No.941 2001/7/19 ビールと牛乳

社会科学部教授 坪郷實


ビールや牛乳を飲む姿でなくて残念!

 美味しいビールが飲みたい、美味しい牛乳が飲みたい。

 美味しいとは、主観的なものであるが、歴史のなせる技でもある。その飲み物に長年つき合ってきた地域ほど、そのコツを知っている。形だけ真似ても、美味しさは実現しない。さて、ドイツでは「ビール純粋法」により、麦芽とホップと水を原料とするもののみが、ビールとして販売できる。ドイツで飲むビールは、格別に美味しい。なぜだろう?

 日本では、長らくK社が「苦み走った味」こそがビールであると、圧倒的なシェアを占めてきた。この日本のビールは、先の原料に加えて、米、コンスターチなど穀類をわざわざ添加して苦みの強いビールの味を作った。しかし、今はA社が開発した新しい製法が人気を集め、競争が厳しくなり、苦くないビールだって美味いという消費者が登場し、ビールの味が多様化している。嬉しいことに、その中で、ドイツのビールと同じ成分・製法のものもいくつか発売されている。もっとも、ビールがうまいかどうかは、成分・製法よりも気候にあるという説もある。カラッとした気候がビールの美味さを倍加させる。皆でワイワイ騒ぎながら、札幌で飲む「クラシック」というビールの味は最高である。

 もう一つの例、日本で市販されている牛乳の95%は、120〜130℃の高温で滅菌される長高温殺菌牛乳である。これに対して、65℃で30分殺菌するか、72℃で15秒間殺菌するパスチャライズド牛乳がSC生協などで供給されている。後者は、ヨーロッパの酪農国の製法である。要するに何が違うかというと、乳酸菌や栄養価が破壊されずに絞り立ての生乳に近く、美味しいのである。この牛乳は、超軽量リターナブルビンを使用しているので、紙パックのように匂いがつかず、飲みやすい。ビールも缶よりビンが遙かに美味い。飲み物の味を変えないで保存性に優れているのは、何と言ってもビンである。

 美味しいことは、自然に近い味であり、安全であることと一致するし、また長期的に見れば、経済性とも一致しうるのである。美味しいものが飲みたい。

 次は、芸術学校の卯月盛夫さんにお願いします。


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No.940 2001/7/12 美女は添え物?

法学部教授 上村達男


ゼミ合宿で女子学生にワインの講釈を垂れるの図

 世にお酒の好きな人は多く、一人で升に塩なんかつけてチビリチビリ楽しむ人もいるが、何といっても白身魚の刺身かなんかにちょっと辛口でこくのある日本酒があれば天国だ。

 ただ日本酒の場合は日本酒に合わせて食事を作ることはまずないのに対して、いいワインの場合は、ワインが良すぎて食事が負けますと言って、肉でもわざわざ自己主張のないさっぱりめの料理に仕立てることもあるから、ワイン主役は大いにありうる。もっともそうしたワインは明るい会話という最高の条件の中で最も良い役を演じるのであって、一人でチビリチビリということはまずない。

 私は一本ずつチビリチビリと買ったワインのうちで良い物はワイン用冷蔵庫の上の方に置いてあるが、飲んだことのないものもある。いつか大義名分があれば空けようと思っているのだが、誕生日も還暦(大分先ですよ)も厭だ、とか言ってるうちに病気にでもなって味覚がぼけた頃、悔しさのあまりベッドのうえで一人寂しくチビリチビリ、はあるかもしれない。家内や子供に飲まれるのは悔しいから、その時は冷蔵庫の爆破装置を持って入院するなんて言って大顰蹙(ひんしゅく)を買っている。

 何かの拍子で美女とお食事、なんていうことになればあっさり提供する用意はあるのだが、何かの拍子とお食事はしょっちゅうあるのに、美女(しかも単数)という条件が充足しない。

 もちろんワインの講釈などはせず、一回も飲んだことのないワインを、紆余曲折を経てついに空けたというような素振りも一切見せない。若者の性急さにうんざりしている美女は、その奥ゆかしさにいつか気がつき、思わず気持ちがグラグラ…? 脚本はできてるんですがね。もっともそのワイン空けてみたらあまりのおいしさにうっとりして我を忘れる、ではなくて美女を忘れる状態になること必定ですから美女が気の毒かな。

 しかしそれにしてもワインといえば図書検索システムのことだと思ってる人種が早稲田には多すぎますね。何とかならないものでしょうか。

 次は畏友、坪郷實社会科学部長にバトンタッチします。


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No.939 2001/7/5 宇宙 vs 重力

理工学部教授 前田 恵一


研究室の学生が描いてくれた似顔絵です  まったく畑違いの人から「お仕事は何をされていますか」と聞かれたときには、「宇宙物理の研究をやっています」と答えることにしている。その中の「宇宙」という言葉をとらえ、興味を示す人が多いからである。「宇宙には果てがあるのですか」とか、「宇宙の始まりの前は」といったお定まりの質問がくる。場も少しは盛り上がろうというものだ。

 しかし、私の最も興味を持っていることは、本当は「宇宙」ではなく「重力」なのである。時空や重力にまつわる物理現象には高校以来の興味が絶えず、いまだにそれを生業にしている。時間の遅れや長さの縮み、光の曲がりや空間の歪み。そういった超現実的な現象が心をとらえて放さない。その重力現象がもっとも顕著に現れるのが「宇宙」という舞台ということで、心ならずも(?)「宇宙」の研究をやっているのだ。

 先の質問に正直に「重力物理をやっています」と答えようものなら、一瞬場は凍りつき、「難しいことをやっておられるのですね」と一言コメントされた後、すぐにも話題を移されてしまう。さらに「ご趣味は何ですか?」などと聞かれた場合は最悪である。「趣味も物理です」と答えるしかないからだ。

 「前田先生はいつも物理のことばかり考えておられるのですか?何か他に趣味はないのですか?」と研究室の女子学生に聞かれたことがある。趣味はもちろん持っている。推理小説もよく読むし、上方落語も好きだ。また夕日の写真を撮るのも楽しんでいる。

 しかし、最も熱中するのは何かと聞かれれば、やっぱり「重力の研究」と答える。自然が持つ美しい法則を人類が試行錯誤を重ねて暴いていく。こんな面白い謎解きが他にあろうか…。でも、自分の趣味に一つの共通点があるのに思い当たる(何でも法則を見つけようとするのは学者の悪い癖だが)。みんな「落ちる」ことに関係する。

 そういえば40年以上応援している我が阪神タイガースも「落ちた」ままなかなか上がってこない。

 次回は法学部の上村達男先生にバトンを渡します。


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No.938 2001/6/28 検査のプロ

教育学部教授 稲葉 敏夫


万里の長城も曲がっています  取っておきの話ではない。早いとこ吐き出してしまうにこしたことはない話。十数年前、健康診断で腸にポリープ(できもの)が見つかった。腸のそれは放置しておくとガンになる可能性が高い。内視鏡で調べ、必要とあれば除去する。紹介された病院の外科医は、有能であったが、如何せん荒っぽかった。通常何回かに分けて行う検査、処置を一日で済ませてしまった。言うことも荒っぽい。ガンがあるかもしれんな。幸い組織検査の結果は良性であった。

 以後、少なくとも年に一回は検査を受けている。人によれば検査で何ら苦痛を感じない。不幸にも、僕の腸は曲がり具合がすさまじく、性格同様、激しくひねくれているらしく、大いなる痛みに苦しむ。何人もの医者が君のは痛いと、折り紙つき。こうなると医者の技量の良し悪しが極めて大事である。

 名の通ったさる医科大学の病院も紹介された。検査の前、看護婦さん曰く、痛いようでしたらあまり我慢しないで、失神することもあるから。検査で気絶? 今日も痛いだろうけど我慢をするか。始まってほどなく、脂汗が出てきた。医師もうまく検査できないことに焦り、冷や汗から脂汗に変わってきた。医者も患者も脂汗、こうなったら検査もへちまもない。二度とそこには行かない。

 ある時、またしても七転八倒の苦しみを味わうことになり、たまたま医師の姓が、日頃尊敬してやまない僕の学部の先生と同じだと言うだけの理由で、翌日「先生の姓は由緒あるそれですよね、あの医師は先生の親戚にちがいない。この痛みをどうしてくれるのですか」と見当違いのことを言ったりもした。

 十数年も受け続けると、検査のプロ、検査を受けるプロとなるらしい。技術未熟な医師、慢心している医師には、僕も画像を見ながら、ほらほら先生あそこにもあるじゃないですか、ちゃんと取ってくださいよ。この手合い、医師から見ればはなはだ鼻持ちならぬ。とは言え、こちとらも命がかかっていますからね。

 次号は、理工学部・前田恵一先生にバトンタッチします。


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No.937 2001/6/21 たびたび旅

社会科学部教授 輪湖 博


 カニ族、をご存知だろうか?団塊世代の青春時代、肩幅を大きくはみ出した横長リュックにキャラバンシューズという出で立ちの若者が、夏休みともなるとあちこちの観光地にあふれた。リュックが邪魔で、鉄道の改札口を通るとき横向きに歩く姿からカニ族と呼ばれた。

 私も大学生時代、そのブームにのって、長期の休みごとに十日くらいの一人旅に出た。一人旅といっても、ユースホステル(YH)を利用していたので、そこで知り合った人たちと行動をともにすることも多かった。旅の行程も、他のホステラーから情報を得ては翌日の予定を決め、YHの予約を取るという場当たり的なもので、その気ままさが魅力であった。日本国内かなりの地域をまわったと思う。ただ、カニ族のメッカ北海道だけは、元来のへそ曲がりからか、当時は行っていない。

 大学院に進んでからは、学会出張のついでに足を伸ばすような短い旅が多くなった。季節はずれの観光地を訪れることも多く、十一月初めに訪れた隠岐の島も、YHの宿泊者は私一人というそんな季節であった。島内を観光し、昼食を食べようとはいった食堂にも客は一人もおらず、店のおばさんたちも自分たちの昼ご飯の準備に忙しそうであった。百五十円のうどんを注文し、食べていると、季節はずれの観光客である私にもの珍しそうに話しかけてきた。そして、ちょうど松茸ご飯を炊いたから一緒に食べないかと勧められ、お相伴に与ったことがある。そんな他愛ない出来事をふと思い出してはほくそ笑む、それが旅の楽しみか。

 それなりのこだわりを持ってやった趣味と言えるものがあるとすれば、青春時代のこうした旅だけか。今や趣味の研究、いや、趣味の域を出ない研究のための出張旅行のみ。無粋な旅人に落ちぶれてしまった。

 そういえば、あの頃、実家が信州であったため、夏休みは毎年、誰かしら大学の友人が我が家を訪れ、彼らのための観光案内もしていた。中には私の旅行中の留守宅を訪れ、旅館代わりに泊まっていった友人もいた。私に、このリレーエッセイのバトンを渡した匂坂先生も(彼は物理学科の同期生)、そんな一人であった。

 というところで、教育学部の稲葉敏夫先生にバトンを渡します。


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No.936 2001/6/14 ことば

国際情報通信研究センター教授 匂坂芳典


 趣味が嵩じて仕事になったか、年とともに仕事に毒されて無趣味となったのかは判別し難くなっているが、関心事は「ことば」。日本語に関する文庫本が爆発的に売れ、本学の日本語教育コースへの入学希望者数が激増し、会社でも英語ができないと偉くなれないとか、英語公用語論等が見識のあるとされている方々の間で真剣に論じられるなど、昨今は巷でも「ことば」に関する関心度は高い。この反面、「ことば」の科学的研究への取り組み体制は未だ不十分であり、その重要性も一般にどれだけ認識されているか甚だ疑問である。早稲田の教員になって初めて、本学にはどの学部にも言語学科がないことに気付かされた。「ことば」のしくみ、獲得のしかけの科学的な解明、文化的背景の伝達をも遠い将来の視野にいれた自動音声翻訳、面白い「ことば」の授業、円滑な意思疎通を図るために必要な国語教育の改革に微力を尽くしたい。

 外国に出ると日本が見えてくるのと同様に、外国語を勉強すると日本語が見えてくる。この四月からは癒し系の言語、タイ語を受講中。タイの音声言語研究者と一緒にタイ語の音声認識・合成、日泰音声翻訳などを進めるために必要性に迫られたこともあるが、インドシナ半島の歴史や人々の生活をより深く知りたくなった。初学者にとってタイ文字の学習は大きな壁であるが、一文字一文字の習得は、西欧言語や中国語の学習では十分味わえない「文字が読めて書けるようになる喜び」を感じさせてくれる。十年一言語を提唱される方もいられるように、言語習得は時間がかかる。私がタイ語をマスターするのが先か、機械で用が足りる日が来るのが先か、競争である。

 写真は本年五月、タイの研究者(NECTEC)と一緒に。次は社会科学部の輪湖博先生にバトンタッチ。


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No.935 2001/6/7 フートン

法学部助教授 近藤眞理子


チェコの田舎の村で

   去年、スコットランドから十五年ぶりに日本に帰ってきたとき、家財道具は殆ど置いてきてしまったが、どうしてもと思って持ってきたものは、スコットランド産の布団である。正確にいうと布団ベッドで、木枠でできたベッドの上に、普通の布団の倍以上の厚さのぶ厚い布団を載せたものを想像していただけると近いと思う。なぜわざわざスコットランドくんだりから布団を持ってきたかというと、単純にとても粋でおシャレでカッコ良かったからである。

 布団(ベッド)は最近、世界中でファッション・アイテムの一つになりつつあるようで、斬新なデザインが売り物の家具屋などには大抵置いてある。因みに英語圏では「フ」にアクセントを置いて「フートン」位に発音する。正統的に平板アクセントで「ふとん」といっても通じない。健康器具の一面も備えていて、売り文句は大抵、慢性腰痛の私が営業妨害をしたくなる「腰痛持ちの日本人に会ったことがありますか」であるが、実際に愛用してみると、さすが布団、確かに普通のマットレスより硬いし、揺れが響かないし、背中には良さそうだ。

 当然、質もデザインもピンきりだが、私が気に入っているエジンバラの布団屋さんの製品はとても洗練されたデザインで、材質も機能も一級品である。唯一気に入らないのは、お店の名前で、なんと「マリコサン」という。「マリコ」ではなく「マリコサン」というところがミソである。新聞等の広告はまだしも、「MARIKO SAN」と車体に大きく宣伝が書かれた市営バスを見ると、なんとなく気恥ずかしい。時々「まりこ」というのは「寝具」とか「睡眠」とか言う意味かと聞いてくるフトドキ者もいる。でもまあちゃんとしたいいお店だから名誉毀損で訴えるのは保留にしてある。

 その「マリコサン」で布団を買ったとき、支払いの段になって名前を告げたら、とってもウケて話が弾んだが、一銭もまけてはもらえなかった。もし興味のある方は、 http://www.marikosan.co.uk にアクセスしてみてください。

 次号は、国際情報通信研究センターの匂坂芳典先生にバトンタッチ!


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No.934 2001/5/31 ある日の中野ゼミ

教育学部教授 中野美知子


学生たちとハワイ旅行(左から3番目が筆者)

   今日は午前十一時にようやく研究室に来た。月曜日から木曜日まで夜は十時ごろまで授業や仕事があるからだ。そのあと、ゼミの学生たちとお好み焼きを食べながら一杯やって帰る。家に帰れば、寝るばかり。なぜ、こんなに「おやじのように」忙しくなったか?

 これは、文学部の平埜先生、法学部の勝方先生、理工学部の安吉先生、政経学部の飯野先生、人科の森本先生、勿論、教育学部の同僚たちと異文化交流の授業や遠隔授業を二年前から開始し、その上、今年の四月から開始された(国際コミュニケーション)テーマカレッジという新しい試みにも参加しているからである。何でも一生懸命することが好きな性格のため、学生のためになることなら、もうこれ以上できないくらいに努力すべきだと考えていたので、率先してやってきた。

 しかし、週十二コマも授業があるので、最近は何とかやっているといえる程度である。大学院生がとても協力してくれること、同僚がサポートしてくれるので、なんとかやっているにすぎない。研究室に入れば留守電に二十本ぐらいの連絡が入っている。メールは一日に七十本ぐらいくるし、来客も多い。学生諸君も散らかった研究室によく訪ねてくる。

 元気をつけて、四月から新たな気持ちで張り切って授業ができるようにと、三月にスキーに行ったら靭帯が切れてしまった。でも、こういうときに早稲田の良さが実感できる。

 事務局の方々や学部を超えた同僚の友情、学生諸君の進取の気性とエネルギーに後押しされて再び「ぐんぐん」押し出され、やりだし始めている。平埜先生が前号で書いているように、今、早稲田大学は国際感覚と世界語としての英語やコンピュータ・リテラシーを身に付け、世の中に飛び立とうという学生で盛り上がってきているような感じがしてならない。そのために私は、今日も研究室に足を運ぶ。

 次号は、法学部の近藤眞理子先生にバトンタッチいたします。


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No.933 2001/5/24 発信型の英語運用能力の向上を求めて

文学部教授 平埜雅久


平埜雅久教授

 この三年間、学部の壁を越えて、志を同じくする人達とともに異文化交流を活用した英語教育のあり方をあれこれ模索している。グローバリゼーション、IT革命といった世界規模の動きが、国際共通語である英語の必要性を否応なしに高めた結果、我が国においても、高度な英語運用能力を有する人材を本気で育成しようという声が高まっているからである。

 こうした気運のなかで、発信型の運用能力が英語を読み解く能力に加え強く求められている。グローバリゼーション、高度情報通信技術の発達によって、今では、この日本の社会にいながらにして、海外の人達と英語で交わる機会が以前と比べ格段に増えている。そうした現状を前に、英語で発信する能力の向上なくして日本のプレゼンスは危ういと考える人達も確実に増えているのである。

 「国のプレゼンスが危うい」とは、いささかオーバーに聞こえるかも知れない。しかしながら、英語に対するこうした強い意識が国の言語政策に明確に反映され、しっかりと実行されている国が、実は、思いの外多いのである。身近なところで言うと、お隣の国、韓国、中国、さらには、かつてフランスの植民地であった関係から第二言語はフランス語が選択されているはずのベトナム、カンボジアしかり、発信型の英語教育にかける意気込みには目を見張るものがある。フィリピンやシンガポール、マレーシア、ブルネイなどは、それぞれ、アメリカ、イギリスの植民地であったことから、植民地政策の一環として英語教育が施され、その結果として、英語がこうした多民族国家におけるコミュニケーションの手段として一役買ってきたのであるが、こうした国々にあっても、現在の英語教育の必要性はむしろ、グローバリゼーションと高度情報通信技術が主導する国際社会の中で自らのプレゼンスを高めようとする意識から来ているという。

 この三年間、発信型の英語教育の充実をもとめて、アジアの大学をいくつも訪れ、英語教育に携わる人達と英語教育のあり方を話し合ってきたが、その都度、国際社会における自国のプレゼンスをしっかりと意識し教育に取り組んでいる彼らの姿勢に、教育のなんたるかを見る思いがした。

 そうしたアジアの指導者たちと協力しながら、私達は今、Cross-cultural distance learning projectいう異文化交流プログラムを推進している。三百人を越える早稲田の学生が、韓国、フィリピン、マレーシアをはじめとしたアジアのいろいろな国の学生とインターネットをリアルタイムで活用しながら相互理解をめざした異文化交流をキャンパスで展開している。使用言語はもちろん英語である。

 この先は、良きパートナーである教育学部の中野美知子先生にバトンをお渡ししてお願いしたい。


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No.932 2001/5/17 歩け歩け

商学部教授 神保尚武


スリムになった私

 五年半程前に胃の全摘手術というピンチに見舞われました。麻酔から覚めた時には、夢見心地でしたが、病室に戻ると、すぐにリハビリが開始されました。手術の翌日には病室で数歩歩くよう指示されました。二日後には廊下まで。三日後にはトイレまで。毎日少しずつ距離が伸びてゆきました。病院内で朝晩を中心に歩き回りました。

 退院してからは、公園や運動場や湖に出かけました。歩く距離が伸びてゆくのがとても嬉しい経験となりました。とにかくリハビリのためには歩かなければならないということがよく分かりました。

 順調に回復したのですが、三度も腸閉塞を起こし、二年前に再開腹ということになり、リハビリを一からやり直しました。小腸の閉塞した部分を切除したおかげで、現在はすっかり体力を回復しました。

 最初の手術前の体重と比べますと、十`以上やせましたが、体力はほぼもどったように思います。手術前は肥満体でしたので、胃の全摘は究極のダイエットの役割を果たしたのかもしれません。

 相変わらずよく歩いています。自宅の近くの大塩湖という人造湖の周囲が四`弱で、かっこうの散歩コースです。四季折々の風景も堪能できます。大学に出勤するときは 西武線の下落合駅前から風雨の強い日以外はよく歩きます。新目白通りで半時間くらいです。リハビリでよく歩くようになったのですが、発見したのはけっこう一人の時間を持つことができ、考えることができるということでした。体力の回復だけでなく、知力の回復にも役立っているのかもしれません。

 歩くことの延長としてゴルフやスキーをとらえなおしました。スコアにこだわらないでゆったりとした気分でゴルフを楽しめるようになりました。スキーの基本も歩く動作だということがよく分かるようになりました。右足と左足への交互の体重移動がもっとも重要なのだということを会得できたように思います。

 次は文学部の平埜雅久先生にお願いします。


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No.931 2001/5/10 音を調和させる楽しみ

教育学部教授 田辺 洋二


 専門にしている英語も趣味の一部なのだが、負けず劣らずに好きなのはピアノを弾くことである。といっても、一人でがんがん弾きまくるのではなく、みんなと一緒に音を合わせるピアノが好きで、アンサンブルとか伴奏を弾くのが無上に楽しい。

 そんなわけで、高校時代は歌の伴奏とアンサンブルに明け暮れた。シューベルトの好きな友人がいて、『世界名歌百曲集』はもちろん、レコードの真似をしながら「魔王」や「鱒」が入っている『雑曲集』、『水車小屋の乙女』『冬の旅』『白鳥の歌』といった歌曲集を手当たり次第にやった。早稲田に入ってからも、早混に入り、歌ったり弾いたりで四年間が過ぎた。ここでもやはり、集まって作る音の世界を楽しんでいたように思う。

 終戦後の中学生時代はバンド演奏が流行りで、私達も例にもれず、タンゴバンドを結成したり、ハワイアンで楽しんだりした。担任の先生からは頽廃的な音楽など止めろと諭されたものだ。思えば固い時代であった。

 昭和二十五年春、新学制発足により旧制中学校が新制高校に統合され、高校三年で初めて男女共学を経験した結果、私たちは混声合唱で歌い、私は女生徒の歌う歌曲のピアノ伴奏もすることになった。私の中学時代の音楽活動を見ていた者達は「あの田辺がクラシックの伴奏を弾くんだって?」と眉を顰めていたそうだ。しかし、私自身の中では、みんなと一緒に音を作るという意味では大した違いではなかったのである。

 というわけで、今でもピアノは弾いている。たまに同じ早混の部員であった妻が私のピアノに歌を付けたりする。曲はクラシックからシャンソン、演歌までなんでもいい。私の書架には百二十巻に及ぶ音楽全集から海賊版のピアノ楽譜、また童謡曲集などたいていのものは揃っている。しかし最近は、流石に学生時代とは違い、英語の本の方が何倍も多くなってしまったことは確かである。

50年かけて集めた楽譜たちと

 次は商学部の神保尚武先生にバトンタッチいたします。


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No.930 2001/4/26 相撲部屋での外国人力士とのふれあい

日本語研究教育センター 助教授 宮崎 里司


若松部屋でモンゴル出身の朝青龍と

 趣味といっても、オーストラリアでの教員時代に、少々社交ダンスをかじったぐらいのものであるが、現在は、研究とはっきり色分けしにくい趣味に凝っている。私の最近の研究テーマは、効果的な外国語学習に対するこれまでの考え方を大きく変える可能性を秘めた、外国人力士の日本語「スピード出世」の解明である。しかしながら、その研究を通して、ちゃっかり、相撲部屋での稽古見物や外国人力士との会話を楽しんでおり、それが私の趣味になりつつある。国技館で見る相撲も迫力があるが、相撲部屋での力士たちの激しいぶつかり稽古も、本場所以上に緊張感がみなぎっている。稽古見学を通して、兄弟子が指導中時折見せる厳しい表情のなかにも、弟子思いのやさしさが伺われることを肌で感じた。

 これまで、旭天鵬、朝青龍(モンゴル出身)や星誕期(アルゼンチン出身)、国東(ブラジル出身)をはじめとした幾人かの外国人力士とインタビューをしたが、彼らのユーモアあふれる話術のセンスのせいか、これが実に楽しい。時には、部屋でちゃんこをご馳走になりながらの相撲談義になることもある。さらに、運がよければ、親方やおかみさんをはじめ、呼び出しや行司、それに髷を結う床山といった、ふだんテレビではなかなか拝見できない方々とご一緒できることもある。こうしたつきっきりで面倒を見てくれる「24時間体制の日本語教師達」のおかげで、外国人力士は驚くほど早く日本語をモノにするわけであるが、我々語学教師が思いもよらない方法で習得するその過程は、驚きの連続であった。手前味噌になるが、詳しくは、拙著『外国人力士はなぜ日本語がうまいのか』(日本語学研究所)をご覧あれ。

 日本相撲協会所属力士のうち、外国人力士は現在30名に上る。彼らの下積み時代から応援しつづけ、熱心な隠れ「タニマチ」を自負する私にとっては、将来の曙や武蔵丸を目指す者が現れないかと、大いに期待している。

 次は、教育学部の田辺洋二先生にお願いします。


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No.929 2001/4/19 謎解きの楽しさ―クロスワードパズル

法学部教授 エイドリアン ピニングトン


とっておきの愛猫(ペット)

 最近再び楽しむようになった趣味に、'The Times Crossword'がある。クロスワードパズルにも色々あるが、このタイムズ紙のものは「暗号解読型」で、ヒントとなる「鍵」が複雑な謎に満ちており、答え自体も聖書や神話の登場人物から難解な言葉にまで及んで、英国では最も権威のあるクロスワードになっている。僕の祖父は生前、毎日朝食前にタイムズ・クロスワードを完成させるのが日課だったが、今思うと如何に祖父が聡明であったか偲ばれる。

 僕が最初にクロスワードをやりだしたのは学生時代だ。鍵のうちの一語は答えと同じ意味で、他の部分は答えのヒント。テクニックを身に付けてしまうと、解読は案外簡単になった。祖父のスピードには追いつけなかったが、かなり良い線までいっていた。

 それが来日して、タイムズ紙があまりにも高額だったため(20年前、一部800円もした)中断を余儀なくされていたところ、インターネットのお蔭でタイムズ紙もクロスワードパズルも毎日無料で入手できるようになり、今では、毎朝パズルをプリントアウトして持ち歩いているという次第。

 クロスワードの醍醐味は、鍵がいかに巧妙に作られているかにある。一例を挙げよう。6文字の単語の鍵として、'Foreign C-in-C portrayed as pig in tabloid'(大衆紙で豚になぞらえられた外国の総司令官)というのがあった。答えは'Shogun'(将軍)である。種を明かすとこうだ。英国で最も有名な大衆紙は'The Sun'。'pig'の別名は'hog'。そこで'hog'を'sun'の中に嵌め込む(-in-)と、's-hog-un'、つまり、ショーグン。もちろん、将軍がForeign Commander-in-Chief(外国の総司令官)であることは言うまでもない。でも、この鍵が心憎いのは、The Sun紙が、外国の元首(日本も例外ではない)をこき下ろすことで悪名高いからだ。

 いかがだろう。我も、と思われん方は、http://www.thetimes.co.uk/section/0,,211,00.htmlにアクセスされたい。

 僕のとっておきの時間の過ごし方は、喫茶店に入り、アイスコーヒーを注文して、クロスワードを解くこと。大学の近辺で僕のこんな姿を目にしている人も案外いるかもしれない。

 次は、日本語研究教育センターの宮崎里司先生にバトンタッチ。


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No.928 2001/4/12 危ない話

文学部助教授 小田島恒志


とっておきの場所

 英米の戯曲の翻訳をしているせいか、普段から「言葉」に妙なこだわりをもってしまう。初めて「セクシャル・ハラスメント・ガイドライン」という言葉を聞いたときも、どうして「対策」とか「防止」とかいう言葉が入っていないのだろう、「正しいセクハラのやり方を教えます」ってわけじゃあるまいし、などと余計な感想を抱いてしまった。  芝居のセリフに限らず、いい「セリフ」は翻訳しにくい。ロンドンで、バスの車掌に「マーブル・アーチ通りますか?」と聞いたら、「アイ・ホープ・ソー」という返事が返ってきた。これは訳せない。タイミングといい、表情といい、絶妙だった。「そう願いたいね」「だといいんだけど」「うまくいけば」「たぶんね」など、いろいろ訳を考えてみたが、いまだにしっくりこない。

 逆に、日本語から英語に訳すのが難しい(と思われる)セリフもある。夫婦揃っての留学を終えて帰国したとき、同じゼミの後輩の女性も同じ時期に帰国したので、ゼミの先輩が飲み会を開いてくれた。その席で「ぼくらは行きも帰りもヴァージン・アトランティック航空でした」と言うと、後輩の女性がこう言った。「わたしも行きはヴァージンだったんですけど…」すると、すかさず先輩が「あっ、そう、帰りは違ったの!?」と、大きな声で突っ込んだ。これは英語には訳せない。述語動詞が曖昧になる日本語ならではの「セリフ」だった。このときも、彼女のタイミングといい、表情といい、絶妙だった、などと言ったら、それこそ「セクハラ」になってしまう(言っちゃったけど)。やっぱり「ガイドライン」は必要だ。そうなんですよ、先輩!

 さて、次回は英語も日本語もバッチリの法学部A・J・ピニングトン先生にお願いします。


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No.927 2001/4/5 コリン・デクスターとの出会い

政治経済学部助教授 本野英一


コリン・デクスター氏

 推理小説の本家、イギリスで近年最も人気の高い名探偵は、オックスフォード在住の作家、コリン・デクスターの生み出したモース主任警部である。モースはオックスフォード大学セント・ジョンズ学寮中退。地元テームズ・ヴァレー警察署に勤め、クラシック音楽、ビールとクロスワードパズルを好む、非常に個性的な人物である。彼は年上の部下、ルイス部長刑事と二人で数々の難事件を解決する。二人の活躍を描いた作品とそのテレビ・シリーズのおかげで、この由緒ある大学都市は「世界で一番危険な街」としても有名になった。

 私がコリン・デクスターの小説を知ったのは、推理小説ファンの家内の紹介による。推理小説など全く縁がなかったが、このモース主任警部シリーズにだけは夢中になった。その最大の理由は、作品中に描かれるモースの捜査方法が歴史学者の研究方法そっくりだったからである。考えてみればそれも当然で、犯罪捜査とは歴史研究の一形態に過ぎない。

 一九九六年から九七年にかけての二度目のオックスフォード滞在中、私はこの人気作家の馨咳に接することが出来た。私が滞在していたセント・アントニーズ学寮で行なわれた労働党の選挙運動に彼が招かれて講演を行ったのである。多くのファン同様、手持ちの彼の作品を持参してサインをねだった。作者自身も自作の日本語版を見るのは初めてだそうで、大いに珍しがられ、「あなたは日本人なのにイギリス労働党員なのですか」と尋ねられ、「いえ、ただのデクスター党員です」と答えて笑われた。

 モース主任警部シリーズ中、私のお気に入りは『オックスフォード運河の殺人』である。これは入院中のモースが病室で読んだ、郷土史家の著書に記された一九世紀の殺人事件の真相を解明する筋立ての作品である。そこには、歴史研究を志す者ならば必ず体得しておかねばならない史料批判の方法が描かれている。いつか講義の中で、この作品を教材に取り上げてみたいと考えている。

 次は第一文学部の小田島恒志先生にバトンタッチ致します。


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