俳優 小沢昭一さん


■おざわ・しょういうち

1929年、東京生まれ。第一文学部卒業後、俳優座養成所を経て51年初舞台。以後、映画、新劇、テレビ、ラジオの出演多数。TBSラジオ系「小沢昭一の小沢昭一的こころ」は放送開始25年目にあたる。著書に「私は河原乞食・考」他多数。

 僕が早稲田大学に入ったのは演劇の伝統があったからで、学生劇団に入って芝居をしていました。だから、僕の初舞台は大隈講堂なんですよ。その他にも「寄席の研究」をしたかったんですが、当時は寄席文化というのは今よりも遥かに低く見られていましたから、「寄席文化研究会」では大学に認めてもらえなくて、「庶民文化研究会」という名前で寄席の研究をしていました。

 僕が早稲田にいた頃はまだ戦争が終わって幾らも経っていませんでしたから、学内も殺伐とした雰囲気でしたね。文学部の校舎の窓にはガラスがはまっていませんでした。そんな状況ですから、「苦学」というよりも、その日その日を生きて行くのに必死でしたね。

 僕は大学にいる間に俳優座の養成所に入っていましたから、掛け持ちをしながら生きて行くためにずいぶんいろいろなアルバイトをしました。保険の外交、成人映画の見張り、宝くじ売り、出版社の編集、家庭教師…。家庭教師は一度に7人掛け持ちしたこともあります。まだ戦後のどさくさの時代でしたから、アメリカの救援物資の洋服を安く仕入れて、俳優座の養成所で売ったりもしましたね。ただ、洋服が汚れていて、臭くて、これが一番嫌だったな。

 そんな事情でしたから、大学ではほとんど勉強しませんでした。卒論には力を入れたんですけれど、後は代返してもらったり、ノートを借りたりしてね。

 それで、40代になって、学問のないことのハンデをとても辛く感じて、また早稲田へ行き直して、6年間大学院へ特殊学生として通いました。

 大学っていうのは、学生の時は遊ぶところだと思っていましたが、学問は大事ですね。学問なんて自分の仕事の役に立たないと思ってましたが、それが大間違いだということに年を取ってから気がつきました。

 20代っていうのは何でも吸収できる時期ですから、その時期に何を吸収するか、ですね。それが40代、50代になった時に、ものすごくいい肥やしになる。学生時代から自分だけの専門、幼いながらもエキスパートになることが必要でしょうね。例えば、流行に目配りしながらも、人のやらないことをコツコツやるとかね。「1億総オタク」っていうのか、自分が何のエキスパートになるのかを探すのが大学4年間という時代なんじゃないですか。

 もちろん、遊ぶことも必要ですよ。ただ、20代は恋愛はほどほどにして、人間的にも金銭的にも充実する30代に取っておくのがいいかもしれませんね(笑)   

(1997年4月1日掲載)


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