第902号 Jun.1,2000 


山一證券(株)倒産を経て、現在(株)NTTデータで働く吉野雄樹さん

<とにかく海外へ! しかし…>

 大学4年間で5大陸15カ国を訪れましたが、留学はしませんでした。今思うと何でもないですが、当時は2浪コンプレックスがあり、留学がリスクに感じられたんです。

 そんなわけで就職活動では、絶対海外に行こうとメーカーや商社を訪問。第1志望の海外経済協力基金(OECF)が最終面接まで行った時点で他を切ったら、落ちちゃって…。残っていたのが葉書だけ出していた証券業界。四大証券の中で最初に決まったことと、兄貴分っぽいリクルーターに出会って一緒に働きたいと思ったことで、山一に入社しました。

 そして1年目の11月。金曜日に、入社当時の2〜300円から58円まで落ちた株価が100円に戻して、安心して迎えた三連休の朝5時でした。同僚から電話で、「飲んで帰って夜中にテレビをつけたら、倒産のニュースやってんだよ。お前も見ろ。俺は眠いから寝る」って言うんですよ。もう眠れなくなって、友達や親に電話をかけて伝言ゲーム状態。独身寮の皆で集まって「やべーなぁ」「なんとかなるさ」なんて言ってたけど、頭は真っ白。「危ない」って言われても、四大証券だし、まさか自分のところが倒産するなんて思わないですよ。甘いのかもしれないけど、想像も付かなかった。そして月曜日(祝日)に招集されて社長の談話。翌日からお客様にお金を返す精算活動に忙殺されました。1週間は切羽詰った苦情の電話が鳴りっぱなし。頑張れなんて言う人は皆無で、落ち着いた時は脱力感で何も考えられなかった。やる気なしモードですよ。訳が分からないまま目標がなくなったんですから。

<転職、留学。しかし、やっぱり最後は、「人」ですね>

 2月末には支店を閉鎖する予定で、皆は精算活動の傍ら就職活動をしていたんですが、僕は何もしていなくて。たまたま課長が声をかけてくれたから、一緒にNTTデータの説明会に行ったんです。400人位いて入社したのは30人程度だったかな。今は官公庁への営業を担当していますが、山一時代とはまるで違う。山一では1日100件飛び込みで新規顧客を開拓したりしていましたが、今は既存客の窓口です。お客様の望むシステムのイメージを開発サイドに伝えたり、トラブル対応などしています。同じ営業でも、ちょっと勝手は違いますね。

 山一の精算活動の時はとても忙しかったけど、結局は終わるための仕事。そのとき、働きながら強く思ったことは、「終身雇用」「寄らば大樹の陰」という言葉は、意味をなさない言葉で、これからは「自己責任」の時代で自分自身実力をつけなければということでした。そうなると、学生時代にもっと経済理論や国際関係を勉強すればよかったと思いました。時事問題も重要ですが、経済、経営等の基礎理論は学生のうちにしっかり勉強することをおすすめします。基礎理論を理解していると、時事問題の理解の助けになりますから。今でも海外に行きたいと思っていて、将来は社内の海外留学制度に応募してアメリカでMBAを取得し、同時にベンチャー大国アメリカで起業について考えたいとも思っています。でも、今の会社で2年経ちますけど、たとえ嫌な仕事があったとしても、会社にいるのはラクなんですよ。だから、選択肢の1つには起業が含まれてはいるけど、今の仕事にそれを活かすかもしれない。それと、僕の場合は最終的に「人」なんです。今も環境には恵まれているし、山一の課長がいたから、今がある。結局、人に助けられているんですよね。感謝。感謝。

よしの・ゆうき●

1972年東京都生まれ。91年都立國立高校卒業後、2年間の浪人生活。97年社会科学部卒業。在学中のゼミは、「政策科学研究」で、指導教授は上沼正明教授。発展途上国の開発援助について研究し、その検証をかねてバングラデシュを訪問。97年4月〜98年2月山一證券亀戸支店。98年4月NTTデータ通信入社(現NTTデータ)。


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