第907号 JuL.6,2000

■フリートーク「退く事と権力思考」

 幕末戊辰の戦いについてこんな説がある。徳川慶喜は有能な人で、戦術にも家康に劣らない才能を持っていた。進軍してくる薩長軍に対して、戦略的にも軍事的にも、幕府側はこれを退ける能力があった。では何故彼らは江戸を開け渡し、薩長軍を受け容れたのか。慶喜は、薩長を退ける事はできた。しかし両軍が正面から戦えば双方に大きな損害が出る。それは日本の国力の減退を意味する。外には欧米列強が虎視耽々と日本を狙っている。国内を分裂させて双方を相戦わせ、その隙に植民地化するというのは、当時欧州列強の常套手段だ。日本でも幕府に仏が、薩摩に英がついていた。幕府だ薩長だという争いで日本が植民地化される危険を見抜いて、慶喜はそれを避ける為に敢えて舞台を退いたのだ、と。

 或集団の中で、或人が中心的な役割を担っていたとする。しかしどんな所にも不満は出るもので、その不満が表出される。彼はつまらない事で全体が停滞してしまう事を嫌忌して、あっさりとその舞台を去る。要は指導的地位でも権力「思考」でもなく、全体である。それは何も過度の強制された全体主義ではなく、たおやかな公共心とでも言うべきか。

 誤解を恐れずに言えば、人は権力「思考」に満ち溢れている。権力を欲し勝つ事を欲す。大層な事を言わずとも、人と人との関係でもちょっとした事で相手をコツリとやって優位に立とうとする。勿論そればかりでない、心からの好意や友好もある。しかし「勝つ」事への欲求のどれだけ多いことか。そしてこの欲求はなかなか乗超える事が難しい様に思える。何故ならどんな社会や世界でも、何らかの「力の量」に拠って価値の配分がなされる、からである。神は意図してこう為さったのか、残酷な事だ。そしてそれが、絶対とは言わない迄も、相応の普遍性を持っているのならば、我々は自分の為に勝つ事を志向しなければならないのであろうか。否、例えば、より大きな利益の為に自ら退くものが相応の価値を配分される事には、神も人間も社会も思い至らないのだろうか。我々には「力」そのものを乗り超える手はないのか。

(政経3年 M.H.)


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第906号 Jun.29,2000

■フリートーク「『科目等履修生』をご存知ですか?」

 一九八〇年五月に、私たち、一文聴講生の先輩の荒川利男さんが「聴講生が一堂に会して親交を深め、志す学問について語り合い、励まし合い、キャンパスで声をかけ合うことができるようなサークルがあれば」と考えて「早文会」が誕生し、実に二十年も続いています。

 本学では聴講生を「科目等履修生」と呼んでいます。「早文会」のメンバーは、年令、職業、その来歴も聴講科目もまちまちで大変幅が広いのが特徴です。

 では、「早文会」の活動ぶりを紹介しましょう。春には、新会員の募集をし、“総会”を開きます。そこで会の現況報告や、会員の紹介をしてお互いの懇親をはかります。今年は、会員のさまざまな声が寄せられた手作りの「会報」が創刊されました(毎年二回発行予定)。“秋の集い”はいつも楽しい企画が実施されています。昨年は、出光美術館を見学。学芸員の方に興味深い説明をしていただき、その後、松本楼で会食という楽しい集いでした。

 「早文会」のもう一つの活動は、『早文会論集』を毎年春に発行していることです。これは科目等履修生のレポート発表の場として開放されたユニークな冊子です。刊を重ね、既に十五号になりますが、単なる同好会誌のようなものではなく、文学部に公的に認定され、予算もついている事業活動です。この論集には、会員の多方面における研究が、とても自由な形で発表されています。

 ぜひ一度、この冊子を聴講生の皆さんに手に取って見ていただきたいのです。入手方法および連絡先を「杜の手帳」欄に紹介しています。

(一文科目等履修生 小椋 香織)


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第905号 Jun.22,2000

■フリートーク「イジメ・バイオレンス・性・少年法」について

 最近、物騒な事件が多い。十七歳少女、二人による監禁・リンチ事件。イジメによる殺人事件…。挙げたらきりがない位、凶悪かつ猟奇的な暴力事件をニュース等でよく聞く。

 私は現在、ガソリンスタンドでアルバイト(昼勤)をしているが、周囲は皆、若者(高校生も含む)である。彼らの共通点は、みんな色欲、物欲が強く暴力的であるということである。夜勤はたまに傷害事件を起こす。私以外、所長・社員も含むが傷害事件で少年院送り、高校中退、クラブ通い、ナンパ狂い、喫煙による退学処分等を経験している。私自身も、大学を留年しているので大きなことは言えない。しかし彼らはいたって健全である。性格も良い方だと思う。話もできるし、仕事もできて機転のきく方である。

 だが彼らの本質には、一体何があるのだろう。家庭でのしがらみからか? 幼少期からのトラウマか? 私にはいまいち分からない。皆、いわゆる昔風の「不良」ではない。現代の「不良」たちである。中には、実際に「チーマー」の一員だったメンバーもいる。組織の抗争から人がナイフ等で刺されている現場を目撃した話や、三十人以上にリンチをされた話、ケンカ相手を半殺し(内臓破裂)にした話や、一人をしばりつけて服をぬがし、局部を火であぶった話も聞いた。どれも米映画のギャング物で観たような残酷な行為である。事件を起こした当事者たちには、どういうわけか罪悪感がない。むしろ彼らは「権利」や「強さ」を主張する。彼らは恐らくまた同じ、事件を起こすだろう。

 人間の中に本質的にあるかもしれない「狂暴性」について考えた。どんなに素晴らしい指導者も凶悪犯も同じ人間である。皆、内面に「狂気」をもっている。自分もいつどんな目に合うかは分からない。ただ日本は、アメリカのような「犯罪大国」にならず「平和国家」(賛否両論だが…)であり続けてほしいと思っている。昨今の、諸事件やイジメ問題に直面すると強烈に「平和・安全」があたり前ではなく、改めてありがたいものだと痛感するのである。

(二文5年 栗原 剛)


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第904号 Jun.15,2000

■フリートーク「西早稲田キャンパス喫煙状況改善についての提案」

 早稲田大学に入学して二カ月が経つ。勉学に励めるものと期待して選んだ場所だったが、その環境が整っていないことを、今感じている。大学に来ると咳、鼻水が止まらなくなるのだ。原因は、校内を白く霞ませるタバコの煙にある。

 道の両側に並ぶ灰皿、その前で煙を吐き出す人々。建物内にも多数の灰皿がある。ポイ捨て対策なのだろうが、学内でタバコの販売をするなど、喫煙を奨励しているように思える。

 タバコとその煙の発癌性が砒素、ダイオキシンと同じ最上位の”Group 1”に分類されているなどその害は非常に大きい。また有害物質は喫煙者が吸う主流煙より、非喫煙者が吸わされる副流煙に多く含まれる。つまり他人に対して害を為す物なのだ。

 昨年WHOが、タバコ対策をマラリア対策と並ぶ最重要課題として国際条約で規制することとし、二〇〇三年に条約を採択することを目指すなど、世界の潮流は禁煙へと向かっている。グローカル・ユニバーシティを掲げる早稲田大学はこの世界の動きに倣い「健康に暮らす」という他人の権利を奪わない学生を育てていくべきではないだろうか。また、エコ・キャンパスを目指すのであれば、グローバルな地球環境問題と共に、ローカルな学内の環境問題も考えていくべきではないだろうか。

 以上の理由から、私は大学に対し、喫煙状況改善に向け次のような提案をしたい。1.学内でのタバコの販売の禁止2.不特定多数の人間が通行する場所での喫煙の禁止3.喫煙所の設置(但し非喫煙者が通行を余儀なくされる場所への設置は不可)4.学生・教職員等への啓蒙活動5.禁煙プログラムの設置、施設紹介6.被害申請機関の設置。以上六項目である。

 また、学生に対しても呼びかけたい。その一服が他人を害する行為であることをぜひ考えてみてほしい。

(政経1年 中野 華奈)


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第903号 Jun.8,2000

■フリートーク「屋台村レポート」

 オール早稲田文化週間に参加した屋台村という、留学生と国内生の有志が集まって、色々な国の料理を作るというイベントをご存知の方もいらっしゃることでしょう。食べる側に徹するのも良いけれど、作る側に回るのも楽しいものです。

 さて、マレーシアからの留学生がいたうちの班では、マレー料理を作る運びとなりました。作る前には、やっぱり本場の味を知る人に作って貰わないと始まりません。そこで、本番前にレシピを教えてもらうという意味も兼ねて、留学生のお二人に作っていただきました。メニューは、ナシレマ(マレー風チリご飯)、ブボゥ・チャチャ(マレー風芋のお汁粉)、フライドバナナの三品。はっきり言ってマレー料理は凄く美味しいです。本番前に数回行った試食会ですが、毎回、和気藹々と調理し、美味しいマレー料理に舌鼓を打った班のメンバー達なのでした。

 本番当日。心配していた天気も曇りにとどまり、準備終了、即席看板も仕上がり、更に即席で編み出した一品、サツマイモ・ドーナツの用意も万端。ほっとしたのも束の間、十時を回り、お客さんがちらほらやってきました。ドーナツとバナナが飛ぶように売れてゆく中、残される汁粉とマレーご飯。そう、美味しい食べ物は見た目が地味だったりするのです。それでも、着々とお客さんのお腹に収まってゆきました。

 屋台をやって嬉しくなる瞬間、それは、食べた人が「美味しい」とコメントをくれた時です。勿論、留学生や色々な学部の人達と屋台をやるまでの過程も楽しいけれど、本番で、美味しいと言われると、更に充実感が得られます。こういうイベントって良いですね。興味のある人は、来年、躊躇しないでトライしてみて下さいね、きっと後悔はしないはずです。

(一文1年 大角 仁美)


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第902号 Jun.1,2000

■映画評「アイ・ラヴ・ユー」を観て。

 「なんか、うまくまとまりすぎているなぁ」。

 これが私の正直な感想。最後は理解ある人たちに囲まれて、メデタシ、メデタシ。泣いている人たちもいたけど、なんで泣いてるんだろう? どこで感動したんだろう? 確かに「いい話」だと思うけど、結局「うまくいきすぎた話」と思っていた。

 しかし、そんな「うまくいきすぎた話」の中には、色々な現実が隠れていたと思う。手話に対する、色々な考え方、普通に過ごしている聴者ならば、よっぽどのことがない限り出会うことのないろう者の考え方、マナー、生活様式など。その多様性を初めて知った人たちは驚き、その中で暮らしている人たちは共感したのではないか? と少々分析。私はというと、いろいろな人たちに内容を聞かされているから、面白味が半減。残念。でも、この映画を見ると、「ろう」というのが障害なのか?  と疑いたくなる。映画の中で手話という言葉を使い、生き生きと生活しているのを見ると、彼らは「手話」がある限り、別に聴者となんら変わらないのではないか? とさえ思う。まぁ『うまくまとまって』いるから、そういうこともいえるという考え方もできるけど、実際、ろうというモノを持った彼らと話してみれば、すぐ分かる。

 「なんだ、うちらと一緒じゃん」。言葉でうんぬんいうよりも、それが多分、一番重要なんだな。

(「手話さあくる」部員 教育2年 渡邊 和英)


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■フリートーク「都会の明かり」

 この前、下宿の鍵を机の引き出しの中に置き忘れて、部屋から締め出されてしまった。管理人さんは、あいにく不在で、私は夜の町を何処に行くでもなく、歩き回るほかなかった。田舎育ち故、山や川が、時間、季節、場所により、さまざまな表情を見せるのは、経験として知っていたが、都会にもまた違った意味で、いろいろな顔があるものだ。講堂前では、学生連の集合時間らしい。スケートボードに興ずる者あり、ギターを抱いて歌う者あり。カラスまでもなぜか眠らず、カアカアとやっており、酔っ払いは道端にうずくまる。自転車の籠から溢れたゴミが風に舞っている。

 私は一人、十四号館の最上階に上り、東京の街を眺めてみた。人の数だけ明かりが点り、その分の人生がそこにある。その分の夢もまたあろう。挫折も、幸せも、孤独も。それぞれの光は、行儀良くコンクリートの硬い枠の中に納まっている。それぞれ気持ちよく生きてゆくには、こういう枠組みに、一人一人収まる必要もある。明かりの意味が、それぞれにとって、あまりにバラバラなので、自分の明かりを自分の部屋の中だけで点すのである。

 このように無関心を装った枠の中で、都会人の生活は回っている。各々に違う夢の持ち主が、他人の夢の存在に傷つくことなく、自分の夢を追いかける権利を、というよりは、夢を諦めない振りをしつづける権利を守るには、人は時として、激しく他人を排除する必要がある。私たちの生きる世界は、冷たく寂しいものだけれども、もし、人が皆、寂しい惨めさの中で生きているとすれば、その寂しい惨めさにこそ、人は互いに結び付けられ、夢に裏切られる運命にも、救いの可能性があるのではなかろうか。都会の明るい夜を覆う、人々の優しい無関心の温かさをひしひしと感じながら、私は静かに、街の明かりを見続けた。

(政経1年 合垣綜簡)


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第900号 May.18,2000

■映画評『街の灯』(1931年アメリカ)

監督・主演チャールズ・チャップリン

 映画史上もっとも残酷なシーンを収めた作品は何か。それはC・チャップリン監督・主演の『街の灯』である。そして、その残酷なシーンとはもちろん、あのラストにおけるヴァージニア・チェリルの表情のアップに他ならない。

 こう書くと本作品を見ていない人の誤解を招きそうだが、「残酷」といってもこの作品には血生臭さや過激な暴力性といった要素は含まれない。本作品はラブストーリー、しかも極めてピュアなラブストーリーなのである。では、どういった点で残酷なのか。ストーリーを追おう。

 ある日、一人のホームレスの男が、花を売る盲目の女性に出会い思いを寄せるようになる。男は裕福な身分の振りをして女に近づく。話をしてみると、女の目は手術をすれば見えるようになるが、その手術代がないという。それからというもの男は馬車馬のように働き、金を貯めた。そしてその金を女に手術代として渡し、女の目には光が戻る。目の見えるようになった女が花屋で働いている。男は戸惑いながら女に近づく。しかし男の服装はホームレスそのものだ。女はこの男こそ金をくれた男であることに気付く。そしてこう言う。「あなただったのね」。その時の女の顔! この表情を残酷と言わずになんと言うのか。この表情に対する意見はさまざまある。これは見てもらうしかないが、私は《失望を多く含んだ苦笑》と認識している。次のシーンでは男が情けなく、すまなそうに薄く笑っている。そして物語は終わる。ホームレスにとってこういう結果になることは驚くべきことではなかっただろう。男は女の目が見えるようになったことを知って満足したはずである。

 最近、自分本意の恋愛映画が多いが、その点この作品から見習うべきところは多いのではないか。それは私たちの実生活にもいえる。自分を癒すことが流行している今日、他者を癒すことによって自分が癒されるということもあるだろう。そしてその流れは『ライムライト』へと通じるのである。

(社学3年 上島 正志)


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第899号 May.11,2000

■フリートーク「散じて集まり(?)」

 入学式に校歌を三番までそらで歌えた新入生はあまりいないだろう。「都の西北」を子守唄がわりに育った。若い父親が幼い娘を膝に、拳を振り下ろしながら「都の西北」を歌う。娘の方は目の前をよぎる父親の拳がいつか自分の顔にあたりはしないかと、頭を思いっきり父の胸に押しつけながら目だけで上下するこぶしを追っていた。政治経済学部に在学中の昭和十七年九月、繰り上げ卒業となった父は卒業式の三日後に入隊した。幸いにも戦後無事に帰還できて所帯を持ち、長女の私を頭に三人の娘に恵まれたのである。しかし戦争で多くの学友を失い、学業半ばで、負けると分かっていた戦争に駆り出されなければならなかった無念さはいかばかりであったろう。父の膝にいた幼い娘も門前の小僧さながらに、いつしか「都の西北」を三番まで諳んじてしまった。

 分厚いシラバスの中に懐かしい名前を三つ見つけた。一つは法学部のK教授。先生のお嬢さんと我が家の長男が小学校の同級生で、先生とはPTA仲間だった。二人目は映画監督のH氏。長男が小三のころ一般公募で、ある独立プロの児童映画に出たことがある。H氏はその助監督を務めていらして、朝から晩まで合宿のような生活で大変お世話になった。そして三人目は、高校の時の同級生、S君である。大手米銀が提供する「銀行と金融システム」という講座の講師陣の中に、その名前があった。時々ニュース番組で外国為替の動向についてコメントしている姿を見かけることがあったが、高校卒業以来、三十年以上お目にかかってはいない。「集まり散じて」と校歌の一節にあるが、私の場合は人生の色々な場面で出会った方たちがこの早稲田大学に「散じて集まり」といったところだろうか。不思議な縁を感じる。長男も昨年早稲田を卒業した。順不同、学部も政経、教育、二文とそれぞれだが、親子三代早稲田である。

(二文1年 山村 麻里子)


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第898号 Apr.27,2000

■フリートーク「花は桜木、『女』は早稲田!」

 私は今年、二十四歳になる。現在、第一文学部二年である。

 一浪して、ある国立大学に入学した。その学校に三年まで在籍し、また浪人して、昨春早稲田に入学した。早稲田は、現役時代に遊び半分で受験して以来、ずっと憧れだったのだ。四年間、一つの学校を思い続け、やっと合格できた時の喜び、それを分かってもらえるだろうか。「私はこの瞬間の為に今までやってきたのだ!」。あの時を思い出すと、今でも熱いものが込み上げてくる。

 「大学にこだわるなんてバカバカしい」。もっともである。親や高校・前の大学の先生、友達…。まわりの人間に大変な迷惑をかけた。まったくもって自分勝手である。しかし、それでも私は「早稲田に入らなければ何も始まらない」と思った。いや、早稲田でなくても良かったのかもしれない。きっと、「全力を尽くした」と実感して、失いかけた自信を取り戻したかったのだと思う。

 ここまでくるのは、正直とても辛かった。さまざまな迷い、漠然とした沢山の不安、精神的なものからくる体の不調などなど、自分でやっていることとはいえ、苦しいことばかりだった。早稲田に入ったからといって、自信が完全に取り戻せた訳でもない。でも今、私は早稲田にいる。私はここが好きだ。ここには友達がいるから。他の場所にも友達はいる。しかし、今一番身近にいるのは、ここで出会った友達だ。

 私は遠回りをした。でも、月並みだが、そこから得たものは沢山あると思っている。人には理屈では片付けられない感情があること、立ち止まっても後ろを見ても生きていかなければいけないこと。そして、私は今、私を支えてくれた人、特に友達に言いたいです。「ねえ、いつも、ありがとね。私、かっこわるくても、一生懸命やってくよ」。

(一文2年 門伝 久実)


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第897号 Apr.20,2000

■フリートーク「本当の感動とは?」

 この冬話題になっていたテレビドラマが、先日終了した。翌日の新聞によれば、最終回の視聴率は40パーセントを超えたそうだ。私はこのドラマを初回からずっと見ていたが、最終回を見てもそれ程感動しなかったし、涙も全く出なかった。断っておくが、私は映画やテレビを見たり、本を読んだりして泣いてしまった経験のある、ごく普通の学生である。同じその夜も、大相撲春場所千秋楽での、貴闘力関の初優勝の涙には、何度テレビで見ても、もらい泣きしてしまった。

 この違いは一体何故なのか。私はその夜考えたが、答えは簡単だった。

 前者のテレビドラマは、ヒロインの死が初回から予想されていた。そのため最終回の日の私には、そのヒロインの死を、ドラマがどう描くのか、どうやって視聴者を感動させるのか、その手法を見たいという興味しかなかった。このドラマは、独特の個性を持つ俳優が主演したから、長期間にわたって高視聴率を維持できたのではないだろうか。そうでなければ、初回から結末を予想できるドラマをもたせるのは、とても無理だっただろうと思う。

 後者の、貴闘力関の初優勝の涙には、思わずもらい泣きした人が多かったのではないだろうか。誰もが駄目かと思った一番を、土俵際でひっくり返して決めた初優勝。土俵を下りる前に、既に堪え切れなくなった涙である。さらに、直後のインタビューでは、固く口を結んで涙を堪えようとしていたが、アナウンサーの問いかけに答えるために口を開こうとすると、涙がこぼれてしまうのだった。今場所直前の相撲界は、元力士による八百長発言等によって大きく揺れた。しかし、この貴闘力関の初優勝には、多くの人が感動したと思う。

 予想のできない感動こそが、人の心を打つのだ。ドラマは所詮、作り話にすぎない。スポーツが見る人々に与える、予想のできない感動を、実感した夜だった。

(政経4年 匿名希望)


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第896号 Apr.13,2000

■フリートーク「カンボジア・ラプソディー」

 昨年夏、四年ぶりにカンボジアに行った。「カンボジア? あそこはパラダイスだよ」。ペナンで会ったオーストラリア人はこう言っていた。その時僕は初めての旅の途中であった。

 果たしてそこは、ある意味でパラダイスと言ってもよかった。大麻、女、銃、カジノ…。そこでは望めば何でも手に入る。さまざまな快楽が日本よりもはるかにローコストしかもローリスクで得られるのだ。

 しかし、そこには別の一面もあった。国内にはいまだ多くの地雷が埋まっていて、町では手足のない物乞いがやたらと目についた。二十代以上のカンボジア人のほとんどが、家族や親戚をポルポト政権時代に殺された経験を持つ。当時の刑務所であったツールスレーン博物館は、風化することなく生々しさを伝えていた。首都プノンペンは銃で溢れ、滞在中に何度かパーンという乾いた音を聞いた。バイクタクシーのドライバーは、「これは自衛のために持ってるんだ。だからお前には銃口を向けないよ」と言って銃を見せた。その言葉を信じるしかなかった。そこにはパラダイス(天国)、つまりすぐ死が身近にあった。

 アンコールワットの町シェムリアプで僕は完全にカンボジアに魅せられた。壮大な遺跡、のんびりした雰囲気、人々の眩しい笑顔、そこで初めて僕は旅の面白さ、アジアの魅力を知った気がする。

 旅を重ねるうちに、旅の技術が身に付き旅が楽になると同時に、新鮮な驚きが薄れていく。今回再びカンボジアを訪れたのは、当時感じたことを再認識したいと思ったからだ。

 四年間でカンボジアの情勢は変わり、タイとの国境が開き、陸路でカンボジアを訪れることができるようになった。治安も以前と比べて、かなり改善されていた。少しずつ普通の国に近づいている気がした。それはもちろん喜ばしいことなのだが、自分勝手な僕は少し寂しく感じた。

(政経6年 金子 剛)


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第895号 Apr.6,2000

■フリートーク「就職活動を始められる方へ」

 社会に出ることへの期待や不安を胸に、就職活動に取組み始めていらっしゃる方も多いことと思います。私自身の経験、あるいは周囲の方々の活動状況を見て、文章を寄せさせて頂きたく思いました。

 不景気で企業が新卒採用を手控え、就職活動が厳しくなっていると言われています。そうした状況の中でも、私は「二十六歳、女子、文学系院生、特技なし」という条件でありながら、何とか数社から内定を頂くことができました。ただし活動期間は三月中旬から十二月中旬と長期にわたり、一次試験以上を回った会社だけで百社近くに上ります。履歴書を一瞥した面接官には渋い顔をされ、お見合いを勧められたこともありますし、中には初対面の人間には取るべきでない失礼な態度を取る「社会人」もいます。なかなか次のステップに進めなかったり、何社かいい線まで行っても決まらないこともあります。だからといって、決して諦めないでください。九月からの就職活動では、一人ひとりの話をじっくり聞いて評価してくれます。「あなた」を必要としている会社は、必ずあります。

 一方で、引く手あまたの学生さんも多くいらっしゃることと思います。しかし企業のおだてには乗らず、慎重に判断を下してください。募集人員二名の三行広告に対し、八百通以上の就職希望者が殺到するご時世です。転職をするにしてもキャリアとして評価されるのは経験三年以上ですし、業務内容によっては転職先が見つかりにくいと思われることもあります。内定を取って嬉しいからといって、企業を見極める冷静な目を失わないでください。

 厳しい内容になってしまいましたが、少々辛くなったときにでも思い出して頂ければと思います。二十代は、どなたにも等しく与えられた貴重な財産です。その財産を少しでも高く評価してくれる場所、少しでも自分のために有意義に使える職種を選ばれますよう、祈念いたしております。

(文研修士2年 匿名希望)※学年は昨年度


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