第891号 Jan.20,1999


『泉鏡花全集』 岩波書店刊 第一巻から第三十巻

 「最近の若い人は本を読まなくなった」と言われるようになって久しい。事実、その傾向はないとは言えない。また、「本を読む」という行為は同じでも、「軽い」本を「お手軽に」読んでいる人が多いのは確かな事実だ。お手軽に読んでしまえて、そのまま後に何も残らない本が巷に氾濫しているせいでもあろう。

 しかし、たまには正面切って「文学」の世界に惑溺してみるのも大学生の特権ではないだろうか。いや、頭が柔らかく、吸収能力の高い今しかできないことかもしれない。

 泉鏡花。明治から大正、昭和にかけて活躍した作家で、耽美派の先駆けとも言われる存在である。小説の他に戯曲も数多くの名作を残し、現在でも繰り返し上演される作品が多い。三月には坂東玉三郎が「海神別荘(かいじんべっそう)」を演じるのが話題にもなっている。

 幽玄な世界を扱った『高野聖』や、自らの結婚問題を扱い、新派の舞台で大ヒットとなった『婦(おんな)系図』、芸者の世界を扱った『日本橋』など、鏡花の描く世界は幅広い。

 そんな鏡花の文体は、綾錦を織るような流麗な文章で、一言一言が美しい響きを持って紡ぎ出されている。日本語が元来持っている美しい「響き」というものを、鏡花は大切にしている。一方で硬質な感じを与える作品もあり、鏡花が残した小説群や戯曲の数々に触れると、明治や大正、昭和の初期の文学の香気が行間から漂ってくる。それは、平成を生きる我々にとっては、最初は取っ付きにくい文章かもしれないが、読んでいるうちに鏡花のロマンティックな異形の世界にのめりこみ、その世界の中をたゆたっているような気にさせられるから不思議だ。

 この春休みを利用して、全集にがっぷり四つに取り組んでみるのも良いし、全集までは、と言う人には岩波文庫から出ている数冊の短編集などをお勧めしたい。

(よ)


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 第890号 Jan.6,2000


『かながわ・メッセージ 月桃の風車』 作・絵 新井敦子・斎藤明日香・山本さやか 武田出版発行・星雲社発売:本体価格1600円

 戦争――。「なくそう」「なくさなければ」。そう言い続けられていながら、なくならないもの。今も地球のどこかで、人々が泣いている。そして、傷ついている…。

 この絵本は、神奈川県立大清水高校の国語教諭・新井敦子さん(84年教育卒)と、当時同校三年生に在籍していた斎藤明日香さん、山本さやかさんが協力して仕上げたもの。修学旅行で沖縄戦を追体験、現地の小学校教諭・金城明美さんに「私は戦争を知らないが自分にできることをやろうと思い、絵本を描いた。あなたたちは、平和のために何をしますか」問いかけられたことを真摯に受け止めた新井さん。「神奈川から平和のメッセージを発信する絵本を作ろう」と教え子に提案。「戦争とは何か」「平和のために何ができるのか」を問いかける絵本を作成することとなった。

 ストーリーは、二人の小学生が琉球王国と太平洋戦争時の沖縄に時間と場所を超えて迷い込み、戦争の怖さを体験後、現代に舞い戻って、「平和のために何ができるのか」考え始めるというもの。新井さんが考えた筋立てに、教え子が絵を付けた。結末が物足りないと完成間近になった絵を白紙に戻して全面的に書き直したり、企画段階から加わっていた生徒の一人が受験のために参加を断念したり、といった壁を乗り越え、一年以上もの長い時間をかけて仕上げた力作。一人の教師と二人の高校生の平和を願う強い思いが、具体的な形となってここに結実したものである。

 「ヒンギリヨー。ヌチドゥタカラドー」(逃げるんだよ。命は宝だからねー)。絵本が問いかける戦争の怖さ、平和の重み。私たちには何ができるのだろうか、読者の心にも小さな火が点ることだろう。

(ま)


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 第889号 Dec.9,1999


『眼球綺譚』 綾辻行人著 集英社文庫:本体価格552円

 著者は、「新本格推理の旗手」として、一九八七年に登場した作家である。以降、次々に華々しい推理小説を発表してきたが、その著者の手になるホラー作品集が本書。

 全七編の物語からなる本書は、はっきり言ってかなり怖い。背筋を寒さが這い上がって来るような怖気を感じる作品がある。ホラー小説の醍醐味は、そういうところにあるのだが、著者は本書で今までに発表してきた推理小説とはまったく違った色合いを持った作品を紡ぎ出してきた。

 表題作が最もおぞましいが、他の作品もいずれ劣らぬおぞましさを持った作品である。かのスタンリイ・エリンの名作「特別料理」と同じタイトルの作品もあるが、こちらはまたエリンとは趣を異にしている。どちらが優れているとも言えず、これは読者の好みの問題だろう。

 本書は連作ではないが、全編を通じて必ず顔を見せる同じ名前の女性の存在も、考えようによっては恐怖を一層煽り立てる。見事な効果だ。

 ホラー小説を読んでも勉学の足しにはならないかもしれない。しかし、たまに息抜き程度にこうした分野に足を踏み入れてみるのも悪くはないだろう。寒い夜が余計寒くなることは確実である。

(よ)


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 第888号 Dec.2,1999


『にっぽん半導体半世紀−二〇世紀最大の技術革新を支えた人と企業−』 志村幸雄著 ダイヤモンド社:本体価格1900円

 オーディオアンプやコンピュータ等の基盤となる半導体技術。今や人類にとって不可欠の技術である半導体の研究・開発を巡って、日米韓、そして日本企業の間では熾烈な競争が繰り広げられている。

 この本は、そうした研究・開発を担ってきた人々の物語。トランジスタ技術に着目し、ソニーの礎を築いた井深大(まさる)さんのエピソードは皆さんもご存知の通り。また、西沢潤一岩手県立大学長はその独創性から数々の研究成果を生み出し、外国人研究者をして「日本にはニシザワが何人いるのか」と唸らせたという。例を挙げれば枚挙に暇はない程、二十世紀の半導体技術の進展に日本人が寄与してきたところは大きい。

 同著では、日本に留まらず、半導体技術の進展とそれに関わる人物ドラマを、実に生き生きと鮮やかに描きあげている。

 著者・志村幸雄さんは現在、本学理工学部非常勤講師として『電子産業論』の講義を担当。今回、トランジスタ発明五十周年を機に、(株)工業調査会発行の半導体専門雑誌『電子材料』編集長など、長らく編集者として半導体に関わってきた経験を基にして半導体産業にまつわるいい話や人物エピソードをまとめたそうだ。

 独創性に富み、信念を持って研究に取り組んできた人々のドラマは言うまでもない。未知の領域に立ち向かい、開拓しようとするフロンティアスピリッツには畏敬の念すら抱かされる。一方で、随所に散見する批評精神−−独創的な研究を評価せず、欧米での評価を以って評価しようとする日本人(企業)の体質を指摘−−も見逃せない。

 半導体技術やその周辺技術を学ぶ学生にはもちろん、文系の学生にとっても非常に学ぶところがある良著。

 次代の情報産業を支えるのは果たして何処であろうか。

(ま)


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 第887号 Nov.25,1999


『ちびくろさんぼのおはなし』 ヘレン・バナーマン作 径書房:本体価格1000円

 丁度今から百年前の一八九九年にイギリスの女性によって書かれた「ちびくろさんぼ」の物語は、皆さんも小さい頃に読んだり、聴かされたりして、何らかの形で知っていることだろう。しかし、ある日突然、本書は黒人を差別した内容だとして絶版にされてしまった。

 確かに、主人公のちびくろさんぼは黒人であり、被差別の対象になった人種である。しかし、そこに描かれている内容は、頭のいいちびくろさんぼとトラとの愉快な物語であり、そこに差別的な言辞は見受けられない。本書がなぜ「差別本」としての扱いを受けなくてはならなかったのだろうか。その問題については、同社から発行されている『ちびくろサンボよすこやかによみがえれ』(灘本昌久著)に詳しいので、そちらも併せて読まれることをお薦めしたい。

 差別・被差別は非常にデリケートな問題であり、簡単に論じることはできないし、現に今もさまざまな形での差別が存在している事実はある。しかし、本書の場合に限って言えば、これを「差別」として封印してしまった事が正しかったのかどうか、それは甚だ疑問ではある。手のひらサイズの小さな絵本だが、考えさせられることは沢山ある。      

(よ)


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 第886号 Nov.18,1999


『始動!ネットビジネス サイバー経済の舞台裏』 日本経済新聞社編:本体価格1400円

 多くの証券会社がインターネットを使った取引を始めていることにお気づきだろうか。先行する米国では格安の手数料を武器にしたオンラインブローカーが急成長。日本でも、この動きが新しい投資スタイルやサービスを生じ、市場に競争原理が働いて活性化するのでは、と熱い期待が寄せられている。学生である皆さんには証券取引自体が身近に感じられないかもしれないが、今後、オンラインショッピングや社会人になって手がける商取引等、さまざまな形でネットビジネスに関わるはずだ。

 さて、この本は、ネットビジネスに注目し、現代という時代の躍動を分かりやすく解説しているもの。常日頃から経済事象に関して研究を重ねている人には少々物足りないが、過去から現在のある期間の動向を総括し、今後の動きを見通そうとしている点で、入門者にはいい導入となるだろう。

 二十一世紀を目前にして、社会の変化は著しい。銀行の合併や大企業のリストラなど、従来の常識が覆されるような出来事も頻繁に起こっており、従来の価値観が崩壊し、新しい価値観や時代が創出されつつある。そんな時代だからこそ、進取の精神を旨とし、サバイバル精神に溢れる早大生には未知の可能性を切り開く能力が多いに求められている。新時代のビジネスパーソンには、情報活用能力や経済知識が不可欠。時間に余裕のある学生時代、講義や余暇を活用して新時代に対応する能力・知識を積極的に身につけても決して無駄にはならないはずだ。

(ま)


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 第885号 Nov.11,1999


『大サービス』 原田宗典著 集英社文庫:本体価格457円

 本学第一文学部出身の人気作家・原田宗典さんのショート・エッセイ集。皆さんの中にもハラダエッセイのファンは多いと思うが、本書は、九十年代にあちこちに発表したショートエッセイをまとめて一冊にしたものである。今までにも随分多くのエッセイ集を出している原田さんだが、本書は短いものばかりなので、さらっと気軽に読んでしまえる。

 「憎むべき延長コード」「裸になるとケチになる」「カラ元気の出し方」「パチンコは面白いか?」「就職に失敗する方法」などなど、タイトルだけでも面白いエッセイが目白押し。自らの体験談や失敗談を、ハラダ流の味付けで笑わせるエッセイ集は、著者お得意の分野である。「大サービス」のタイトルに違わず、ハラダ流のおかしみや優しさが沢山詰まっていて、ファンにはたまらない一冊だろう。

 これは本人の直話だが、エッセイは釣りで言えば「撒き餌」に当たるものなのだとか。軽いエッセイで読者をひきつけておいて、本当はじっくり小説を読んでもらいたいというのが、原田さん本人の胸の内のようだ。ところが、エッセイが余りにも面白すぎて、「ハラダ困惑」というところなのだそうだ。エッセイだけに留まらず、小説、戯曲と幅広く活躍している著者だけに、他の作品にもオススメは沢山ある。

 ともあれ、本書は思わず「ニヤリ」と顔がほころんでしまう作品が多いので、電車の中など、人がいるところで読むのは要注意かもしれない。   

(よ)


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 第884号 Nov.4,1999


『100万回生きたねこ』 佐野洋子著 講談社:本体価格1300円

 絵本は時に忘れかけていた大切なことを気付かせてくれる。一見単純で、でも本当はその奥の深さに驚かされる。

 私たちは誰でも子どもだった。子供の心を持ち続けることは難しいと言われる。しかし、それはとても素敵なこと。子供たちの、純粋にもろ手を上げて感動し、泣き笑い、丸裸の自分で大人たちにぶつかってくる姿勢や、新しいものに触れた時の輝いた瞳は、大人の私たちには到底叶わぬもの。

 今回はそんな真直ぐな気持ちになれる一冊の絵本を紹介したい。約二十年前に出版され、大人も楽しめる絵本として今でも世代を超えて読み続けられている名作である。

100万年しなないねこがいました。100万回もしんで、100万回も生きたのです。100万人の人がそのねこをかわいがり、100万人の人がそのねこがしんだときなきました。 ねこは一回もなきませんでした――       

 (本文より)

 一匹のやんちゃでイキな雄とら猫が主人公の物語はこの書き出しで始まる。

 今まで人を愛したことがなかった「ねこ」。王様の猫だった時もあった。サーカスや泥棒の猫だった時もあった。けれど、「ねこ」は誰も好きではなかった。しかし、のら猫として産まれついたある時、誰の猫でもない自分だけの猫になったことから彼の転機が訪れる。

 何よりも自分が一番好きだった「ねこ」。いつも百万回生きたことを他の猫に威張り散らしては誇っていた。そんなある日、「ねこ」は初めて自分以上に大切なものを見つけるが…。

 生きる中で真実に大切なことは何か。自分の価値や本当にかけがえのない"生"を楽しみ、生きる力を与えてくれるものは何なのか。

 「ねこ」の恋愛あり、感動あり、かわいくて大胆な絵と、ちょっぴりセンチメンタルなこのストーリー。

 冷たい風の吹く寒い夜に、心も体も温まろう。

(さ)


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 第883号 Oct.28,1999


『双生児』 江戸川乱歩著 角川ホラー文庫:本体価格 743円

 先ごろ本木雅弘とりょうが演じて話題になった映画『双生児』をご覧になった方もいるのではないだろうか。原作は、日本の推理小説の泰斗とも言うべき本学出身の江戸川乱歩の短編『ある死刑囚が教誨師(きょうかいし)に打ち明けた話』である。

 顔から姿形、皮膚の皺の寄り方までもが同じ双子の片方が考えたあることとは…ミステリーなので、ここで底を割ってしまう事は避け、後は読者のご想像にお任せするとしよう。もっとも、原作はごく短いもので、それを膨らませて作った映画とは相当に内容が違っているようだ。

 本書には他に、短編『一人二役』『「百面相役者』と中編『ぺてん師と空気男』、長編『一寸法師』が収められている。乱歩の独特なおどろおどろしい、極彩色の泥絵の具の色彩のような世界は、どの作品にも投影されている。『怪人二十面相』などの少年向きの小説とは全く趣を異にした作品集である。全体的に、いささかの古めかしさは拭えないものの、現在のホラーや推理小説とは一味違った味を持っていることは事実だ。

 夜中に土蔵の中で、蝋燭の灯りを頼りに小説を紡ぎ出すという伝説まで残された推理小説界の巨人・江戸川乱歩。表題作の『双生児』は大正十三年、まだアマチュア作家だった時代に発表された作品である。乱歩自らが後に告白している「変身願望」が、この作品の大きなテーマになっているようだ。

 多くの人々が「もしも…」という形で心の中に潜在的に持っているであろう変身願望を、小説の形で具現した乱歩。その世界を擬似体験できる一冊。

(よ)


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 第882号 Oct.20,1999


『学校で教えない 職人の仕事』 (株)エディト・編 竹村出版:本体1500円

 終身雇用制や学歴社会が崩壊しつつある昨今、「職人」という存在がやけに注目されているように感じる。書店の一角にも「職人」という文字の入った本がずらり。そして、しばし眺めていると、それらを手に取る人のなんと多いことか。

 なぜ、今の時代に職人が受けるのか。職人とは何か。この本を読めば自ずと知れることだが、職人という存在は、職業というよりむしろ「生き方」に近い。自分に与えられた、もしくは、選び取った職業に真正面から向き合うその姿勢、そしてこだわり。例えサラリーマンであったとしても、そうした気概を持っている人は、すなわち「職人」である、と言っていいのではないだろうか。

 さて、この本では七十人にも及ぶ職人たちが描かれている。「スタッフが胸を張って『男はつらいよ』をつくっています、という映画づくりをしたい」という映画監督・山田洋次さんや「完成したものは、捨てなければならない。捨てることができない人は、拾うこともできない。そこに成長はない」という人形師・辻村ジュサブローさん。それぞれの歴史が積み重ねられた一つひとつの言葉に、ずっしりとした重みがある。

 同時に、「辛抱」の大切さを多くの職人さんが口にしている。今、その道の第一人者と呼ばれる人であっても、それは容易に手に入ったものではなく、それまでの日々の積み重ねによって獲得した境地。若い時期に何を感じ、どれだけやってきたか。私たちは現在その過程にある。今、自分は何をすべきなのか。非常に考えさせられた。

(ま)


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 第881号 Oct.14,1999


『アウシュヴィッツ収容所』 ルドルフ・ヘス著 講談社学術文庫:本体価格1300円

 人種・肌の色・思想・性別などによる差別があってはならないというのは、人間として当たり前の事である。しかし、信じられないような差別による行為が、第二次世界大戦では行われていたのだ。

 ドイツナチスによるユダヤ人の大量虐殺。二百五十万人ものユダヤ人が、「ユダヤ人だ」というだけで、何の必然性も理由もなく虐殺された、恐ろしい事実だ。たとえどんな理由があれ、殺人という行為は許されるものではないが、それがヒトラーの命令の下に、ドイツ内各地で平然と行われていたのである。

 本書は、ドイツの中でも最も凄惨を極めたアウシュヴィッツ収容所の所長を勤めていたルドルフ・ヘスが、終戦後の一九四七年に絞首刑に処せられるまでの間に残した戦争中の手記である。

 常に軍人でありたいと願っていたヘスが淡々とした筆致で綴っている内容は、我々の想像を遥かに超越したものである。人が人をこんなにも簡単に殺せるものなのだろうか。

 しかし、ヘスは、ユダヤ人虐殺に対し、反省の念を見せ、自分は「心を持った一人の人間」であると言う。とは言え、ヘスの行為は絶対に許されるものではない。本書を読んでヘスの行動に理解を示し、ヘスを許すことができるかどうかは読者の意見の分かれるところであろう。

 戦争が終結して五十四年が経つ。今も世界各地で内戦が絶えず、そのニュースには心を痛めるが、本書を読んで絶対に戦争を起こしてはならないのだ、と改めて実感した。  

     (よ)


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 第880号 Oct.7,1999


インターネットで追跡する『毒入りカレー事件』四人はなぜ死んだのか 三好万季著 文藝春秋:本体価格1143円

 和歌山毒入りカレー事件から早一年以上が経過した。今もなお容疑者の公判は続いている。今回取り上げたこの本は第六十回文藝春秋読者賞受賞作で、一人の少女が新聞記事やインターネットから収集した情報を用いて事件を分析。事件を大きくした原因について、容疑者を中心に据えた視点とは異なった新たな角度から光を当て、報道の盲点を突く革新的な論を描き上げた。

 「わたしはこの論文を読んで目が覚まされる思いがした。何百人の警察や医師やマスコミの目より、一人の少女の目のほうがはるかに澄んで的確であった」と作家・渡辺淳一さんが評するように、その調査力・分析力はとても十五歳とは思えない。「科学に関係する新聞記事を切り抜き、調査研究を深め、レポートにまとめて提出しなさい」という新宿区立戸塚第一中学校の夏休みの宿題を契機に取り組んだこの労作で、彼女はマスコミの論調の狭間から見つけ出した小さな疑問を出発点に情報収集し、やがて大きな結論を導き出す。

 私たちがこの本から教えられることは、その結論や分析過程で描き出される社会の問題点だけではない。報道を鵜呑みにせず確固たる自分の意見を持った彼女自身とそれを追求する探求心、自分の調べた内容を現実の行動として自らフォローしていくたくましい行動力、そういった現実に向き合う著者・三好万季さんの姿勢が素晴らしい。本学にはマスコミを志す学生が多数在籍するが、果たしてこのような真摯な姿勢で現実を直視することができるのだろうか。大学生として、社会人としてやらなければならないことは何か。一人の中学生の少女に、それを教えられた気がする。

(ま)


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 第879号 Sep.30,1999


『貴女への贈りもの』 村松英子著 中央書院:本体価格1600円

  知性的な女優として活躍していることで知られる村松英子が、愛娘・えりちゃんが成人したのをきっかけに、語りかけるような形式で、「生きることの知恵」を綴っている。

 本書は「装うこと」「食べること」「住まうこと」「言葉とふるまい」「よき人生のために」の五章からなっている。今や本当に数少なくなってしまった「本物のレディー」である村松英子が、どのような躾けを受け、どのように我が子をしつけたのかが分かる「子育ての歴史」でもあり、内容は多岐にわたって充実している。

 今の我々が送っている日常生活の中で、忘れてしまいがちなマナーや相手に対する思いやり、礼儀などが、実際の体験に則して押し付けがましくなく書かれており、自分の振る舞いを省みてドキッとさせられる部分も多い。「人を不愉快にさせることはしない」「自分がされて嫌だと思うことはしない」という、ごく当たり前のルールさえなかなか守られていない今の世の中にあって、筆者が母親のように読者に語りかける言葉は、日常生活一般だけではなくて、「人として生きる」上で参考になることが多い。殺伐とした事件ばかりが続き、明るい話題に欠ける昨今、こういう本に出会うと、砂に水がしみ込んで行くように心が豊かになる。

 愛娘にあてて書かれたものだけに、若い女性に対する語りかけが多いが、「若い男性」にも本書を読むことを大いに薦めたい。         

(よ)


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 第877号 Sep.16,1999


『岩波高校生セミナー11 大学に行くということ、働くということ』 樋口美雄著 岩波書店:本体価格1400円(税抜)

 「あなたはなぜ大学に進学したの?」「君は何故我が社で働きたいのかね」。後者の問いは就職活動を経験した四年生であれば、嫌と言う程聞かされた科白かもしれない。皆さんは今までに、こうした問いを受けた経験、もしくはそれについて真剣に考えたことはあるだろうか?

 その時、君はどう答えるのか。就職活動面接を控えて自己分析や企業分析をして入念に作り上げた「模範解答」…それが、真実の思いならばいい。問題なのは、実は自分の行動の目的や、やりたいことがまるで分からないままに、マニュアル的に模範的で相手が望むような言葉を口にしてしまった場合。昨今のマスコミでは、リストラされた中高年の再就職の困難さが毎日のように報じられているが、同時に若年層の離職率の高さも問題となっているのはご存じだろうか。報道では「入ってみたものの…」と会社に違和感を感じて辞めていく若者の姿が報じられているが、その影には辞められずに「つまらない」と言いつつ無気力に働いている人がいるのではないかと思わざるを得ない。

 なぜ、そうした現象が増えているのか。この本では、社会の変化やそれに伴う大学の変化を踏まえて、「大学に行くということ、働くということ」を問うている。著者は我が校の好敵手である慶應義塾大学の樋口美雄商学部教授。大学や学生を取り巻く社会の現状をグラフや実例を多用して分かりやすく説き、我々に学び方、働き方を問いかける。

 このシリーズは岩波書店主催の「夏の高校生セミナー」を本にしたものであるが、内容は大学生や社会人が読むに十分値するもの。「高校生セミナー」らしいところと言えば、平易な言葉で分かりやすく説明されている点か。明解かつ示唆に富むという点で非常に興味深いシリーズであると言えよう。

(ま)


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