作家 辺見 庸


話題作「もの食う人びと」が文庫化されたのを機会に、著者の辺見庸さんに、本の話や旅、学生時代のことなどをうかがった。

■辺見庸(へんみ・よう)

1944年、宮城県生まれ。本学第二文学部卒業。共同通信を経て作家に。91年、「自動起床装置」で第105回芥川賞受賞。主な著作に「ハノイ挽歌」「赤い橋の下のぬるい水」「不安の世紀から」など。

○「もの食う人びと」では世界各地相当ハードな旅をなさったようですが。

しんどかったですねえ。何がしんどかったかって言うと、原稿が書けなかったのが一番しんどかったですね。話にならないことがあるわけですよ。うまくまとまらなかったりして。「こういうことを見て来ました」って言うんじゃなくて、一回一回の話にストーリー性が欲しかったんですよ。

それと、僕が行っているところは、交通事情がよくないんですよね。戦争をやっているところへ行っても、そうは弾には当たらないんだけれども、交通事故の確率って割と高いんですよ。それが嫌だったですね。

一度ダッカからチッタゴンっていう南のはずれへ行く電車に乗ったことがあるんですけれども、連結が切れちゃって、畑の真ん中に半日ぐらい取り残されちゃったことがありましたね。

択捉へ行った時は、行ったはいいんだけど吹雪で帰りの飛行機が飛ばないんですよ。僕の宿舎から空港まで行くのにジープで何時間もかかっちゃうんですよね。ところが、道がなくて海岸線の砂浜を走ったり雪の中を走ったりするから、ジープが壊れちゃうんですよ。それで、空港へ着くと今日も飛行機が飛ばないっていうんで、一週間ぐらい通い詰めましたね。結局、賄賂払って軍用機の通路に乗せてもらったんですよ。でも、その軍用機も滑走をするんだけどなかなか離陸しないで恐かったですね。

○「もの食う人びと」を通じて、どんなメッセージを早大生に伝えたいですか?

前に「カルチャー・トーク」でも話したけれど、キャンパスだけでの生活だけだと、自分のことも自分の国のことも、相対化できないと思うんだよね。旅っていうのは外国を知るっていうよりも、自分の住んでる国を逆照射されて、自分の国が照り返されて見えて来るっていう面がすごく強いと思うんですよね。僕のしたような旅だと、なおのこと見えて来ると思うんですよ。お仕着せの旅じゃなくて、自前の旅にするとね。

別に、「もの食う」で僕が行ったようなところに行った方がいいとは思わない、どこでもいいと思うんですよ。一週間もアルバイトすれば、少なくとも釜山ぐらいまでは確実に行けるわけだし。それで、物を感じる毛穴を開いて来るっていうのはすごくいいことだと思うんですよね。それが旅行ガイドみたいなものとは違って、ああいうものが外面的なガイドだとすれば、僕の書いたものは内面的なガイドになるかも知れませんね。

○「もの食う人びと」からはいろいろな土地や人の匂いが感じられるような気がしますね。

後で思い出すんだよね。記憶の中には匂いがすごく重大な要素を占めていて、匂いで覚えたりすることって多いと思うんですよ。それもすごくいいことなじゃないかなあ。

それと、早稲田の学生だったら世界に対してある程度のイメージを持ってると思うんだよね。でも、そのイメージっていうのが、僕らがいる東京から見ると、しばしばGNPを中心に考えたりする。例えば、G7、先進7カ国みたいなものを中心にした世界イメージを作ってしまうでしょ。そういう経済指標だけの世界イメージであって、旅をすると肉体的には全然違うことになると思うんですよ。世界が一枚の地図ではなくなって、もっと立体的なものになると思うんですよ。奥行きが相当深く見えて来て、世界の中心イメージも変わるんじゃないかと思いますね。そういうことが、授業とは違うかけがえのない経験になると思いますね。

○旅をすることによって、自分の住んでいる日本という国が逆照射されて見えてくる、というお話でしたが、旅に出られて辺見さんがご覧になった日本というのは……

自分の生まれた国の現在っていうのは、すごく当然のように受け止めてしまうんだけれども、逆に照り返される日本っていうのは、極めて特殊な国だと思いますね。

食うこと一つ取っても、どの国でも、今取れないものを食っている国なんてないわけですよね。今その国で取れるものを食べてるわけで、日本は違いますよね。それは経験的にはなかなかわからないですよね。納豆食ってたって、日本の豆なんかじゃなかったりするわけだし、そういうこと一つ取っても、照り返される日本の姿が恐ろしく異様に見えて来ますよね。

例えばタイの郊外へ行っただけで、日本でみかける看板がいっぱいあって、ネコの餌だけじゃなくてお菓子だとかカツラだとか、そういうものをいっぱい作ってるわけでしょ。それはびっくりしますよね。帰って来ると、その作ってる人たちの顔はまったく見えなくて、あたかもこの国で作っているかのようなコマーシャルをしている。

それ一つ取っても、ちょっとした旅っていうのが、逆に世界における日本のイメージをより正確につかむきっかけにもなるんじゃないかな。僕にとってはそうだったんですよね。これはいい経験になると思いますよね。物質的な高みから物事を見る癖が、旅をしていると打破されるんですね。

旅っていうのは、通常の僕らの生活と違う動作をするってことですよね。その動作が肉体の動作だけじゃなくて、精神の動作でもある。それが精神的にいいスパーリングになりますね。

○辺見さんにとって旅とは何でしょうか?あるいは、お薦めの旅の仕方とは?

僕の場合はもっともっと広い意味で捕らえていて、東京にいるのも旅みたいな気がするんですよね。僕は特殊に落ち着きがない人間なのかも知れないけれど、そういう意味では生きていること自体が「旅」みたいな気がしますね。これは性格的なことって言うか、そういう風に運命づけられているのかな、とも思いますね。

本来は旅は好きじゃないんですよ。面倒くさいんですよね、荷物を作ったりするのが。でも、出ちゃうといいんですよ。出るまでは億劫で仕方がないんですけどね。本当は銭湯へ行くみたいな気分で旅に出るのが一番いいな、と思ってるんですけどね。

こんなこと言うと大学の人に怒られちゃうけれど、一カ月の旅が一年の授業に匹敵するようなこともあるわけですよ。逆に言えば、授業内容みたいなものがね、本当に旅をすることによって内在化するというのか、深いところで先生の話がわかったりするし、逆に「この先生の話はダメだな」っていうことがわかったりするかもしれないっていうことは言えますよね。旅によって自分の持たされている知識っていうのが身体的に検証されると思うんですよ。それは大事なことじゃないですかね。

できたら、自分で稼いで、自前の旅をするのがいいですね。それで、僕が薦めるのは、解説書を読まないことですね。後で読んだ方がいい。その方がよくわかると思いますね。今の旅っていうのは、確認行為になっちゃってるんですよ。あらかじめ読んだり写真で見たものがそこにあったということを喜びとするようじゃ、全然発見がないですね。そうじゃなくて、自分がかつて持っていたイメージとか知識が壊されちゃうっていう方がよっぽど発見ですよね。そういう旅っていうのは、オリジナルの旅でなきゃいかんと思いますよね。そうすることによって、価値観を深めたり、豊かにすることができると思いますね。旅をするとね、自己評価っていうものが少し正確になって来るんじゃないかと思いますね。

今の学生にとっての自己評価っていうのは単位が幾つ取れているとか、成績がどうだっていうことなのかもしれないけれど、「世界」っていう次元から見ると、何の意味もないことなんですね。一旦自己評価をチャラにすると、すごく強くなれると思うんですよ。社会に出ても、余計な傷のつき方や余計な挫折をする必要がないと思うんですよ。だから、一回旅で挫折するっていうのはすごくいい経験だと思いますよ。旅に成功なんてありえないと僕は思うから。精神にも筋肉ってあると思うんですけれど、そういうふだん使わない心の筋肉を鍛えるっていうのは、すごくいいことだと思いますね。

(1997年9月18日掲載)

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