第919号 Nov.30,2000 


大道芸人 ハッピィ吉沢さん

スケボーに飛び乗ったかと思うと、華やかなマジックが飛び出す。皆を楽しく、幸せな気持ちにしてくれるコメディータッチのパフォーマンス。ドハデな衣装、メイクは、すべて自分でこなす。プロの世界に入って17年。幾度もの挫折を乗り越え、今では、全国各地の大道芸フェスティバルから、各種イベント・パーティーのアトラクションまで幅広く活躍する売れっ子となった。

究極の自由人、ハッピィ吉沢さんを紹介しよう。

<「30までは頑張る」が仲間との合言葉。でも実行したのは僕だけだった。>

 アルバイトをしながら、生活費、授業料を全て賄う大学生活。留年組でバンドを結成し、ボーカルとしてプロを夢見たが、卒業と同時に仲間が就職、解散。それでもかなりの楽観主義。ライブのステージで使えるかな、とパントマイムを始め、『汎マイム工房』というパントマイム劇団のオーディションを受けて合格。いつのまにかバンド活動よりも熱中してしまい、10カ月みっちりの練習の日々が続く。しかし、体調を崩して退団。回復した翌年、今度は当時流行のブレイクダンスにはまるが一人では寂しいと、仲間集めに大学へビラを貼りに行く。1985年遂に同好会始動(現在の『舞☆夢☆踏(まいむとう)』の母体)。その後パントマイム部門を作って指導者として活動を続ける。その時コンビを組んだ相棒が卒業したのを機に一人立ち。「この道一本で食べていく」と決意した。この時既に32歳だった。

<落ち込んだ時、支えになったのは「お客さん」でした。>

 「路上のパフォーマンスは実は道路交通法違反になったりするんですよね。おまわりさんが来て、強制的に退去させられそうになった時、お客さんが味方になってくれました。また、演技が上手く行かなくて落ち込んでいた時もお客さんが声をかけてくれたんです。自分は一人だ、と思った時、必ず、助けてくれたんですよね」。やがて、ハプニングや失敗も演技に変えてしまう柔軟さが生まれたという。

<厳しいプロの道。投げ銭は1日、最高15万円、最低0円。>

 「路上での稼ぎはもちろん不安定です。雨風の日はできないし、暑い日はお客さんは集まりません」。良い演技に加え、好条件が揃わないとできないという難しさ。プロダクションに売り込んで、仕事を貰った現場で好評を得て、プロの地位を確立するがそれも束の間、現実はそう甘くはなく、2、3年で仕事は減る一方に。再びアルバイトの日々が再開した。

<恋愛・結婚で運が好転>

 そんな時、上野公園で、観客としてきていた現在の奥さんと知り合い、運が好転し始める。仕事が急増し、バイトも辞め、本業に専念できるようになる。そして1993年結婚。順調に実績を上げ。99年には長女誕生、不景気の中、売れっ子の一人として現在多忙な毎日を送っている。

<今という時を大切に…>

 「先のことは考えない。唯一考えるのは今日と明日のことのみ! 今日生きていけた、だから明日も大丈夫、という感じでした。一年をトータルして振り返ってみて、一段でも階段を登っていたらOKです」

 後輩の皆さんに、「好きなことに対する苦労はいとわない。これは当たり前ですよね。でも、好きじゃないことの苦労はしていますか? 実はこの経験が大事だと思います。アルバイト等、いろんなことに挑戦して違う世界を見て鍛えよう。そして今しかない、学生という特権を最大限に利用してください」

ハッピィ吉沢(本名・吉沢憲一:よしざわ・けんいち)●

 1958年東京都生まれ。84年第二文学部文芸学科卒。卒業後、本学で自ら『パントマイム舞☆夢☆踏(まいむとう)』旗揚げ。翌年より原宿を中心にソロ・マイム活動を開始、マスコミにも登場し、人気を博す。88年より、マジックを取り入れた新しいエンターテイメント"マジカル・パフォーマンス"で、イベントの世界に進出し、高い評価を得る。


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