研究最前線


掲載号NO.931 May.10,2001
大藪泰文学部教授
障害児のケアや人間の心の原点の理解に寄与する「赤ちゃん研究」
言葉を持たない乳児の心理を解明するその秘訣とは?


 一般に、産まれたばかりの赤ちゃんやまだ話すこともできないような小さな子どもは、能力のない存在であると思われている。しかし、近年、さまざまな研究によって、その未知なる部分が解明され、多様な能力が分かってきた。また、育児不安や幼児虐待といった子育ての難しさが指摘される中で、子どもたちが成長の過程で何を感じ、何を考えているのか探るために、発達や教育など子どもをめぐる問題が今、注目されている。

実験方法を母親に指示。8つのシーンでコミュニケーションを探る 人間は「意図」を理解する存在。指さし行為によっても、それは明らかになる ◆母子のコミュニケーションを探る"ジョイント・アテンション"
 「それでは、このカードを読んで、お子さんと遊んでください」一昨年完成した戸山キャンパス三十六号館のプレイルームを使った大藪泰文学部教授の実験は、"ジョイント・アテンション"の発達がテーマである。
 この実験では、遊びの中で、母子がおもちゃやシンボル(言葉など)に注意を向け合ったり、また相手に何らかの要請をするようなコミュニケーション場面が八種類用意されている。「最初に遊び方や反応を指示するカードを母親に与えて説明し、親子で遊ぶ八場面の様子をビデオで記録します。その後、コーディングという行動の分類作業を行って、研究データを蓄積します」
実験で遊ぶことが母子の息抜きにもなっている。参加者も口コミで広がる!  なぜ母子の遊びを観察することで、発達が明らかになるのか? 「赤ちゃんは人との遊びの中に対象物を取込み、その対象物の文化的意味を人から学びます。これこそが人間の文化伝承の原点。じゃれ合うだけなら動物でもできますが、遊んで、そこから素早く学ぶのは人間だけ。伝統を学習していくんです。一昨年、在外研究でアメリカに渡り、この研究の最前線を経験し、実験に取り組んでいるのですが、使っている八つのシーンのうち二つは私のオリジナル。視覚の他に聴覚刺激も使います」

◆インフォームド・コンセントは実験協力者への必須事項!
 先生は臨床で障害児・自閉症児の相談に携わっていた時に、障害の解明には健常児の発達の解明が必要だと実感。以来、赤ちゃんを研究し始めて四半世紀。現在は、一歳から二歳半までを対象にする。
 「実験の中に母子で過去の思い出を話すものがありますが、最初は実験場面以外の出来事を話題としてジョイントすることはできません。それが、成長するにつれてでき始める。目の前にあるおもちゃのジョイントから、目の前にはない出来事へのジョイントへの発達、そういった発達段階を観察するために、月齢十八カ月以下の協力者には以後三カ月一度のペースで来てもらって、縦断的研究を行います。その実験は昨年一年間で百回、つまり三日に一度は実験しているということですね(笑)。そうして何人ものデータを取り、どのような発達がいつ頃、どんな形で現われるのか統計的に処理します」
 さらに、参加者には事前に必ず、インフォームド・コンセントを行うと言う。「実験内容やデータ処理の方法、または学生に対する教材として利用すること、など弁護士と相談してまとめた条項を説明し、契約を交わします。心理学では人間を対象とした実験を行うことがよくありますが、インフォームド・コンセントの必要性は忘れられがち。ここまで徹底しているところは滅多にありません」

実験終了後、すぐにコーディング作業を行う。「しっかり見よう」とまなざしは真剣だ ◆視点を定めて「しっかり見ること」、それが心理解明の秘訣
 「例えば、どこかを指さした時、動物は指に興味を持つけど、人間はそれが何かを示す行為だと分かる。これは、教えられなくても、赤ちゃんでも同じ。人間は相手の"意図"を理解する存在。指さしという行為を理解できるということは、子どもが相手の"意図"を汲み取ることができるということなんです」
 言葉を持たない赤ちゃんの心理を明らかにする方法とは。「実験終了と同時にコーディング作業をしますが、一シーン(五分)につき最低二十〜三十分はかかります。正確にコーディングするには、経験も必要ですが、視点を定めて、"しっかり見る"ことが重要。昔の教科書では、赤ちゃんが産声をあげた後はすぐに眠ると書いてあったのですが、実際に私が出産現場に立ち会って見た結果、本当はずっと起きていることが分かりました。いかに我々はあいまいにものを見ているかということだよね」
 「実際に見ないで、『本で読んだ』とか『誰かが言った』とか、あたかも分かったかのように言う学生がいるけど、実際に見ると、本の内容と違うことってある。当たり前と思うことは、むしろ怖い。分かっているつもりになっているだけで、本当は分かっていないことは沢山あるよ」。さらに、一つの原因だけが子どもの発達を決定するものと思わないことだと改めて強調した。
先生が選び抜いたおもちゃの数々。これこそが実験器具なのだ  好奇心を持って真剣に対象を観察し、真実を追究する真摯な姿勢の一方で、「赤ちゃんにお土産を」と、先生自らおもちゃを捜し歩く日々。最前線の研究は、子どもたちに対する溢れんばかりの愛情に支えられていた。

大藪泰文学部教授 ■ おおやぶ・やすし
 文学部教授 1951年兵庫県生まれ。本学文学部卒、79年に文学研究科博士課程(心理学専攻)を中退し、長野大学専任講師に。92年より本学助教授、95年より現職。
【研究分野】発達心理学、乳幼児心理学
【研究テーマ】乳幼児のコミュニケーションの発達
【所属学会】日本赤ちゃん学会、日本発達心理学会、日本心理学会、Society for Research in Child Development、World Association for Infant Mental Healthなど
【著書】『新生児心理学』(単著)、『乳児心理学』(共著)、『乳児のコミュニケーション発達』(共訳書)、『子どもの行動観察法』(共訳書)以上いずれも川島書店、他多数
【E-mail】[email protected]

★ 実験に参加してくださる赤ちゃん(1歳前後から2歳6カ月位まで、1歳以下でもOK)を募集中! 遊ぶ時間は1時間程度、交通費実費支給。詳しい情報は下記まで。
【問い合わせ先】研究室 03(5286)3565/心理学教室 03(5286)3743


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