第907号 Jul.6,2000


自ら考え、知識を創造していく

評者・清水 孝(商学部助教授)

『知識創造の経営−日本企業のエンピステモロジー−』 野中郁次郎著 日本経済新聞社:本体価格2524円

 最近はやりのナレッジ・マネジメントの原点ともいうべき著作である。

 従来の経営に関する研究では、人間は情報を処理する者と考えられ、いかに効率的に情報を処理するかという点が研究対象だった。また、企業が刻々と変化していく経営環境に対応するという観点から考えれば、受動的な対応、すなわち、「環境がこう変わったからこのように自社の行動も変化させていこう」という方法にとどまっていた。しかし、現代の企業に必要なのは、環境変化に対応し、そのために必要な情報を処理するのではなく、著者の言によれば「組織は各成員の創造性に注目し人間を知識・情報創造者としてみなし、組織的知識の創造過程を通じて環境に対し積極的な提案をして」いかなければならない。われわれは、企業人であれ大学に籍を置くのであれ、企業や大学をとりまく環境の変化に対して、獅ヘ強調している。

 本書は、知識が創造されるプロセスを暗黙知と形式知という概念を使用して説明している。さらに、企業が、知識創造をいかに触発させるか、換言すればいかにすれば知識が生まれやすい状況になるのか、といった点について企業のケースを含めて詳細な議論を行っている。

 著者の本書を含む業績は、国内のみならず、すでに海外でも広く知られている。知識創造とこれをマネジメントするための枠組みについて、多くの示唆を与えてくれることになるだろう。

しみず・たかし

1959年生まれ。1995年4月嘱任。「企業管理会計研究」「上級簿記」など担当。


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 第906号 Jun.29,2000


金融ビジネスに興味を持つ諸君に

評者・葛山 康典(社会科学部助教授)

『金融工学の挑戦−テクノコマース化するビジネス−』 今野 浩著 中央公論新社(中公新書):定価700円

 今日の金融ビジネスにとって、オプションやスワップといったデリバティブ(金融派生商品)の評価技法や、ポートフォリオ選択理論といった資産運用理論は欠くことのできないものとなっています。日本は金融技術において、欧米の後塵を拝してきましたが、ここ数年でその差は大きく縮まったといわれています。

 金融技術を理解するためには、確率・統計、最適化、数値計算など様々な知識が必要となります。そのため、少し取っつきにくい分野であるかもしれません。

 本書は、最適化の専門家の書ですが、縦書きで、金融技術について、著者の経験談を交え、独特の語り口でやさしく紹介した読み物でもあります。資産運用理論、金利の変動に対する取組み、金融ビジネス特許から、不動産の証券化まで幅広い内容がカバーされています。各章は、トピックス毎に構成されており、興味がもてる章だけを読むこともできます。

 文科系のみなさんは、工学という言葉に少し躊躇するかもしれません。けれども、このネーミングは実社会で使えるということを意味しているだけです。

 金融工学が活躍する場は、あくまでもビジネスの一分野ですから、経済学や法律の知識が活躍します。著者の言うとおり、まさに、文理融合が求められる分野なのです。

 金融工学という言葉は一見難解そうです。また、デリバティブによる巨額損失事件事件もありました。最近では、「金融工学=悪魔論」まで登場しています。こういった声に耳を傾けることも良いかもしれません。けれども、一度、「天使」を手にとって眺めてみてはいかがでしょうか。

かつらやま・やすのり

1965年生まれ。1996年4月嘱任。「企業財務論」「證券論」担当。


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 第905号 Jun.22,2000


専門外にもわかる都市計画の挫折

評者・秋山 靖浩(法学部専任講師)

『東京の都市計画』 超沢明著 岩波書店:本体価格660円

 東京に数カ月あるいは数年・数十年と住んでいる人間にとって、この都市に対する印象はさまざまであろう。その印象はもしかすると、東京の都市計画、それも関東大震災後の帝都復興事業から東京オリンピック関連事業までの約四十年間に由来しているのかもしれない。

 本書は、この時期における都市計画の先進的な思想とそれに基づく事業、そしてその挫折の過程を丹念に描いている。しかも、これは決して過去の問題ではなく、今日の東京の姿にもそのまま反映しているという。

 実例がふんだんに取り上げられており、私のような文系人間にも実感がわく。一例を挙げよう。関東大震災後の復興や郊外住宅地の開発に際して、道路や公園を整備しつつ整然とした街並みを作り出す事業(区画整理)が行われた。ところが、この時期に区画整理が実施されなかった地区もあった。これらの地区は今日、防災上の危険地域とされ、あるいは無秩序な街並みと化してしまった。具体的な地区名を挙げることは控えるが、このような地区に住んでいる学生も(私も?)少なくないようである。本書をきっかけにして、自分の住んでいる地区や日頃行き来する地区を、街作りとか都市計画といった視点から再度見つめ直してみたらどうだろうか。

 最近、規制緩和などの動きによって、東京もあわただしく変貌を遂げようとしている。そういう今だからこそ、過去の歴史をもう一度振り返り、そこから学び、冷静かつ客観的な視点から東京の今後を考えていく必要があろう。本書にあるように、「都市計画の父」といわれる後藤新平が訴えていたのは、まさにこのことであった。

あきやま・やすひろ

1972年生まれ。2000年4月嘱任。専門領域「民法」。


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 第904号 Jun.15,2000


ダイオキシン問題にどう対応すべきか

評者・栗山 浩一(政治経済学部専任講師)

『環境政策論』 岡 敏弘著 岩波書店:定価2200円

 「ダイオキシン」という言葉を皆さんも聞いたことがあると思います。昨年、あるテレビ番組が、所沢産の葉もの野菜に含まれているダイオキシンの濃度が、全国平均よりも十倍高いと報道しました。実はこの報道は誤りでしたが、これをきっかけにダイオキシンに対する関心が全国的に広がったのです。ダイオキシンは発ガン性物質で、汚染された食品を多量にとると、ガンになる危険性が指摘されています。しかし、ダイオキシンが危険であったとしても、ダイオキシンをゼロにすることは困難です。ダイオキシンを削減するには多額のコストが必要です。では、ダイオキシンをどこまで減らせばいいのでしょうか?

 本書は、この問いに対して経済学の立場から分析を行っています。ダイオキシン対策で人の命を守ることと、それに必要なコストとを比較することで、ダイオキシン対策の評価を行っています。その結論は、現在行われているダイオキシン対策は、コストが高すぎて、対策の効果よりもコストが上回っている、というものでした。分かりやすく言えば、今のダイオキシン対策は赤字だったのです。

 皆さんは、この結論に対してどう思いますか。赤字だから対策を中止すべきでしょうか。それともコストに関係なく対策を実施すべきでしょうか。様々な意見があると思いますが、いずれにしても重要なことは、ダイオキシン問題を冷静にデータで分析する点です。ヒステリックにダイオキシン反対を主張するのではなく、データに基づいてその問題点を明らかにするという視点。これが本書の最大の魅力であり、ぜひとも皆さんに本書を読んでいただきたい理由なのです。

くりやま・こういち

1967年生まれ。1999年4月嘱任。「環境経済学」担当。


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 第903号 Jun.8,2000


いかに他者とつながりあうか

評者・坂内 夏子(教育学部専任講師)

『現代<子ども>暴力論』(増補版) 芹沢俊介著 春秋社:本体価格2200円

 最近少年事件が相次ぎ新聞やテレビでもセンセーショナルな報道が繰り広げられた。きっかけは五月の連休中に起きた愛知県豊川市の女性刺殺事件、西鉄バスジャック事件であろう。被疑者がともに「十七歳少年」であったことから「十七歳」をキーワードに「凶悪化する」少年、事件の「残虐さ」が強調された。

 衆議院における「少年法改正案」の審議は、刑事罰の対象年齢を現在の十六歳以上から十四歳以上に引き下げるかを焦点とした。これまで被害者側の痛みがなおざりにされてきたゆえに当然の向きであるが、事件は社会が抱える問題、そうした社会を作ってきた大人の責任でもある。従って加害者少年の責任を問い、彼らを厳罰に処する、厳罰化の名のもとに少年を封じ込めるという声が一方的に強まるのには危機感をおぼえる。

 事件を起こした子どもは大人や社会の助けを必要としながらも、それを得られなかった。彼らが「加害行為」に至る過程や背景の把握こそが求められる。

 本書は、子どもたちは「内圧する怒りをコントロールできず、殺意のかたちをとるほど、イラつきムカついているのか」を追及している。芹沢によれば、「根源的に幾重にもわたって受身である」(=イノセンス)を本質とする子どもは「自分には責任がない」、「このままのかたちでは現実を引き受けられない」というメッセージを発している、これを「『自分には責任がある』というメッセージに、自分の手で『書き換える』」過程でイノセンスを表出する、これを大人が肯定的に受けとめることができるかが鍵である。「新自由主義」や「自己責任原則」の流れが加速する中でいかに他者とつながり責任を分かち合う社会を構築するか考えさせられる一冊である。

さかうち・なつこ

2000年4月嘱任。教育学部「社会教育」「生涯教育」を担当。


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 第902号 Jun.1,2000


「大学の授業や教員に失望したら」読む本

評者・沖 清豪(文学部専任講師)

『アメリカの大学』 潮木 守一著 講談社学術文庫:定価900円

 入学早々に早稲田大学の授業や教師に失望した(元)新入生に、大学改革に関心を有する方に、一読を薦めたい一冊です。

 本書は一九世紀におけるアメリカ高等教育改革、その失敗を描いたものですが、単なる大学史の教科書ではありません。

 まず、教育学の専門書らしからず大変平易な文章で読みやすくできている点、難解な語彙を用いずに必要な情報を伝える文体を味わうことができます。

 次に、アメリカの大学が現在の優れた制度に到達するまでに、どのような改革、失敗、不首尾を経たかについて描いている点、一八〇〇年代のアメリカ高等教育における斬新な改革とその帰結が、日本において現在進められている大学改革の行きつく先を暗示している点に注目してください。

 そして、適切な類型化によって問題の核心を把握してください。私たちはこの本の中で次のような教師・学生・大学を見ることになります。学生がどれだけ課題を忠実に学習し、暗記してきたかを教室内で確認するだけの伝統的なカレッジの教師たち。早すぎた改革を進め挫折したハーバードのティクナー。自由選択制を導入したエリオットと、それにもかかわらず勉強よりも友人関係の充実を目指した学生たち。研究に専念できる自由な雰囲気の大学院大学を構築しようとし挫折したクラーク大学。

 これらの類型は現在においても日本の大学改革が目指しうる道標として、そして失敗を含めた到達点を指し示すものとして依然として有効でしょう。

 本書は大学のあるべき姿を断言しているわけでも、有効な改革案を描いているわけでもありません。答えを拙速に求める態度そのものへの危惧を読み取りたいところです。

おき・きよたけ

1965年生まれ。1999年4月嘱任。教育社会学(高等教育論)担当。


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 第901号 May.25,2000


「もう少し自分らしくなろう」努力

評者・森山秀(理工学部助教授)

『フロイトからユングへ/無意識の世界』 鈴木晶著 NHKライブラリー日本放送出版協会:本体価格1020円

 十二年の英国生活を終えて昨年帰国し、理工学部で英語を教えている。ロンドンでは、学生であったり教師であったりと身分は変わったが、ひとつだけ十余年にわたって変わらなかったことがある。それは、毎週三回、アレン博士の書斎に出かけてサイコ・アナリシスを受けることであった。古めかしいカウチに横になる。博士の愛猫メラニーが足下の古ぼけた毛布の上で眠っていることがよくあった。静寂と沈黙。ふと頭に浮かんだ言葉を口に出す。前夜の夢が言葉にならないイメージで再現することもあれば、幼少期の思い出が、不思議な感情を伴って突然湧き上がってくることもある。時には私の記憶にない遠い昔の「存在」が再現される。それが自分であるのか、他人であるのか、あるいは「宇宙人」であるのか、私には知る由もなかった。

 精神分析やユングについては学生時代にいろいろと読んでいたが、まさか自分が、しかも十年にもわたってユンギアン・アナリシスを受けることになるとは思ってもみなかった。ロンドン大学で中世英文学の博士論文を書き上げる合間にフロイトやユングの全集(英訳)を読みあさってみたが、専門家でない私には理解できないところが少なくなかった。お勧めする一冊は、フロイトとユングの精神分析を中心に、「自分にわからないもう一人の自分」が一人の人間の成長にどのように関わっているかを分かりやすく説明したものである。青年期が一生の間で特に難しい時期ということはないと思う。自分に何が求められているかということばかりに汲々として、自分が本当に欲しいものを探究する自由を放棄しないでほしい。それは「もう少し自分らしくなろう」という努力である。

もりやま・ひいず

1956年生。1999年4月嘱任。理工学部複合領域(英語)担当


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 第900号 May.18,2000


人生をストレートに伝える一級品の伝記

評者・灰谷香奈子(専門学校講師)

『美味礼賛』 海老沢泰久著 文春文庫:本体価格563円

 早稲田大学第二文学部仏文科を卒業し、大阪読売の駆けだし記者をしていた辻静雄が、大阪の割烹学校の一人娘と結ばれ、調理師学校の経営にあたることになる。洋食しかなかった日本に「本物のフランス料理」を最初にもたらすことになる彼は、本場フランスのレストランを食べ歩き、料理人第一人者に手ほどきを受けながらフランス料理とフランス文明を身につけていく。味を記憶させた自分の舌を頼りに、自ら学校の教員を鍛え、その教員がさらにその味を伝えていく。数々の妨害・妬み・迷いを超えて、日本のフランス料理の全てがここに始まったことがよくわかる。

 著者、海老沢泰久は優れたノンフィクションテイラーである。その名でまず思い浮かべるのはスポーツものであろう。広岡達明をモデルにした『監督』、堀内恒夫を描く『ただ栄光のために』、F1レースを舞台に覇者ホンダチームの『F1地上の夢』、中嶋悟『F1走る魂』。日本の本格的なスポーツ小説を拓いた人でもある。周密な調査をもとに、決して感情的に謳い上げず、的確に具体的で淡々とした文章は、かえってその場所を明快に彷彿とさせる。

 これは、作中の辻静雄にも通じる。門外漢の文学青年が、具体的な料理のひとつひとつにあたり、自分の体をもって消化し、エッセンスをわかりやすく表に出していく。ものに則することで全体が鮮やかになる。本の中で分類だけしていては決して出てこないものが織り上げられていく。

 一番弟子が自分を裏切って独立しようとする。その時の胸の痛みが、自分の「見返りの欲求だった」と気付いて乗り越えていく。複雑な味と人生をストレートに伝える伝記の一級品であろう。

はいや・かなこ

1970年生。1998年4月嘱任。「建築設計製図」担当。


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 第899号 May.11,2000


進路に悩んだ時に読む

評者・堀野博幸(人間科学部専任講師)

『ビジネスマンの父より息子への30通の手紙』 キングスレイ、ウォード著・城山三郎訳 新潮文庫:本体価格552円

 私には、日々の生活で悩みを抱え込んだ時に読む本が何冊かある。上記の本もその中の一冊である。私がこの本に出合ったのは、学部四年の時である。その時期進路などの悩みを抱えて、私の胃はチクチクと痛み始めた。ついには、耐えられず病院で胃カメラまで飲むはめになった。そんな憂鬱な時期に、古書店でこの本を見つけた。ビジネスに興味を持っていた私は、その本のタイトルにひかれた。内容は、ビジネスの世界で成功を収めた著者が、心臓病で死に瀕したことを契機に、遺言代わりに子供たちへ書いた複数の手紙からなっていた。

 私は、著者がビジネスの成功者であることから、ビジネスの厳しい世界や世の中の不条理さを勝ち抜いていく秘訣という、少し荒っぽい内容を想像していた。しかし私の予想に反し、著者は「誠実さ」や「前向きに生きること」など、人間らしく生きる基本を子供たちに伝えていた。驚くほど素朴な内容でありながら、著者の豊富な人生経験から裏付けられる説得力に、私はひどく感銘を受けた。

 当時の私は、他者や社会からの評価を過度に意識するあまり、人生を複雑に考えすぎていたことに気づいた。私は、三十才になった現在でも、同じような悩みを抱えることがある。そんなときには、この本を読み返すことにしている。不思議なことに、同じ本を読み返しているにも関わらず、悩みの状況によりその都度引きつけられる文章が異なる。私は、ある方から本を読み終えたら最後のページにその日時を書き留めることを教わり、以後そのことを実践している。この寄稿に際し本の最終ページを開いてみると、Read 12とあった。書き留められた複数の日付から、当時の悩んだ状況が懐かしく思い出された。

ほりの・ゆきひろ

1969年生まれ。1998年4月嘱任。スポーツ実習(サッカー)担当。


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 第898号 Apr.27,2000


『早稲田界隈』 淺井愼平著 大和出版:本体価格2800円

 「バカヤロー、藤原」

 岡部は叫び、林檎を空に投げた。林檎は青い空を横切り、校舎の上をゆっくりとまわりながら飛んで消えていった。

 残された青い空をぼくはいつまでも見上げていた。

(本書より)

 短編連作小説『早稲田界隈』は、切なくてもどかしい青春の甘酸っぱさを随所に漂わせた作品だ。鮮やか、かつ能弁な色彩が非常に印象に残る。その描写の的確さは写真家ならでは。同世代の人ならずとも、この地を知る人が読んだなら、頭の中でBGMが流れ、映像が動き出すのを体験することだろう。そして、まるで映画を見ているかのように、主人公と同じ時間と空間を共有することになる。

 冒頭の引用は、巻頭作「一九五九年春――林檎」の結び。主人公・藤原の合格発表の光景だ。春まだ浅き澄んだ青空に真っ赤な林檎が投げられる。その色彩の美しさと、それが消えた後の切ない余韻。同時に、どこまでも続く青空が無限の可能性を感じさせる。浪人が決まった岡部と合格した藤原の、揺れ動く複雑な心境にぴったりの描写と言える。

 また、豊富に盛り込まれた早稲田の四季を捉えた写真は、少し前の時代を描く小説と一つのハーモニーを奏で、過去と現代が微妙に入り混じっていく。いつの時代も変らない学生街の懐かしく、危うげな匂いが心地よい。そして、主人公が悩み、惑い、恋をするその姿が、自分自身の姿とオーバーラップする。永遠の青春が閉じ込められている、とも言えよう。

 今、早稲田で恋するあなたに贈る一冊。

(ま)


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 第896号 Apr.13,2000


『歴史の活力』 宮城谷昌光著 文春文庫:本体価格448円

 出来の良い小説を読むと、登場人物が活き活きと作中世界を駆け巡り、頭の中で鮮やかなドラマを繰り広げる。イメージが実像であるかのようにくっきりとした像を形作り、登場人物の声まで聞こえるかのような錯覚に陥ることすらある。

 本年一月、「古代中国の興亡に光をあてて歴史上の人物に血肉を注ぎ、現代によみがえらせた作家活動」が評価され、作家として初めて第三回司馬遼太郎賞を受賞した校友・宮城谷昌光氏(1967年一文卒)。彼の作品は、そうした小説の愉しみを思う存分満喫させる。作者の筆によって現代に生を得た英雄や周辺人物が、笑い、泣き、語り、動く。その躍動感がたまらなくいい。寝る間も惜しんで読み進むうちに、歴史は生きている、そんな力強い実感が沸く。

 氏は、『史記』『春秋左氏伝』など数十冊の原典資料を読破し、中国を題材にした作品を創作。一九九一年に第百五回直木賞を受賞した『夏姫春秋』、九三年に芸術選奨文部大臣賞を受賞した『重耳』以降、作品が次々とベストセラー入りしている。今回、取り上げるのは、小説ではなく、エッセイ集『歴史の活力』。我が国の企業の創業者と中国の歴史上の人物の言行を比較し、「人はいかにあるべきか」を考察するものだ。

 作者によって選び抜かれた歴史上のエピソードが、現代の私たちへの教えを雄弁に語っていく。国境と時間を超えた人々の積み重ねた体験が、人生のヒントとして満載されている中国歴史小説の第一人者ならではの一冊。戦乱の時代を駈け抜けた英雄の足跡を戦後の日本人が辿ったように、私たちの人生がまた彼らの人生に重なる。古典を学ぶ意味と教養の大切さを学ぶことができるであろう。

(ま)


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 第895号 Apr.6,2000


『死刑囚の最後の瞬間』 大塚公子著 角川文庫:本体価格420円

 十三人の死刑囚の最後の瞬間を綴ったドキュメンタリー。世紀末を迎え、荒んだ現代にも次から次へと凶悪な犯罪が起きている。それらを新聞のトップ記事で目にすることは良くあるが、その先の「死刑」というところにまで想いを馳せることはなかなかないのではないだろうか。

 著者は二十年以上にわたり「死刑問題」に取り組み、角川文庫から死刑に関するドキュメントを三冊出版している。本書はその中の一冊で、死刑の判決を受けた男女十三人の死刑囚たちが、どんな犯罪を犯し、どのように「死刑」という判決を受け入れ、死刑台に立ったかをまとめたものである。死刑判決を受けた後、贖罪の意識を持ち、従容として死を受け入れる死刑囚が多いが、そうした「模範囚」ばかりではない。そこに、人間が生きるギリギリの最後の姿がさらけ出されている。

 「殺人」という罪を犯したとは言え、人が人を裁いて死刑に処するという現実に、著者は真っ向から反対の立場に立って本書を著わしている。この問題は、非常に難しく、哲学的でさえある。「死刑を廃止」と唱えることは簡単だが、我が国の死刑制度が依然として続いていることにはそれなりの理由もあろう。また、「死刑囚の人権」を云々する前に、被害者の人権についても考えなくてはなるまい。犯人を死刑に処したから、それですべてが帳消しになるというものでもないだろう。

 我々とは全く関係のない遠い世界にあるような「死刑問題」だが、地球よりも重いとされる人間の命の問題である。犯罪者であると否とにかかわらず、一人の人間の「いのち」であることに変わりはない。それを絶つ「死刑」という制度を、我々はどう考えるべきなのだろうか。

(よ)


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