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 本紙記者が早稲田の謎に迫るこの連載。「あれはなんだ!」「どうしてこうなの?」皆さんの素朴な疑問を 編集室までお寄せください。

「スクールカラーはなぜエンジ(えび茶色)?」〜早稲田のエンジは好きですか?〜

 早稲田大学の色といえばエンジ(えび茶色)。応援部の早稲田の旗に、体育各部のユニホームや、早慶戦のメガホンに、そして早稲田ウィークリーの紙面まで…。でも、どうして? 大変な筆まめで知られる本学の初代図書館長・市島謙吉が残した記録・手記でその謎を探ることができた。
神宮球場にエンジの旗が翻る
 遡ること95年前。1905(明治38)年に安部磯雄を団長とした早稲田大学野球部が、日本初の海外遠征(米国)を行った。その際、新調されたユニフォームは、薄い小豆色の地にえび茶色で「WASEDA」と浮き出させたものであった。このユニフォームの文字の色になったえび茶色は、早大チームをコーチしたといわれるメリーフィールド氏の母校、シカゴ大学の校色からとったものであったという。この時に、早稲田とえび茶色の結びつきが始まったと言える。
市島の1912年の『雙魚堂日載(せきぎょどうにっさい)(巻十一)』には興味深い記述がある。「校色は習慣上赤となり居る。これは学校にて定めたるにはあらず。運動会の折り政治科(現在の政治経済学部)が他の諸科と区別するため赤色を用ひ始めたるが、今にては慶應が紫色を用ふるに対し、運動会にて早稲田は赤色を一般に認められ居れば、これは用ゆるこそ穏当ならん。唯だ赤色にも種々の類あり。ふつうの赤は俗に失し面白からず。可成朱色を採りたし。しかし余りに六(むつ)かしき色は実際の場合、染出しに困難を生ずべきに付、定色を朱とし、すべての赤色を可とすることになし置く方便利ならん。外国の大学にては、正副の色あれど、我邦には副色を要せず」と。この記述から、この時点ではまだ、えび茶色が校色であるとは認められていなかったことが分かる。
大隈講堂で行われる稲穂祭も早稲田カラー1色!
そして、大隈講堂が竣工された1927(昭和2)年。講堂の舞台には、高島屋よりえび茶色の緞帳が調製された。これに関して市島は再び、手記『雅間録(がかんろく)』八(1927年11月25日の条)に、次のように記載している。「この色が校色である。偶然シカゴ大学の校色と同一であるのも一奇だ。此色はマルーンというのだが、早稲田の各科には、紅・白・紫・緑さまざまある。それを交ぜ合わせると、此の海老茶、即ちマルーンの色(えび茶色)になるのである」と。
 このことから、明治末にはまだえび茶と決定していなかったスクールカラーは、大隈講堂竣工の1927年には確定し、周知されていたことが知られる。
 興味深い事実が次々に出てきた「早稲田カラー」の謎。これで、あなたも早稲田通? 早稲田には他にも謎が沢山。知りたい情報や要望がある人は編集室までどうぞ!

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「トトロの森」


 人間科学部がある所沢キャンパスのB地区一帯は映画『となりのトトロ』のモデルになった場所として有名だ。金仙寺の前にある「お地蔵さん」は、ちっちゃな作りの萱吹き屋根の下にたたずんでいる。

 このお地蔵さんは、近所に住む人々のお参りも多く、通りすがりの人を温かく見守っている。

 晴れた日には、そこでお弁当を食べることをお勧めしたい。まるで時代が止まっているような錯覚を受けるかもしれない。おいしい空気を吸いながらゆったりと過ごそう。

 そこから少し登っていくと茶畑や葡萄畑が見えてくる。狭山ヶ丘はもちろん、天気の良い日には、関東平野を一望に見渡せる絶好の場所(比良の丘)がある。そのすぐ裏には、目立たないが映画のモデルになった「山之神神社」がある。

 紅葉の季節。ちょっと散歩のついでに、彩りを添えるトトロの森の自然を味わって見てはいかがだろうか?

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「石羊」〜古代宗教の東アジア伝播のあかし〜1対の石羊(高さ82cm、全長130cm、幅48cm:筆者測定による)
羊 えっこんなところに、なんで? と思ってしまうほど、不思議な場所に、本物の羊よりやや小さめの二頭の石羊が向かい合って建っているのをご存知だろうか。西早稲田キャンパス2号館(旧図書館)高田図書館、早稲田ウィークリー編集室へ通じる入り口にたたずむ羊。愛と美の象徴として知られるこの動物の意味するものは? 一見単なる置物に見えるこの石像に、実は隠れたエピソードがあった。

羊 実はこの羊、大隈重信が健在の頃、イギリス人、エリザベス・ゴルドン夫人によって早稲田大学に寄贈されたものである。ゴルドン夫人(Gordon,Elizabeth A.)とは1851年英国の名門に生れ、多年ビクトリア女王に女官として仕えた人で、仏教に興味を持ち、中国・朝鮮を調査研究した後、明治末期に来日した。大隈重信夫妻を慕い、名誉講師として早稲田で講演を行っている。帰国の際、本学にその蔵書・仏画・掛軸等を寄贈した。宗教、民族学資料を中心とするこれらの貴重なコレクションは洋書約1,500冊、この石羊をはじめ、仏画や器物など500余点に及び、夫人はその利用について、「学問の独立を標榜する大学で自由に同好の士の研究に資する」ことを望んだという。こうして1916(大正5)年末、本学に「ゴルドン文庫」が誕生。この石羊はそれを代表するものの1つであった。

 羊は、古代朝鮮においては神前に供えるために、王室において飼養されていた。そして石羊は李氏朝鮮時代に石馬、石虎等と同様に、王陵の霊の守護と鬼除けのために置かれたという。

羊 ゴルドン夫人が朝鮮の義州で入手したというこの石羊のイチハツ紋の台座の柱には、現在は風化のためよく見えないのだが、輝く真珠とそれを破壊しようとからみつくトカゲ、そしてラテン様式の7つの十字架が彫られていた。夫人は著書の中でこれらの文様と中国景教碑の文様、2世紀のシリアの神学者バル・ダイサンの詩「真珠賛歌」、紀元前6世紀の頃のメロエ神殿彫刻と関連付け、更に石羊の角はユダヤ教会で贖罪の日に吹くショファー(角笛)と同一であると論証した。つまり夫人はこの石羊を"古代宗教の東アジア伝播のあかし"と見たのである。大隈重信も「これは消すことのできない石に刻まれた証拠である」と語ったという。

 この石羊は寄贈後には、旧大隈会館に、1925(大正14)年の旧図書館(西早稲田キャンパス2号館)新築後には現在の位置に移され、以来ひっそりと、しかし確実に私たちの生活を見守っている。
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