政治評論家 細川 隆一郎さん
今回のOBインタビューは、辛口で知られる政治評論家の細川隆一郎さん。79歳の現役の元気な口調で、現在の我々にとっては耳の痛い話がポンポン飛び出した。本学の大先輩の辛口インタビューをお届けする。
■ほそかわ・りゅういちろう
政治評論家。1919年、熊本県出身。本学政治経済学部政治学科を経て毎日新聞社入社、以来30年にわたって政治記者を勤める。73年、政治評論家となり、辛口の評論活動で知られる。
主な著書に「岸信介伝」「吉田茂の人間秘話」「図太く生きる男の本」など。近著「総理の通信簿」が好評。
なぜ早稲田を?
私は今の戸山高校、昔の府立四中を出ました。府立四中は当時の中学校では日本一の学力を持った学校でした。勉強一点ばりの学校で、一番難しく、勉強もやかましかった。非常に高度の学力を持った学校でした。でも、そこではあまり勉強をしなくて、どこが一番優しい大学かな、と思ったら、それが早稲田大学だった。
しかも、私は早稲田大学が好きだった。それで、早稲田大学へ入って、新聞記者になるか、満州へ行って馬賊になろうかと思っていました。当時のアジア情勢は、「支那には四億の民がある」と言ったもので、早稲田大学の学生は、大陸雄飛、アジアの平和を目指したものです。
その頃は白人がアジアを支配していて、中国が乱れていました。山賊馬賊の類が中国大陸を右往左往していたんです。統一国家と呼べるものじゃなかった。そこに白人が付け込んで、中国を思うがままにして、中国人は奴隷みたいに使われてましたよ。そういう状況を見て、私たちはアジアから白人を追い出さなくていけない、と思っていました。それには、中国の人と手を握って、白人を中国から追い出そう、こういう気風のある学校でしたね。
私はそういう気風が好きだったから、「よし、早稲田へ行ってやろう」って言うんで、第一高等学院の政経学科に入ったんです。それで、馬賊になろうと思っていたけれども、将来どうなるかわからないでしょ。それならジャーナリストになろうというんで、19歳の時に早稲田に入りました。
前からジャーナリストに興味があったのと、日本で一番いばっている総理大臣をやっつけるには、中国へ行って馬賊になってもできませんから、ジャーナリスト、特に政治記者になって、総理大臣をやっつけてやろうと思ったんです。
当時の早稲田大学は質実剛健、豪気木訥という気風で、今みたいにチャラチャラした早稲田大学ではなかった。男っぽい、骨っぽい、バンカラの校風でしたね。それから、教授陣に気骨がありましたよ。骨があって、学問にユーモアがあった。名物教授も多かったですね。
それから、体育会が強かった。早稲田大学の特色は、学問の自由と、自由な学風と、スポーツですよ。今はどれもダメになってしまった。私は、体育会の空手部で主将をやっていました。当時は100人ぐらい部員がいたし、剣道も柔道も強かった。他の部も強かった。昔の早稲田大学は大隈さんの精神が生きていましたね。慶応と共に一方の雄でした。今は、体育会がもう少し強くならないとダメですね。それと、名物教授が少なくなった。
大学の学問というのは、もちろん内容も大事だけれども、先生の人格なんです。「あの先生はいい先生だな」と、その先生の人格に触れて授業を取る、それが名物教授です。学問なんていうものは、ある程度教科書を読めばわかるけれども、「この先生に教えを乞いたい」と思うような人格を持った先生がいたものです。それが大学というものです。
戦争へ、そして新聞記者に
1942年の9月に大学を卒業して、記者を一カ月やって、丸3年戦争に行きました。いろいろなところを転々として、最後は東部軍報道部でした。1945年8月15日に終戦を迎えて、8月16日に毎日新聞に復帰して、政治記者をずっとやってきたんです。
戦争で多くの戦友が亡くなったことは、返す返すも残念で、相すまんと思っています。自分はこうして生き残って、79歳になる今も一生懸命元気で働いていますけれども、命を失った人々に対しては相すまんと思っています。この重荷は一生背負って行かなくてはならないでしょう。
戦争体験者として一言言うならば、「すべては命懸けでやれ」ということです。国があってはじめて自分がいるんですから、国のためということをしっかり考えて、国のために自分は何をするべきなのかを考える。つまりは「志」。これを持つべきです。私はジャーナリストとして、国のために尽くしているつもりだ。そういう志を持ってほしいものです。
印象に残っている政治家は?
先日上梓した「総理の通信簿」で、敗戦の時の総理大臣鈴木貫太郎さんから、今日の橋本龍太郎まで25人について書きました。これは資料も見ないで、一気に書き上げました。もちろん、日付やデータなどについては調査しましたけれども、頭の中に入っているものを書き下ろしました。その中で、立派だなと思う総理大臣は、鈴木貫太郎、吉田茂、東久邇宮稔彦殿下、岸信介、この辺りの人々は国家の再建に命がけでしたね。それから、池田勇人、佐藤栄作、三木武夫、中曽根康弘、ぐらいじゃないですか。
今、こういうものを書いておくのはいいチャンスじゃないかと思って、この仕事を引き受けました。去年の暮れに頼まれて、2月には原稿が出来ていました。その間入院もしましたけれど、病院でも原稿を書いていました。私が新聞記者として接した思い出をまとめたものです。ですから、「私の見た総理大臣」ということですね。この本を今の学生にぜひ読んでほしいですね。
早稲田の政治家では中野正剛という人は立派でしたね。総理大臣にはならなかったけれども、総理大臣にならなくて、総理大臣以上の業績を残しています。それは何か。最初は東条さんの日米開戦に賛成したわけです。アメリカが喧嘩を売ってきたから受けて立ったわけです。
しかし、途中で戦争はやめなきゃいけなかった。それで、東条さんをやめさせなきゃいけなかった。放っておくと、日本は壊滅すると考えたんです。それで、東条さんの引き降ろし運動をしたんですが、それが結果的にうまくいかなかった。そこで、中野正剛は、民衆のためにすまないと言って、57歳で腹を切って、東条さんと対決したわけです。
それから、社会党の浅沼稲次郎だとか、労働運動、農民運動をやっていた多くの政治家、それから三木武吉。この人は昭和30年に保守合同を成し遂げた人です。三木武吉の後輩が河野一郎。こういう人が早稲田にいました。
細川語録で物申す
今の学生に志がないとは言いませんけれども、「国のため」という考え方はないんじゃないですか。みんな自分一人のため。そうではなくて、公につくす「志」を持つということが大事です。
大企業に勤めるというのもいいでしょう。しかし、官官接待なんていうのは話にならない。そういうのは獄門晒し首だ。そういうことをしていると、早稲田の在野精神がなくなってしまうでしょ。
私は、毎日新聞では政治記者を31年やりました。その間、戦争に3年行きましたけれども。私は政治記者になろうと思いましたから、必要な学問を一生懸命勉強しました。憲法や、人を中心とした政治史、などです。政治は人物がやりますから、人物の探求が必要です。そういう基礎的なことを、大学時代にはやってほしいですね。
現象論はいらないんです。わからないことは恩師にたずねる。現象は、社会に出てからです。同時に、社会に出てからも、原理原則の勉強をしなくてはならない。そう思います。
それと同時に、強健な身体を作ることです。きちんと鍛えておかないと、年を取ってから違います。身体を鍛えることは学生時代にしかできませんからね。この年でこうして元気でいられるのも、大学時代に身体を鍛えたおかげです。しかるに、最近の大学生は、身体も鍛えずに、よその大学と合コンなんていうくだらないことをやっていると思うね。
今の学生が軟弱なのは、国が悪い。その病巣はいろいろあるけれども、例えば、国家に目的がないですね。アメリカの属国ですよ、独立はしたけれども、独立国家とは言えないですよ。マッカーサーが押し付けた憲法を後生大事に抱えているようでは、ダメです。この占領憲法というのは、日本の家族制度をはじめ、すべてを何かから打ち砕こうというものですから。政治家がダメだし、新聞社がダメだ。日本には独立国家としての気概がないでしょ。インドネシアや中国、韓国の連中は、主義は違うけれども気概がある。日本は話にならないね。何かあればアメリカにお伺いを立てて、アメリカに守ってもらおうとする。そんな中で、早稲田からもしっかりした政治家が出てほしいですね。日本を真の独立国家にするような。