ニュースキャスター 浜尾朱美さん


■はまお・あけみ

83年第一文学部卒。 同年TBSポーラTV小説「おゆう」主演を経てニュースキャスターとなる。現在「筑紫哲也ニュース23」や著書「夢のあと」(三心堂出版社刊)など多方面で活躍中。

 早稲田を選んだのは、そこに行けば様々なティストの人達に出会えるから、と思ったからでしょうか。四国の田舎町でおっとりと箱入り娘をしていましたので(?)ワクワクしながら出てきました。早稲田ラグビーの大ファンだった父も勿論賛成してくれましたが、入学にあたり、釘を差されたことが一つ、

――お前は「信じやすい」娘だから、難しいこと、賢げなことを言って近付いてくる人にはくれぐれも付いていかないように。

 それだけは口を酸っぱくして言われましたね。はい。その言いつけだけは守りました(笑)。

 サークル活動は、ご多聞にもれずアナウンス研究会、略してアナ研です。特に将来の事を考えて、というわけではありません。新入生勧誘の出店に、凄くカッコイイお兄さんが座っていまして、思わずクラクラッと入会してしまったというのが本当のところ。残念ながら、その素敵な先輩にはちっとも相手にして貰えませんでしたが、方言の矯正には若干役に立ちました。早稲田祭の時に大隈講堂前に作る小さな放送局、サテライトスタジオはアナ研の伝統。DJの真似ごとをしたりラジオドラマの脚本を書いたり、とても楽しかったです。この時分に一緒に、ああでもない、こうでもないと言い合っていた仲間とは、今だにくっついていますね。全く利害関係がなく、ひたすら哲学してた(?)青春の日々、ぶつかりそして寄り添った彼女達との友情は、心の支えです。

 学生時代には、たった一つの人生訓のようなものも得たように思います。それは「仮定法過去完了では人生を語るまい」ということ。もし何々だったら、何々だったであろうに、というような思い方をするのだけは御免だ、ということです。

 就職活動をしていた四年生の秋、故郷に帰る・大学院に行く・在京の放送局を受ける(採用の確立は低いけれど)という、とりあえず三つの選択肢がありました。そこに突如現われた四つ目の選択肢がドラマに出ること。たまたま受けに行ったTBSのカメラテストで、試験官だった、当時のテレビ小説のプロデューサーに、主演女優にとスカウトされたのです。最初は「人さらい」かと思って(笑)すぐにお断りしました。芝居の勉強をしたこともありませんでしたし、何せおかっぱ頭にスッピンのあか抜けない女子学生でしたし。けれど、滅多に出会わないだろうこうした事態に、心が揺れました。卒論の準備をしつつ、悩んで悩み抜いた結果が、件の人生訓だったわけです。

 結局というか、やはりというべきか女優としての私のキャリアはテレビ小説「おゆう」と「青が散る」の二本、九ヵ月で終わりました。向いていなかったです(笑)。でも、その経験は私の引き出しに宝物のように大切にしまわれています。どんなことでも、知ってしまった不幸は知らない幸せよりは百万倍ましだと私は思うのです。何でも見てやろう精神良いんじゃありませんか。

 大学時代というのは大いなる空白の時間。よく遊び、本当の友達を見つけ、できればきちんと勉強することです。最後の一つは、自分の反省から言うのですけどね。

(1997年4月1日掲載)


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