第911号 Oct.5,2000 


目指すはスポーツドクター!「早稲田出の医者」戸上太郎さん

 早稲田には医学部がないが、「早稲田出の医者」はいる。だが、医大を落ちて「仮面浪人」をしながら外面だけ早大生となって受験勉強だけに明け暮れて、翌年どこかの医大に合格するや喜んで早稲田を中退して行くような輩は「早稲田出の医者」とは言わない。早稲田を卒業後、改めて医大を受け直して医者になるのが正しい「早稲田出の医者」ではないか。今回は読者の要望に答えて、そんな「早稲田出の医者」の登場である。(実はこの取材、後輩の応援に3日間シドニーに向かう途中のインタビュー)

<早稲田大学は「愛する母校」、医大は「職業訓練校」という感じです>

 「早稲田は本当に思い出の一杯詰まった僕にとって唯一の母校そのもの。それに比べ医大はまさに『医者という職業に就くための技術を修得する場所』で、早稲田のように愛校心を掻き立てられることもなく、ひたすら医者になるための勉強を6年間していた所。今でも早稲田というと血が騒ぎます」

<「話しべたの人見知り」で、大学の成績は「超低空飛行」だった僕が、今医者になっている>

 普通のサラリーマン家庭の子弟が医大に入るには学費が割安な国公立を狙うしかない。センター入試を受けるのだから、世界史や古典だってある。私大理系の早稲田出にはちょっと辛い。それなのに大学卒業後すぐに医大合格と聞けば、医学を志す燃え上がるような使命感にあふれた「現代版シュバイッツァー」のような人物、当然成績は「オール優」に違いないとイメージは勝手に膨らむ。ところが、この「若き研修医」氏は、大方の予想を大きく裏切ってくれる。常に留年ぎりぎり超低空飛行の成績で理工学部を卒業し、しかも大学の受験勉強そのものをしたこともない学院出身者。さらに医者を目指した第一の理由も「話しべたで人見知りの自分はサラリーマンには向かない。何か資格を取って専門職として職人のような世界でコツコツと一人で仕事ができたら…」と、使命感よりも性格や趣味の問題からなのだ。これならばと、「俺も何かやったるか!」と思う「超成績悪くて内気な理工の学生」が、少なくとも100人はいるだろう!!

<早稲田の一番の思い出は「授業」でも「友達」でもなく、「水泳部の厳しい練習の日々」>

 彼は少年時代から、早稲田で水泳をするのが夢だった。入学と同時に水泳部に入り合宿所生活開始。朝5時半の起床から、8時の夕食まで、練習と授業でビッシリ。「授業優先」とはいえ課題やレポートをこなす時間的余裕はない。当時の水泳部はバルセロナオリンピックの代表選手が5人もいたが、練習メニューは皆同じ。「練習を休むなら水泳部をやめろ」と監督にも怒鳴られる。熱があろうと疲労困憊していようと毎日泳いだ。辛くて、辛くていつやめようかと思いながら結局慣れて4年が過ぎた。けれどこの辛い練習が今では一番の思い出になっている。

<医者になろうと思う後輩に一言>

 「医者というのは想像以上に体力的にも精神的にも大変ですが、とてもやりがいのある職業です。でも学部や大学院を卒業してからでは遅すぎるなんてことはありません。医学部受験勉強は基本的には高校の勉強です。だから大学での勉強がまったくダメでも大学受験未経験の僕でも何とかなった。医大は、医者の資格を取るためと割り切り、入れる可能性の高さで選んで受験すべき。香川医大でも1割位は一般大学の卒業生や社会人入学の学生でした。僕は今年30歳になりますが駆け出しの研修医です。でも、早稲田大学での年月を遠回りだったとか無駄だったと思ったことは一度もありません。僕のような選択をする後輩には心から声援を送りたいと思います」

とがみ・たろう●

 1970年東京生まれ。93年3月理工学部応用物理学科卒業。大谷光春研究室で卒論指導を受ける。同年4月国立香川医科大学入学。99年3月同大卒業。現在、同大付属病院にて、放射線科研修医として勤務。将来はスポーツドクターを目指している。


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