俳優

森繁 久彌さん


■もりしげ・ひさや

 1913年大阪府生まれ。本学商学部を経て東宝新劇団入団。NHKアナウンサーなどを経て終戦後から映画・舞台・テレビに大活躍。文化勲章受賞、芸術選奨文部大臣賞受賞など多数の栄誉に輝く。代表作に「屋根の上のヴァイオリン弾き」「佐渡島他吉の生涯」など多数。

 88歳を迎えた今もなお、矍鑠として活躍されている本学の大先輩の俳優・森繁久彌さん。まさに日本を代表する俳優の一人で、文化勲章をはじめ数々の栄誉に輝いている。そんな森繁さんは芝居をこよなく愛し、早稲田をも愛している。88歳の森繁大先輩が、本紙のために語ってくださったエピソードの数々をお届けしよう。

◆「早稲田大学の頃」

 私は当時の第一高等学院から商学部へ入りました。大学では「演劇研究部」に入りましたが、結局途中で辞めましたけれども。劇研時代に、東京女子大に通っていた家内と知り合ったことが一番大きな想い出かな。うまいこと言い含めて結婚してね、そのままずっと来ました。たくさんの人と付き合いましたけれど、みんなの心の中にいい印象が残っていれば嬉しいですね。

 僕は別に役者になろうと思って「演劇研究部」に入ったわけじゃなく、いつのまにか役者になって、それが今でも続いている。

 大隈講堂でも芝居をしましたよ。岸田国士の芝居なんかをね。その当時の早稲田っていうところは、だらしないところもあったけれども、みんなが己を謳歌してたような気がするね。

昭和56年の公演では森繁先輩の熱演に応え、会場からヒット・ナンバー「サンライズ・サンセット」の大合唱が沸き起こり、カーテン・コールは三度、四度。森繁先輩が感涙にむせぶシーンもあった。 「『屋根の上のヴァイオリン弾き』のこと」−森繁先輩はミュージカルの名作「屋根の上のヴァイオリン弾き」を九百回演じるという金字塔を打ち立てた。そのエピソードは余りにも有名である。

 あれはいい芝居だけど哀しい芝居だね。900回やりましたが、やればやるほど哀しくなる。ユダヤ人が迫害されて、住んでいるところを追われる話でしょ。非常に本が良くできていて、演出も立派でしたね。演出はサミー・ベイスという人で。舞台が開く前に一カ月半も稽古をして、公演中でも十日に一回ぐらいレッスンがあるんですよ。「役に慣れ切ってしまうといけない」って言うんでね。よくあの厳しい稽古をやりましたよ。自分でそう言うのもおかしいけれど、あれを73歳までやったんだから、よくやったものだと思いますね。年を取ってからはエラかったですね、四時間に近い芝居ですから。  この芝居は昭和五十六年の五月に大隈講堂でもやりましたよ。ダイジェスト版でずいぶんカットしたものでしたが、学生さんが喜んで舞台を観てくれて、いつまで経っても拍手が鳴り止まない。あれは嬉しかったなぁ。昔踏んだ大隈講堂の舞台の上で芝居をして、早稲田へ「帰って来た」という気がしましたね。
 早稲田と言えば、この間大隈講堂で一人芝居した島田正吾先生もこの芝居が好きでね。「俺もこの芝居やりたいよ」って言うから「どうぞ」って言ったら、「たくさん唄わなくちゃいけないからなぁ。俺にはねぇ」って言ってましたね(笑)。
 帝劇で半年のロングランをやった時は168回演じました。

レッスンは厳しかったけど、サミーは良かった。まず最初に、「自分の役の履歴書を書け」と言うんだ。自分がどういう経歴の人間なのか。そして次に、「お前が住んでいる家の設計図を書け」とか「この街の設計図を書け」とかね。そういうことはすぐに芝居に役に立つわけじゃないんだけれども、そういったものの集大成みたいなものが芝居の中で人物の厚みを作るんですね。

◆「映画の話あれこれ」

   有吉佐和子さんが原作を書いた『恍惚の人』ね、あれを撮った時にカメラマンの岡崎さんっていう人が夢中になりましてね、最後の場面を撮っている時に、監督が「カット!」って言ってるのに、「まだまだ!」ってカメラを回してて。あの時のカメラマンの気迫は凄かったなぁ。鬼気迫るものがありましたね。
 この映画は本当に困りました。撮っているうちに僕が本物の「恍惚」、つまりボケ老人のようになってしまって。撮影所で助監督が「おじいちゃん、あそこまで行って帰って来るんですよ。わかる? できる?」なんて聞くんだ。それほどに役の中に入って行ってしまったんだね。

 昭和三十年代から四十年代にかけては喜劇の「社長シリーズ」なんかもずいぶんたくさん撮りましたねぇ。四十本以上は撮ったでしょう。今でも時々深夜に放送したり、ビデオになったりしているみたいだけれども。

昭和56年の公演後、大隈講堂で歓談する森繁先輩。見送りは「都の西北」の大合唱だった 「森繁語録」−森繁先輩の独特な口調の中には人生の重みを経てきた貴重な言葉がたくさんある。今回のインタビューでも多くの言葉が語られた。ここでは「語録」の数々をご紹介しよう。

 今までに演じた芝居の中で、特に「あれが好きだ」とか「これは嫌いだ」とか言うものはないですね。どれもその時にただ一生懸命演じるだけでね。

 芝居でも「でしゃばる男」とか「でしゃばる女」が多くてね。人を掻き分けて出て来るようなのはダメですね。何の仕事でもそうだけれども、自分の分を弁えないとね。

 演劇をやる人の中には、せせこましい気持ちが今でもありますね。あれは良くないね。「僕だけ」っていう排他的なね。それじゃ演劇という木は太りませんよ。

 大指揮者だったフルトベングラーの言葉の中にね、「あなたが感動したのはあなた自身にあるのではない。今日観ていたお客様とあなたの間に生まれたのです」というのがあります。素晴らしい人の言葉には素晴らしいものがありますね。

 舞台っていうのは、幕が降りた瞬間に消えてしまうでしょ。それは一番哀しいことだけれど、そのはかなさが素晴らしいんです。そこで、お客様の頭の中に少しでも「感動」という余韻が残ればこんなに嬉しいことはありません。

 チャップリンに、「あなたの最大の傑作は何ですか?」って聞いたらね、「ネクスト・ワン」ってね(笑)。洒落てるでしょ。僕もその時に、ネクスト・ワンをしっかりやらないといけないと思ったなぁ。

 演劇というものは敬虔なものでね。せっかく人が魂を込めてこしらえたんだから、その作品をもっと良くしようという気持ちがなくちゃいいものはできないね。

 僕は芝居をする時にあまり気負わないんだ。「いよいよやるぞ!」というのはないね。ただスーッと舞台に出て芝居をやる。その中に何か一つでも光るものがあればいいと思うんだ。

 良く芝居は「出」と「引っ込み」が重要だって言うでしょ。もちろん、そればかりが大切じゃなくて、みんな大切なんだけれども、「出」と「引っ込み」の瞬間には背筋がゾッとするような「何か」がありますね。

 自惚れちゃダメです。しゃべるとそういうものが出て来ますから。一つのことに純粋にならないとね。芝居は自惚れが強いヤツじゃなきゃできないような気がするけど、それだけじゃダメなんだ。自分を固めないことがいいんじゃないかな。柔軟な精神や肉体を持たなければいけないと思います。

 芝居ってものには先生がいないからね。ルールはありますが、芝居にはまり込んで、没入して。それでどこかで引いて見ている部分がないとね。

 若い役者にね、「君はどこで科白を覚えるんだ」と聞いたらね、「頭です」。頭は必要だね。「頭だけかい?それじゃ首から上しかカメラで撮れないね。そのとき、手や足はどうなってるの?」。「あんまり考えてません」。「そうでしょ、科白は一度飲み込む。そうすれば、腹までカメラが引いても手や足が芝居をしてる。それでも、全身は撮れないね。そこで、覚えたものをいっぺん全部出す。それではじめて全身の芝居を撮ることができるんだ」って言ってあげるんだ。僕の理想だけどね。

 芝居って難しいね。大抵の会社ならば、三年会社にいれば、その会社が何をするところかわかるんだけれど、芝居はわからないね。何年やっていてもわからない。難しいなぁ。


 今の若い人には「意欲」がないように見えるねぇ。何かに向かって「これだ!」って進んで行くような。そういう気迫がないんじゃないかな。それから行儀が悪いね。そして好奇心がない。何でもいいから、一つを極めたい、という気持ちがないとね。芝居も同じだよ。


(2001年4月26日掲載)


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