる。大隈重信が生前常々唱えていた人生百二十五歳説に因んだ数字だという(人は摂生すれば百二十五歳まで生きると言う言葉)。ちなみに、二〇〇七年の創立百二十五周年もこれに由来する。 聳え立つ塔に取りつけられた四つの時計は長針一メートル、短針八十センチで直径二メートルをも超す巨大なもの。一階にある標準時計によって管理・作動され、標準時計の信号で自動的にハンマーが動き、三十秒間鳴り続ける。動力源にはバッテリー室で充電した蓄電池を使用。夕方になると、自動的に豆電球が点き、朝になれば、電球が自動的に消えるようになっている。 時計塔の鐘は米国・ボルティモア市マクレン社からはるばるパナマ運河を越えて運ばれた。大小四つの鐘でハーモニーさせる方法は日本では最初のものだとか。鐘の音を鳴らす時間は八時、九時、十二時、十六時、二十時と、一日六回(試験の時などは配慮して、鐘の音を止めることがある)。ウエスト・ミンスター寺院のそれと同じハーモニーを奏でているのだという。さて、早速大隈講堂の時計塔へ。夕方、十六時の鐘に間に合うように出発した。講堂に入ってすぐ、左手の階段を上っていく。黄色いステンドグラスから洩れる光を背に大隈講堂の二階席最後尾まで来ると、今度は薄暗い狭い階段に変わる。やっとの思いで百十段(地上五階)を昇りきると、時計室へ到着。薄暗い四面の壁にはそれぞれ直径二メートルを超す巨大な時計が取り付けられている。 時計室からさらに階段を上っていくと、屋上へ出るはしごに辿りつく。天井から漏れる明かりを頼りに、一歩一歩足を運ばせ、いざ大隈講堂のてっぺんへ。やっとのことで昇った屋上から見渡す景色は見事。夕陽で色づく早稲田の街と、その先まで一望することができた。屋上のWを描いた凹凸の壁と大鐘の側面は薄黒く変わり、七十二年の歴史の重みを感じさせる。見上げれば、頭上に吊るされた巨大な貫禄のある四つの鐘が圧巻である。 十六時。仕掛け時計のようにハンマーが、ギィーと引っ張られた。瞬間、耳を押さえても溢れてしまうほどの重音が。ハンマーが鐘を叩く音までが聞きとれる。そして荘厳な含蓄のある音には四つの奥深いハーモニー。鐘の音色は早稲田の街へと響きわたった。 最上階で受ける爽快な風を肌で確かめながらの貴重な体験。 皆さんは創立当時から変わらないこの鐘の音をどんな思いで聞いているのだろうか。 (さ) ■キャンパスツアー 【問い合わせ先】広報課 TEL03(5286)1276【URL】http://www.waseda.jp/tour/campt.html |