
■宮城道雄記念館
地下鉄東西線早稲田から1駅、神楽坂で下車して、大久保通りに出る。右に曲がって新宿方面にしばらく歩き、大江戸線「牛込神楽坂」駅が見えてきたら左手にある坂道を登る。ここはもう閑静な住宅地である。そこから2つ目の角を右に曲がると宮城道雄記念館が見える。
筝曲といってもピンとこない人も、宮城が作曲した「春の海」は、誰もが正月に1度はテレビやデパートなどれ耳にしたことがあるはずだ。「あっ、この曲か!」とすぐにピンとくるだろう。
この記念館は、宮城の偉業を記念し、1978年に、故人が晩年まで住んだ敷地に建てられた。神戸出身で早くから洋楽にも慣れ親しんでいた彼は、西洋音楽と邦楽の融合を試み、新しい邦楽の境地を拓いた。作曲数は400以上とも言われ、レコードやラジオ、演奏会を通して、その普及活動にも積極的であった。
第一展示室には、宮城の生涯をパネルで紹介しつつ、遺品や、愛用していた箏(こと)「越天楽(えてんらく)」をはじめ、目で見る資料が展示してある。
8歳で完全に視力を失ってしまった宮城は、盲人の生きていく道として箏を選んだ。失明や貧苦など不運の連続の中でも、彼は前向きに生きた。目が見えなかったからこそ、「音」に集中でき、箏一筋の人生を歩めた、と随筆の中にも残してある。
フロアーの中央には、彼の開発した80弦(普通の箏は13弦)の箏の復元がある。結局、楽器として完成されなかったものの、新しい箏の可能性を追及する芸術意欲とその壮大な構想に圧倒される。
第二展示室では、耳で聴く設備が充実している。宮城の作る曲を聴いていると、その情景がありありと目に浮かんでくる。処女作「水の変態」は、雨、霧、雪など水の変わりゆく様を表している。当時彼は14歳だったが、とても14歳の少年が作曲したとは思えないほど複雑で、今聞いてもその新鮮さに驚きを感じる。子ども向けの曲も数多く残しており、常に大衆の目線で作曲していたことがうかがえる。ぜひ、ここでどっぷりと、宮城道雄の世界を鑑賞していただきたい。
「検校の間(けんぎょうのま)」と呼ばれる書斎は、宮城が使っていた当時のままの趣で残されている。茶室風のこの書斎には、會津八一書の「無」という文字が掛かっている。庭には竹が植えられ、笹の葉の風にそよぐ音が心地よい。少し前まではうぐいすが鳴いたりもした。ここで自然の音に耳を傾け、作曲活動をしていたのである。
宮城は作曲家、随筆家、また教育者として多彩な方面に才能を発揮し、その人柄は決して威張らない、温厚で優しかったという。その人間的な魅力に触れ、記念館を後にとても元気が出ている自分に気づく。箏の音に耳を傾ける、静謐のひとときを約束する。

■ 宮城道雄記念館 【住所】〒162‐0835 東京都新宿区中町35番地 【開館時間】10時〜16時半(入館は16時まで) 【休館日】月曜、火曜、第2・4・5日曜、祝日 【入館料】一般400円、学生300円、小学生200円 【交通】JR・営団地下鉄有楽町線飯田橋駅(徒歩10分)、東西線神楽坂駅下車(徒歩10分)、都営大江戸線牛込神楽坂駅下車(徒歩3分) 【問い合わせ先】宮城道雄記念館 03(3269)0208
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※写真:(上)80弦の箏(下)検校の間
■新宿歴史博物館
3万年前から現在までの新宿の軌跡
1964年に新宿文化会館に「資料室」として創られたのが始まり。地域の歴史と文化を守り、継承し、より高い文化を育成する施設として、平成元年に開館したまだ新しい博物館だ。同博物館では、新宿の歴史を紹介する常設展示と新宿に関連したものを取り上げる企画展示に加え、毎週土曜日に「さわってどき!」と題した、縄文土器等を手に触れて歴史を学ぼうという、大変ユニークな試みも行っている。
中に入るとまず、ナウマン象の骨や、旧石器・縄文・弥生時代等の石器、土器の数々が現れる。実は新宿区では、今から3万年以上も前のものから江戸時代まで、多くの埋蔵文化財が発見されているのだ。中世のブースには、現在の地名にゆかりのある牛込氏の文書資料や、板碑などが、江戸時代を紹介するところでは、内藤新宿の宿場町を再現した模型が展示され、当時のにぎわいが、見て取れるようになっている。「新しい宿場」が新宿の名前の由来。新宿は、江戸時代、甲州街道の宿場町として栄えた。同じく展示されてある大きな店蔵(たなぐら)は当時のお菓子屋を復元したもの。「火事と喧嘩は江戸の華」。江戸時代、頻繁に起こった火災から店を守るため、厚い漆喰壁の「土蔵作り」が特徴だった。
新宿と言えば、文化人の宝庫でもある。『坊っちゃん』の作者夏目漱石、『怪談』を書いた小泉八雲、日本の演劇を築いた早稲田出身の坪内逍遙など、著名な作家が数多く住んでいた。同博物館では夏目漱石の『道草』の原稿を始め、その他作家の作品、また新宿を描いた文学作品なども紹介している。
昭和初期のブースに入ると、新宿駅前から銀座の方まで走っていたチンチン電車が展示されている。この頃、デパートや映画館等の高いビルが建ち、活気のある町になった。同じ頃サラリーマンたちは、洋風の応接間のある家に住んだ。ここではその和と洋を上手く合わせた「文化住宅」も復元され、実際に玄関から家の中に入ってその生活を覗くことができる。その先を少し行くと、昭和初期の新宿の街並がウォールディスプレイでまた、当時のカフェ街が模型で再現されている。このブースは、あえて戦争関連のものを展示せず、戦時中を懸命に生きた人々が生んだ新宿の大衆文化を展示しているのが特徴だ。明治以降の急激な都市化、戦災、そして復興と目まぐるしい歴史の変転にもかかわらず、新宿地域で長い世代にわたって育成されてきた生活文化は、区民の暮らしの中に絶えることなく今に伝えられている。
3万年前の新宿から、戦後力強く復興した今日の「新都心・新宿」まで、この変転極まりない歴史とその時代を生きた人々の"強い力"の源を覗いてみよう。
<企画展のご案内>
【企画展】「弥生の輝き ―吉野ヶ里からのメッセージ―」
【開催期間】2001年2月10日〜3月25日まで ※無料
■ 新宿歴史博物館 【住所】〒160−0008 東京都新宿区三栄町22番地 【開館時間】9:00〜17:00。ただし入館は16:30まで。 【休館日】月曜日(休日にあたる時は、その翌日)、12月25日〜1月3日は休館。 【観覧料】一般300円、小・中学生100円(ただし、特別展については別途定める)。 【交通】都営地下鉄新宿線曙橋駅下車、営団地下鉄丸の内線四ツ谷三丁目駅下車(徒歩8分)、JR・営団地下鉄丸の内線・南北線四ツ谷駅下車10分。 【問い合わせ先】学芸課 TEL03(3359)2131 |
※写真:(上)博物館外観(中)チンチン電車(東京市電5000形)(下)内藤新宿の模型
■印刷博物館
知的好奇心も満足 新アミューズメントパーク出現!?
東洋一の広さを誇る印刷博物館が今年の10月にオープンした。これは凸版印刷(株)の創立100周年記念事業の一環として設立し、印刷を文化史的な面で捉え、総合的な文化施設を目指したもの。館長はグラフィックデザイナーの粟津潔氏。展示面積1770平方メートル。巨大なスペースは展示品等をただ眺めるだけではない工夫があちこちに見られる。「映像展示情報システム」や「動態展示」等、新しい展示方法をふんだん取り入れている。自分のペースで、学び、楽しむことができる。注目は、土日、祝日(土・日に続く祝日)に行っている国内初のVR(バーチャルリアリティ)シアターだ。4メートル×12メートルのスクリーンは迫力満点。最新のVR技術を用いた映像はまるでその場にいるような不思議な気分に。舞台は日本印刷史に衝撃を与えた西洋文化との交流の現場、長崎の出島。案内役のナビゲータ−は、鑑賞者と対話しながらの進行。等身大で進んでいくリアル画面から歴史を覗くことができる。
同博物館は、入るとすぐ、古代から現代までのビジュアルコミュニケーションの為に人々が生み残した多くの資料がレプリカで展示されている。反対側は館長自身のデザインによる印刷に関連したモチーフのコラージュによるエッチングの壁。印刷のビジュアル・コミュニケーション・メディアの側面を、壁面展示と映像で紹介している。
次のゾーンは時期を区切り企画展示と全面総合展示(常設展示)が行われている。企画展示のテーマは「みつける」。印刷と人との関係や知られていない印刷の面を発見してもらおうという企画だ。12月10日までは「江戸時代の印刷文化−家康は活字人間だった!」を行っている。また1月からはフロアー全体を用いて総合展示(常設展示)の全面展開となっている。
常設展示コーナーは、「わかる」をテーマとし、博物館独自の視点で印刷と文化について展示する総合的なフロアー。18世紀にフランスで刊行された百科事典『百科全書』の図版などを電子ブックによって見ることができる。 動画、電子メディアでの活字パズル・クイズなども入っており、楽しんで学ぶことができるよう工夫がいっぱいだ。最後は、ガラス張りの「印刷の家」へ。イギリス製の手きん印刷機で印刷を体験できる。インストラクターがいるので安心。できあがったものは、もちろんおみやげに。
"記憶から記録へ"と始まった絵画・文字が、印刷技術によりすべての人へ「知の共有化」「コミュニケーション」を可能にした。今ではデジタル化技術の急速な進展による、新しい情報コミュニケーションが生まれている。「コミュニケーションメディア」として、印刷が社会にもたらしたものは何か、そして未来はどこへ行くのか。
新しい知の探求へ出かけてみよう!
■印刷博物館
【住所】文京区水道1丁目3番3号トッパン小石川ビルミュージアム棟1階、地下。 【交通】リーガロイヤルホテル早稲田向かいのバス停「早稲田」から都営バス[飯64]九段下、[上69]上野公園きで「大曲」で下車徒歩3分。 【開館時間】10時〜18時(入場は17時30まで) 【休館日】毎週月曜日(ただし祝日の場合は翌日)、年末年始、展示入れ替え期間。 【入場料】大人(中学生以上)300円・子供(小学生)100円、団体割引あり。 ※特別企画展期間中は別料金。 【問い合わせ先】印刷博物館 TEL03(5840)2300 |
※写真:上から『ダン著作集』(所蔵)・10月7日〜12月10まで行われる企画展示・『群書治要』手前のモニターを操作することで、さらに詳しい情報を開くことができる・アルビオン印刷機(1846年製)
■鶴巻南公園
早稲田実業学校の裏手を歩いていく。左には同校の体育館で汗を流す高校生。その道を真っ直ぐ歩いていくと正面に広場が見えてくる。ここが今回ご紹介する憩いのスポット「鶴巻南公園」だ。
新宿区によって設置されているこの公園の第一の特徴は、何と言っても大きな広場。都心にしては珍しいこのスペースで、インラインスケートやキャッチボールを楽しむ人々。広場周辺の木陰に置かれたベンチでは、寄り添って仲良く語らうカップルあり、一人ギターを片手に歌を口ずさむ人あり、ただもくもくと昼寝する人ありと、誰もが自由な時間を過ごしている(これからの季節は、ちょっと寒いかもしれないが…)。奥のほうには、子供向けにブランコや滑り台が見える。これらの遊具はいわゆるフィールドアスレチックほど本格的ではないが、子供たちが身体を使って楽しめ、小さな子供を連れたお母さんも遊びに来ていた。
これだけなら、ちょっと広いスペースのある公園に過ぎない。ここのおもしろスポットは、大学側から入園して左手奥にある「すこやか小路(健康歩道)」。手前に、「靴を脱いでご利用ください」という注意書きが。さて、「すこやか小路」とはどんなものか、読者の皆さんは想像がつくだろうか。少なくとも、私はこんな設備を目にするのは初めてである。
種を明かせば、「小石版青竹踏み」。玉石やゴルフボール、ブロックやゴロタ石など、さまざまな形状の石が、緑の木々を取り囲んで周回道路の形で埋められている。つまり、裸足(石の刺激が感じられれるなら靴下でも構わないだろうが)で、この上をグルグルと歩けば、足の裏に伝わる刺激で身体はホカホカ、すっかり健康!? 「お湯をコップ二杯飲むと、より効果的」なのだそうだ。ただし、青竹踏みや健康サンダルが苦手な人には少し不向きかもしれない。
ちなみに、「食事直後のご利用はできるだけ避けてください」とのことだから、お昼休みに遊びに行く時は、運動してから昼食を食べるようにしよう!
■穴八幡「早稲田青空古本祭」
西早稲田キャンパスと戸山キャンパスを結ぶ道の交差点、「三朝庵」の斜向かいにあるのが「穴八幡宮」だ。二つのキャンパスを見守るかのようにこんもりとひそやかにたたずんでいる神社は、約千年近い歴史を持っている。
一〇六二年(康平五)、奥州の乱を鎮圧した八幡太郎源義家が、凱旋の折にこの地に兜と太刀を納めたのがことの始まりだと言う。江戸時代には屈指の大社として知られるようになり、壮麗を極めた。また、大正時代には天皇の虫封じを命じられ、それ以降は「虫封じの神社」としても知られるようになった。
一年おきの祭礼に始まって毎年十月十日には馬に乗りながら的を射る流鏑馬の神事が行われることも有名。階段の下には流鏑馬の銅像が建立されており、穴八幡の新しいシンボルともなっている。また、冬至から節分までは「一陽来復」の御守りが授けられることで、境内は賑わう。これは他に類を見ない全国唯一のもので、金銀融通の御守りともされており、商売を営む人をはじめ遠くからこの御守りを求めに来る人々も多く、その数は五十万人を超えるとも言われている。十二月の冬至の際に再び足を運んでみるのも一興だろう。
そんな穴八幡が神事や祭事以外で賑わうのが、今回で第十五回を迎えた「早稲田青空古本祭」。早稲田から高田馬場にかけての古本屋さんを中心に出店し、三十万冊に及ぶ古書が並べられる。読書の秋にふさわしいこの催しも穴八幡の名物行事の一つとなっており、毎年地方から大量の古本を買いに来る人々も少なくないそうだ。
「最近の学生は本を読まない」という声が世間ではよく聞かれるが、古本祭の期間中は本学の学生たちも廉価な本を求めて足を運ぶ。今年も十月一日から六日まで、境内は多くの読書家たちで賑わい、数十冊の本を抱えて歩く人々で夕方まで賑わった。
普段は静かな「穴八幡」。今日も本学の学生を見守って、早稲田の杜にたたずんでいる。
■早稲田古本ネット http://www.w-furuhon.net/
第913号 Oct.19, 2000
今回は、歩くのが好きな人のコース。本学正門を背に、早大通りを真っ直ぐ。突き当たりを右手、神楽坂方面へ。少し上がって進行方向左側・地下鉄神楽坂駅飯田橋寄り出口のすぐ先を左折。その先に見えるのが赤城神社。木々が鳥居の上方を覆い隠すようにして生い茂った奥に、朱塗りの社殿が見え隠れする。
鳥居を潜り、赤い灯篭が並ぶ石畳を進む。かつてはこの境内に貸席・清風亭があり、そこで坪内逍遙が文芸協会の前身・易風会の会合を開催。近松秋江(しゅうこう)なども出席した。清風亭は後に長生館という下宿となり、多くの作家が住んだそうだ。
右手に、赤い鳥居と幟が並んだ小さなお社「出世稲荷神社」が。このお稲荷さんは、福徳開運の威を備えた衣食住の守護神で、伝説によると、赤城神社がこの地に遷される以前から地主の神として尊ばれていたと言う。
さて、赤城神社社殿に到着。祭神は、磐筒之男神(いわつつのおのみこと)、赤城姫命。一三〇〇年に群馬県赤城山麓大胡の豪族・大胡氏が牛込に移住した際に本国の鎮守・赤城神社の御分霊を、牛込早稲田村田島(現・早稲田鶴巻町、元赤城神社の所在地)に祀ったのが起源。九月に行われる例祭は、神輿や縁日で大いに賑わう。
境内奥の小さな鳥居の下では、家々の間から町並みが望める。この神社は標高約二十五メートルと高台に位置し、西と北は十メートル以上の崖になっている。かつてはここから早稲田界隈が一望できたという。現在は一望とまではいかないものの、高台から街を眺めるというのは意外と新鮮。見慣れた景色も、知らない街であるかのような錯覚に陥る。
そこから急な石段を降りると新宿矢来町。細い露地が迷路のようだ。ここから帰ろうとすると確実に迷子になるので、時間がなければ来た道を戻ろう。赤城神社まで早稲田から歩いて行き帰り約一時間程度の散策ではあるが、町並みや雰囲気の違いが小旅行のように感じられた。
■赤城神社(新宿区赤城元町1−10)
■毘沙門天善國寺
(びしゃもんてんぜんこくじ)
東西線の神楽坂駅から飯田橋方面へ坂を下る。散歩がてら早稲田からぶらぶら歩くのもよい。神楽坂通りの左右に並ぶ店を冷やかしながら歩いていくと、「毘沙門天善國寺」の門が見えてくる。
鮮やかな朱色の本堂の前には狛犬ではなく寅が二頭。おみくじと共に祈りを込めて提げられた絵馬にも寅が描かれている。これは、毘沙門天が寅の年、寅の月、寅の日、寅の刻に降臨したことに由来するもの。この門前は東京の縁日発祥の地であると言われ、坂の両脇には連日屋台が並び、殊に毘沙門天の縁日である寅の日には大いに賑わったと言う。今は、門前に花を売る屋台が一軒、当時の面影を偲ばせている。
同寺の創建は一五九五(文禄四)年、約四百年前の桃山時代末に遡る由緒ある寺。初代住職・佛乗院日惺(にっせい)上人は池上本門寺十二代貫主を勤めた。一五九〇(天正十八)年、上人は旧交のあった徳川家康と再会。父祖伝来の毘沙門天像を前に天下泰平の祈祷を修す。それを伝え聞いた家康が、上人に日本橋馬喰町馬場北の先に寺地を与えると共に、鎮護国家の意を込めて手ずから『鎮護山・善國寺』の山・寺号額をしたためて贈り、善國寺が誕生。その後、同寺は焼失するが、水戸光圀によって麹町に再建され、徳川本家、分家の田安・一橋家の祈願所となるなど、徳川家と非常に縁が深い。ところが、同寺はまたも類焼の厄に遭う。寛政四(一七九二)年の火事で現在地に移転。その後、東京大空襲で罹災するが、一九五一年に再建され、七一年に現在の本堂が完成した。
毘沙門天は、仏法や北方を守護する軍神。「多聞天(たもんてん)」とも呼ばれ、毘沙門天を信仰すると十種の福を得ることができるとされる。我が国での信仰は全国的で、鎌倉末期には既に七福神の一つとして数えられた。現在新宿区の有形文化財に指定されている尊像は、幾度もの火災を代々の住職によって守り抜かれてきた。
かつては、早大生も多く散策に訪れたという神楽坂。善國寺の門前を粋な風が通り過ぎていく。
■毘沙門天善國寺(新宿区神楽坂5−36)
知らなきゃ、ソン?! これならできるエコライフの第一歩!
■新宿リサイクル活動センター
〜「元気で得するリサイクル」を応援します〜
「いらなくなったものを売ることができたら…」、「フリーマーケットを出店したいんだけど忙しくて…」、「買い物はやっぱり、良い品を安く買いたい!」。そんなあなたに耳寄りな情報! 高田馬場駅徒歩3分、「新宿リサイクル活動センター」をご存知だろうか? 
同センターは「まちからごみを減らそう」を合言葉に設立されて7年。リサイクル事業を通して、環境に配慮したエコの街づくりを推進してきた。今春4月から、区に代わって、新宿区障害者就労センター(チャレンジワーク)がセンターの管理・運営を担当することになった。エコステーションとしての試みに、障害者が当たり前に働ける環境が整備され、新しく生まれ変わった新宿リサイクル活動センターにぜひ一度足を運んでいただきたい。一人暮らしの学生必見! 売りたい人にも、買いたい人にも、嬉しい情報が盛り沢山だ。
メインである「もいちど倶楽部(バザー)」や、「日用品ホスピタル(修理)」に加え、メーカー製造のエコグッズや再生品、障害者の作業所で自主制作したリサイクル製品や福祉商品を並べる「エコショップ」が新装開店。多目的会議室(使用料無料、要予約)も利用できるし、また、環境やリサイクル関連の図書が揃っており、ビデオは貸し出しもできる。
【新宿リサイクル活動センターのシステム】 出品にはまず出品者登録が必要で、登録後に出品予約をする。出品の手続きは、新宿リサイクル活動センター受付で出品預かり書と値札に必要事項を記入する。商品は翌日から売り場へ。大型品は目録カードに記入し、掲示コーナーで3カ月掲示され、購入希望者が出た場合は目録出品者に直接連絡を取りあって売買する。仲介手数料も消費税もかからないため、格安で品物を購入できる。 |
| ●もいちど倶楽部 | ●エコ・ショップ |
家で使わなくなったもの、使わないものを出しただけなのに喜んでもらえるなんて嬉しいお話。また、買い手と売り手のメリットはなんといっても仲介手数料が一切かからないこと。売れたお金はそのまま売り手の元へ。受け入れる品物は職員の方が入念にチェックしてくれるから、安心だ。出品のついでに掘り出し物も見つけてみては? 【預かることができるもの】 ▲日用品全般(出品物はできるだけ新しく季節にあったものを) 1. 未使用のものに限定…肌着、水着、食器、寝具 2. 要洗濯・クリーニング…衣類 3. 新品同様か、新品…靴 ▲高額品や大型品(目録出品) タンス・ベッド、家具、冷蔵庫、テレビ、ビデオ、パソコン、自転車、出品値が1万円を超える品物。 |
メーカー製造のエコグッズや再生品、障害者の作業所で自主制作したリサイクル製品や福祉商品が沢山。 |
| ●日用品ホスピタル | |
| 通常料金より安く修理できるのも、魅力。たった一本骨が折れただけで使わない傘。使い慣れてるのに切れ味がなくなった包丁。新品なのにサイズがきつくなった洋服等。わずかな修理ですぐに再生できる日用品はないだろうか? (修理品:傘、靴、洋服、包丁・ハサミ等の刃物) |
■新宿リサイクル活動センター
【出品登録者資格】新宿区に在住または在勤で18歳以上。 【購入者資格】どなたでもOK 【所在地】新宿区高田馬場4−10−17 【休館日】毎週月曜日・年末年始 【展示販売時間】「もいちど倶楽部」展示販売(2階)は10:00〜15:00(木曜日は12:00まで) 【問い合わせ先】TEL03(5330)5374 (ゴミさんゼロごみなし) |
※写真:(上)出品登録をする人々。今日もたくさんの人が訪れた。
(中)日用品の修理はここにおまかせ(1階入口すぐ)
(下)「もいちど倶楽部」。ご来店お待ちしています!
■講談社野間記念館
今回の「わせだかいわい」は、今年の四月にオープンしたばかりの新しいスポットを紹介する。リーガロイヤルホテルの前の道を渡り、胸突坂を上がり、芭蕉庵を過ぎて目白通りへ出たところを右へ曲がると、聖カテドラル教会の前に「講談社野間記念館」がある。本学の正門からでも歩いて約十五分だ。講談社創業九十周年事業の一環として設立されたもので、講談社の初代社長野間清治氏が収集した美術品を展示するために、野間現社長の旧宅を改造したものである。
「野間コレクション」と呼ばれる美術品は総数一万点を超えると言われているが、その特徴は大きく分けて二つある。一つは、五千点以上にも及ぶ色紙のコレクション。川合玉堂、鏑木清方、上村松園など、日本画の歴史に名を残した錚々たる大家たちの色紙のコレクションは日本一とも言われている。もう一つの特徴は、野間清治氏が生きた明治後期から昭和初期にかけて活躍していた同時代の画家や彫刻家の作品が多いこと。一人の作家の作品をコレクションするのではなく、時代性を切り取って幅広く収集された美術品の数々は貴重なものも多い。また、出版社らしく、昭和初期に発行された絵本の原画が展示されているのも面白い。時代を感じさせる柔らかな筆致は、観る者の心を和ませる。
四つの展示室からなる記念館は、期間を変えてさまざまな展示が計画されているが、休憩室から眺める庭の趣もまた見事である。都心にいるとは思えない静寂さが、ゆったりとした時間の流れを作り、その中に飾られた絵の一点一点を眺めていると、時がたゆたうようである。
現在は「近代の花鳥画展・絵本の原画展」を開催中(〜七月二十三日)。ぶらりと足を運んで贅沢な時を過ごすには素晴らしいスポットだ。
■講談社野間記念館(文京区関口2−11−30)
【開館時間】10時〜17時(入場は閉館の30分前まで) 【休館日】月・火曜日(祝休日の場合はその翌日) 【入館料】大学生300円、一般500円 【電話】03(3945)0947 |
※写真:(上)横山大観作「白鷺の図」、(下)絵本『舌切雀』の原画
■水稲荷神社
真夏を思わせるような日差しの中、涼を求めるには最適のスポット、「水稲荷神社」を紹介しよう。
西早稲田キャンパスの西門を出て、商店街を抜け、西早稲田の交差点をグランド坂方面へ向かうと「水稲荷神社」の看板が見える。
早稲田には本学のキャンパスをはじめとして緑が多いが、通りを一本隔てただけで街中の喧騒が嘘のようなひっそりとしたたたずまいの中、緑に包まれて水稲荷神社がある。
創建が今から千年以上も前の天慶四(九四一)年という由緒のある神社で、早稲田の杜の総鎮守である。本学が新しい建物の建設を始める時の地鎮祭も、水稲荷神社の宮司さんにお願いしている。「早稲田」という土地に所縁の深い神社だけに、歴史を彩るさまざまなエピソードもある。
階段を上ってすぐのところには、赤穂浪士の討ち入りや高田馬場の仇討ちで知られる堀部安兵衛の碑がある。「忠臣蔵」でお馴染みの人物がこんな身近なところに関わりがあったとは。ここに佇んでいると、遥か江戸時代の堀部安兵衛の高田馬場の仇討ちまで時がワープしたような静けさを覚える。
また、鎌倉時代に最も流行ったと言われている「流鏑馬(やぶさめ)」の馬場跡もある。今も秋になると行われるが、直線の参道を馬が疾走する姿は見事なものだろう。江戸時代には境内の一帯が地名「高田馬場」の由来となった馬場として使われていたという歴史も。
境内に入ると、江戸城を開き、「七重八重…」の雨宿りのエピソードでも知られる太田道灌が、馬を繋いだとされる松が植えられている。現在の松は三代目に当たるが、その青々とした葉の色は往事を偲ばせる。
立派な本殿には狛犬の代わりに狐が鎮座している。「おや?」と思ったが、ここは「稲荷」でもあるのだから、当然のことなのだと後で気が付いた。寄進された幟(のぼり)のはためく中、参拝すると、拍手の音が広い境内に響く。
神社に隣接して甘泉園もあり、涼を求めての歴史散歩や、休講で時間が空いたり、レポート作りで疲れた頭を休めるにはもってこいの場所だ。静かな境内に、砂利を踏む足音が聞こえた。