第848号 July.9,1998

四川調査〜97年度 民族・考古調査から


文学部非常勤講師・成城大学短期大学部専任講師 小澤 正人

◆宝とん遺跡の調査(1)へ

◆宝とん遺跡の調査(2)

古代中国の中心は黄河流域にあり、四川省は後進地とされてきた。ところが80年代に三星堆遺跡で大量の青銅器が出土したことで、この説に修正が必要となった。三星堆遺跡の青銅器(現在日本で展覧会が開かれている)は、黄河流域に源流を持ちながら、それを独自に発展させており、四川に高い文化があったことがわかる。宝とん遺跡はこの三星堆遺跡に先行する時代にあたり、すでに発達した文化があったことを我々に教えてくれる。

宝とん遺跡の共同調査は、96年11月に始まった。その1カ月前に宝とん遺跡は日本で大々的に報道された。別の調査隊が宝とん遺跡で五千年前の「基壇」を発掘したと発表したのである。我々も中国側もこの報道にはびっくりした。この調査隊は宝とん遺跡の自然化学分析をおこなったのみで、基壇は今から1千7百年前の漢代の墓葬の「墳丘」であった。

この騒ぎの中で、我々は大きなものを掘り当てるのではなく、宝とん遺跡の年代や性格をより確かなものとすることを調査目的とした。目先の派手さではなく、地道な調査をしたかったからで、この考えは調査に協力してくださった大学の方々からも支持してもらえた。「早稲田らしい調査をしてください」。多くの教員や職員の方々が励ましてくれた。

調査はぎこちない雰囲気の中で始まった。日本と中国という違った背景を持つ研究者が、初めて一緒の仕事をする以上当然のことであるが、先の日本での報道が幾分かは影響を与えていた。しかし同じ現場で、それこそ「同じ釜の飯を食べる」ことで、そんな雰囲気はすぐに消えていった。当初の調査目的を達し、明日は帰国するという別れの宴ではどちらからともなく「またこの続きを」という声があがり、約束のための盃が重ねられた。

このときの約束は今年かなえられそうである。我々と四川大・成都市考古隊は秋に再度の共同調査を計画しており、現在中国政府に申請中である。


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