第906号 Jun.29,2000 


■オーレィ! Bailaora(フラメンコダンサー)後藤めぐみさん

 趣味が職業になったら…思う人は多いが実現する人は少ない。職業というより「生き方の優先順位」か。自分にとって一番大切なことを中心に置き、それを実現するために生活を変えていく生き方だ。今回は、偶然の結果ではなく、いわば「確信犯」の登場である。就職状況厳しい折り、やりたいことがハッキリしている人には我が意を得たりの「人生の選択」である。

<最初は、楽しい所を探し回る普通の学生だった>

 彼女の名刺には「Bailaora 後藤めぐみ」とある。バイラオーラとはスペイン語のフラメンコダンサー。現在、カルチャーセンター等で教授活動もするが「フラメンコ教師」が彼女の本業ではない。フラメンコ・ダンサーすなわちバイラオーラこそが、彼女の存在証明である。

 しかし、入学当初は普通の「迷える新入生」。もともとマスコミ志望で、定石通り(?!)アナウンス研究会へ入部。机に向かっての「カツゼツ」練習に耐えきれず、体を動かしたいとスポーツ系サークルを渡り歩く。卓球、クルーザー、射撃…。数多いサークルの中でから楽しそうな所を絞り込んでは入ってみる。ありがちな1年生であった。

 しかし大学2年の時、同じ一文演劇卒の大先輩本間三郎氏の個人レッスンを受けるようになってから、すっかりフラメンコに魅せられてしまう。「バイラオーラめぐみ」の萌芽である。

<「就職活動」に使うエネルギーの別の使い方>

 4年の春の大決心。「普通に就職しても、2〜3年で『やっぱりフラメンコで生きよう』と、会社をやめてしまうだろうと思ったんです。今と同じで就職状況は厳しかった。それなら、就職活動に費やす膨大なエネルギーと貴重な時間をすべて使って、スペインでレッスンを受けるための費用を捻出してしまおうと決めました」。そして資金を貯め、卒業後ただちにスペインのマドリードへ。バイラオーラになる。迷いなどまったく無かった。

<残業無しの「派遣」で働き、「バイラオーラ」へまっしぐら>

 マドリッドから戻っても、相変わらずのレッスン漬けの日々。踊りに打ち込みながらも、次のスペイン行きのために「残業無し」を条件に「派遣」社員として某都市銀行系企業で働き出す。そして1997年、フラメンコを始めてわずか5年で、プロへの登竜門「日本フラメンコ協会主催新人公演」で奨励賞受賞。

 翌98年春から夏の4ヶ月、今度はセビージャへ。ここで、生涯の師エル・トロンボと出会う。自分のこれまでの踊りを全く変えてしまう衝撃的なレッスンであった。首都マドリッドで彼女が学んできた踊りは、テクニック主体のモダンで洗練されたダンスだった。しかしトロンボのフラメンコは伝統的なジプシーの土臭い踊りだ。ここの手の形がどう美しいかなどということではなく、ギターやカンテ(唄)を聴きながら腹の底から動き出すような踊り方だ。フラメンコを単なる舞踊として見るのではなく、文化とか生き方を表すものだと思い知った彼女の踊りは根底から変わった。まさにBailaoraめぐみの誕生である。

<後輩に一言>

 「人それぞれに悩みや喜びがあるもの。誰かのようになりたいと思うのではなくて、自分をまるごと信じてみる。迷いがあっても沈まずに、時を待てば答えは必ずみつかります」。

ごとう・めぐみ●

1972年愛知県生まれ。1995年3月第一文学部演劇専修卒業。1995年マドリードでフラメンコをラ・チナらに学ぶ。1997年日本フラメンコ協会主催新人公演にて奨励賞受賞。1998年セビージャにてエル・トロンボらに師事。現在、都内のタブラオでフラメンコダンサーとして活躍する一方、個人リサイタルにも意欲的。


戻る