第923号 Jan.18,2001


繊細でシャイな友人「ゴリラ」

評者・野島 高彦(理工学総合研究センター客員講)

『ココ、お話 しよう』 F. パターソン & E. リンデン 都守 淳夫 訳 どうぶつ社発行:定価2000円

 小学校に通っていた頃、ゴリラというニックネームのクラスメートがいた。彼は別にタフな肉体の持ち主だったわけではない。ただ単に面長の顔をしているという理由からそのようなニックネームを付けられてしまったのである。痩せており、どちらかというと神経質な彼は、「ゴリラのくせに貧弱だ」などとからかわれていた。

 ゴリラというと、『大きな体で人間に襲いかかってくる凶暴な動物。しかしサルやチンパンジーと比べると、おつむの方はちょっと足りない』というイメージを持たれがちだが、それは大きな誤解のようだ。この本に登場するメスのゴリラ「ココ」は動物学者の女性と共同生活を送り、意志の疎通をはかりながら毎日を送っている。言葉を交わすことはできないが、道具を使って人間とコミュニケーションすることができる。複雑な文法を使いこなすことはできないが、手話を用いて単語を規則的に並べ、意志を表すことができる。人間と同じように、嬉しいとか、悲しいとか、恥ずかしいといった感情を持ち、それを手話で示bヌちらかというとシャイな優しい生き物なのだ。

 さて、元クラスメートのゴリラくんだが、背が高く痩せた彼を、今では誰もゴリラと呼ばなくなった。しかし友人に対して思いやりがあり、繊細な神経を持つ優しい彼は、ある面、今でもゴリラである。

のじま・たかひこ

 1968年生まれ。2000年4月1日嘱任。担当研究分野…「次世代 DNA マイクロアレイシステムの開発」(科学技術庁からの委託研究)


戻る


 第922号 Jan.11,2001


「開かれた司法」の実現を!

評者・川岸 令和(政治経済学部助教授)

『弁護士から裁判官へ―最高裁判事の生活と意見―』 大野 正男著 岩波書店:定価2400円

 最高裁判所裁判官十五名の名前を複数名挙げることのできる人はどの程度いるであろうか。最高裁判事ともなればまったく疎遠な存在である。このことは、日本社会において最高裁が極めて厳格な自己抑制のもと、こぢんまりとした役割しか果たしていないことと無関係ではない。この点で、合衆国最高裁判所とは決定的に異なっている。その判決が、国家を破滅させたりあるいは高邁な理想を説いて国民をリードしたり、国民の命運を左右した例に事欠かない。翻って、我が最高裁はまことに影の薄い存在であり、その実態は多く謎に包まれている。

 本書はそのような謎を解き明かすきっかけとなるであろう。弁護士として令名を博した著者が四年五カ月の間奉職した最高裁判事の生活を綴ったものである。本書は、「最高裁判所判事の生活と仕事」と「私の個別意見」との二部で構成されている。第一部では、日常の生活ぶりに始まって、任命と退官、職務の遂行、合議のありよう、判決の書き方など、当事者でなければ知ることのできない事柄が多く自省的に記されている。上告審裁判所としての機能と憲法裁判所としての機能という最高裁の二機能のうち、前者に比して後者の停滞している現状を分析し、活性化への提言をしている点が特に注目される。第二部では、著者が著した意見を再録し、併せて本人による解説が付されているので、判決の事情を知るには格好の素材を提供してくれる。

 世間では司法改革が喧伝されている。司法制度改革審議会も本年いよいよ最終報告をまとめる予定である。このような時期に、本書が広く読まれることを期待したい。日本国憲法のもとで最高裁が果たすべき役割についての著者の貴重な提言のなかに、市民に応答する開かれた司法の構築という改革本来の目的を実現するための手がかりを必ずや発見することができるであろう。

かわぎし・のりかず

 1962年生まれ。95年4月1日嘱任担当科目「憲法」、「法学」、「政治学古典講読」など。


戻る


 第921号 Dec.14,2000


エレガントな旅人を目指せ

評者・稲葉 明子(演劇博物館客員研究員、第一文学部・社会科学部・人間科学部非常勤講師)

『現地危険情報5 中国・台湾・香港編 '2000−'2001年度版』 早稲田編集企画室製作 笠倉出版社:定価1500円

 夏の中国フィールド調査の帰路、広州行きの機内でなにげなく貴州商報(新聞)を手にした。

――"悶罐車"活活悶死一婦女

――広州開往重慶的長途大客車厳重超載――八月二十二日、長距離大型二段寝台バスにて一名の中年女性の死亡と二十名以上の熱中症患者が発見された。定員四十八名のところ、七十名が乗っていた。運転手王廷富は重慶市の者で、利を貪り乗客の反対をおしきって途上に集客し続けたものである。

 ……マズッ、そういえば……。

 夏休み前に数名の学生から相談を受けていた。「初めての海外で、ツアー旅行に参加するんですけど」これはツアーコンダクターに任せておけば大丈夫。「いつもはインドとかでバックパッカーしてるんですけど」問題は彼女だ。

 本物のバックパッカーは、旅人としてのストイックな身の振り方を知っている。しかし中国は社会状況が若干特殊で、紛争地域でこそないものの、独特な危険がいたるところに存在する。中国流の「危険のかぎ分け方」が必要だ。

 右記の例でいえば、広州を発つ人には、ビジネスマン・旅行者・学生・民工(出稼ぎ労働者)が考えられる。そういう無茶な路線(距離が長すぎる)は私営業者がヤミで走ることも多く、社会的弱者である民工は実際頻繁に命を落としている。安くても、外国人は立ち入ってはいけない。

 といった感覚に学生諸君はどこで出会えるのか?

 本書では、基本的な護身の心得から、重病発症時の保険の扱いまで、網羅されている。犯罪や危険に関しては豊富な実例をあげて、「なぜ起きる、どうすれば防げる」と、正しい旅人の心構えが示してある。これを批判的に読み飛ばし、「自分の」判断力を養ってほしい。

いなば・あきこ

 1967年生まれ。2000年4月1日嘱任。担当科目…「中国語」


戻る


 第920号 Dec.7,2000


誰もが使いやすいデザイン

評者・藤本 浩志(人間科学部助教授)

『バリアフリーの生活カタログ』 E&Cプロジェクト編 小学館:定価1300円

 我が国は急速に高齢化しているが、加齢により一般的に身体機能が衰えるため、このことは障害を持つ人の増加を意味する。

 一九五〇年代にデンマークで、障害者が障害のない者と同等に生活や活動ができるように環境を整えようという考え方が提唱された。ノーマライゼーションの考え方である。一言で障害と言っても、解剖学的な欠損とその結果として不便不利益を被ることとは区別でき、後者に関しては適切な道具を用いることで問題を解消できる可能性がある。これが私の研究領域の一つである福祉工学の目標でもある。ところで障害者専用の道具では市場が小さいためコスト軽減が困難で普及しづらいが、初めから健常者にも便利なモノとして製品開発することで障害者に役立つ製品の普及が容易になる。これがバリアフリーやユニバーサルデザインの考え方である。

 本書はこの考え方に基づく開発事例を豊富な図や写真と共に紹介している。シャンプー容器のギザギザは、晴眼者であっても一時的に目が見えなくなる洗髪時に皮膚感覚の代行でリンスとの識別を可能にするし、レバー式のドアノブは両手に荷物を持って一時的に手指や腕の運動機能が制限されても肘等で押し下げるだけで容易にドアを開けることができる。

 皆さんも一度本書を手にとって見られたらいかがだろうか。きっと新しい発見があるだろう。健常者を意味する英語表記の一例としてtemporary abledという語がある。自分を健常者だと思っている人だって、あくまでも今この時点で障害を感じないで済んでいるだけなのかもしれない。人生のいろんな段階やあるいは日常生活の場面場面においてだって、誰にとっても障害は他人ごとではないのだから。

ふじもと・ひろし

 1959年生まれ。98年4月1日嘱任。担当科目…「福祉医用人間工学」「身体運動医科学」など担当。


戻る


 第919号 Nov.30,2000


経営者を目指す諸君へ

評者・山名 早人(理工学部助教授)

『映像メディアの世紀』 佐藤 正明著 日経BP社:定価1900円

 日頃、何気なく使っているVHSビデオ。その歴史は二十年以上に渡ります。同じ方式が二十年以上も利用され続けている背景には、互換性を保つことを一貫して主張した日本ビクターの高野鎭雄(しずお)氏の信念があったのです。

 本書は、「ミスターVHS」としてTIME誌のマン・オブ・ザ・イヤーにも輝いた高野氏をはじめ、松下電器の創業者で「経営の神様」として知られる松下幸之助氏、ソニーの創業者である盛田昭夫氏、そして国が、ビデオ方式標準化戦争でどのような駆け引きをし、どのような戦略を採ったかをつぶさに知ることができる唯一の書です。

 当時、ソニーを中心に東芝と三洋はβ方式を提唱し、日本ビクターを中心とするVHSファミリー企業と真っ向から対立しました。その対立は国会や霞ヶ関だけでなく、米国・欧州をも巻き込みました。

 では、なぜVHS方式が勝利を納めたのでしょうか。それは、高野氏、松下氏の二人の経営理念があったからこそといっても過言ではありません。彼らに共通する点は、消費者の立場に立って一企業の利益を超えた決断ができたという点です。今でこそ、レンタルビデオがごく普通になっていますが、開発当初から、このようなソフト流通を見抜き、互換性を保つことを一貫して守り抜く。そこに二十年以上に渡るVHSの歴史があるわけです。

 一方、方式の標準化の過程において、通産省の思惑はことごとく後手にまわっています。私自身、本書に登場する通産省の同じ部署で四年前に仕事をした経験を持ちますが、国としてどのようにあるべきかを非常に考えさせられました。

 本書で我が国のメディア産業の歴史をひもとき、経営者としてのあり方を学んでみてはいかがでしょうか。

やまな・はやと

 1964年生まれ。2000年4月1日嘱任。担当科目…電子回路、計算機プログラミング、情報検索特論(理工学部)情報処理入門(MNC)


戻る


 第918号 Nov.22,2000


乾いた言葉の魅力

評者・諸星 和夫(語学教育研究所教授)

『西脇順三郎詩集』 那加 太郎編 岩波文庫:定価770円

 「偉い人」が来るそうだという声がどこからともなく聞こえてきた。誘いを受けて、大教室に闖入した時には、すでに立錐の余地も無かった。授業を放擲した私たちは、仕方なく、階段教室の上階に陣取るはめになる。それは窮屈なものだったが、入り口にはなお聴講への未練を捨て切れない人々が長い列をつくっていた。

 ややあって演壇に現れたのは詩人の西脇順三郎だった。見るからに老大家だったが、不思議な色気が感じられた。そして、詩家といえば高村光太郎ぐらいしか思い浮かばなかった私の脳裏に、この時、何かしら異質な空気が吹き込まれた。詩人は実に雄弁だった。「なぜ詩人になったのか、それは西洋詩人の肖像画を見て恰好がいいと思ったからですよ」。私はその話をいつまでも覚えていた。話題はそれから早稲田の茗荷畑に移った。早稲田は知る人ぞ知る茗荷の産地であったという話。私はそれよりもこの取り合わせそのものに詩を感じた。

 このことが機縁となって、西脇順三郎詩集に親しんだ。その詩語は絶対的に乾いている。旧来の日本の詩人たちが依拠しがちであった安易な風土性も感じられない。たとえば、この詩人が世田谷を描く時、それはかつて誰にも気づかれることのなかった新しい世田谷の形なのである。世界は詩人の眼と言葉によって幾らでも蘇ることができる。若き日、オックスフォード大学に遊び、詩を書くことと同じくらい絵を描くことが好きだった西脇の、それは必然の帰結だったさな火花を散らすことにまんまと成功したのである。

 茗荷の出回る頃になると、決まって西脇順三郎のことが思い出される。

もろほし・かずお

 1951年生まれ。91年4月1日嘱任。担当科目…「ロシア語」「ポーランド語」


戻る


 第917号 Nov.16,2000


インドの柔道とは!?

評者・坂井 淳一(本庄高等学院教諭)

『黒帯、インドを行く』 三浦 守著 木犀社:定価1900円

 コメディアン・由利徹氏の付き人であった著者は一九八五年夏、思うところあって、密かに貯めた十万円を手にインド放浪の旅に出た。カルカッタの空港に降り立つや、日本から寝酒用にと持ってきたナポレオンを入国管理官に横取りされるというインド式(?)洗礼を受けつつ、とにかく旅は始まった。

 カルカッタはしかし、インド初心者にとっては余りにも過酷な町であった。炎熱地獄、スコールの度に氾濫する通り、群がる物乞い。著者はその町を出ようと決心する。出発の朝、駅へ向かうバスを待っていた彼に一人の青年が話しかけた。「ジャパニ、ジュードー、カラテ、できる?」

 実は著者は強豪・熊本鎮西高校柔道部出身の猛者で、インド行きに際しては、着なくなった柔道衣を虫除けに利用しようと携行し、いつもリュックの上に乗せて歩いていたのだった。それに目を留めた青年の一言が著者のその後の人生を変えたのである。青年は戸惑う著者の手を引いて「カルカッタ柔道クラブ」なる掘建て小屋のような建物に連れて行き、そこで行われていた大会を観戦させた挙句に試合を強要した。観念した著者は相手がインド・ナショナルチャンピオンとは知らぬまま見事投げ飛ばしたが、その瞬間から、彼のインドにおけるジュードー・コーチの旅が始まったのである。

 その後の、インド各地における著者の、笑いあり涙ありの柔道指導者としての活躍ぶりは本書に詳しい。そこには、「芸は身を助く」などという言葉では括ることのできない、一つの文化を伝えることへの燃えるような思いがあり、読む者の胸をも焦がすであろう。

 なお、本書のあとがきで著者が決意表明しておられたインドにおける柔道場付きの日印友好会館建設については、現在すでに柔道場が完成したそうである。夢の成就に「一本!」の手が挙げられる日も近いようである。

さかい・じゅんいち

 1964年生まれ。95年4月嘱任。担当科目…公民科・倫理担当。


戻る


 第916号 Nov.9,2000


評者・小川 利康(商学部助教授)

『現代中国文化探検―四つの都市の物語―』 藤井 省三著 岩波新書:定価700円

 十八年前、はじめて中国に行った。個人旅行の受け入れが始まったばかりの頃で、言葉もさしてできぬ大学生にとって、それは物見遊山どころかサバイバルに近かった。列車の切符はキャンセル待ち、駅を降りれば深夜二時、やっと入れたホテルの部屋は高額で、今度は懐具合を心配した。今となっては、苦労して回った観光地よりも、地図をにらんで歩いた裏通りの方が懐かしい。やせ我慢をいわせてもらえば、非日常的な空間に身を置く旅が快適で楽しいことばかりのはずがない。だからこそ、新しい自分を手に入れるきっかけにもなるのだから。

 本書の著者は同様の、いや、それ以上の体験の持ち主である。北京、上海、香港、台北と四つの都市を歩き、その路地裏から都市の歴史に思いを馳せる。中でも著者にとって思い出深いのは香港であろう。中環を起点として歩く散歩コースでは古本屋を覗き、飲茶店で憩い、路面電車を横目に徳輔道を歩き、香港大学構内を抜けて、更に北を目指せばビクトリアピークに辿り着く。そこからは香港をほぼ一望に収められる。優雅なティータイムを楽しみながら、著者の眼差しはやがて眼前の風景から過去へと遡行する。映画「ルージュ」を材料に路面電車を語り、ウォン・カーウァイの映画から香港人の屈折した心情を読み解く。そこには観光だけでは見過ごしてしまう都市の重層的な魅力が生き生きと語られている。

 旅といえば名勝旧跡を回るだけと心得ていてはつまらない。本書は大きな変貌期にある都市を読み解く上での助けとなるだろう。一読を勧めたい。そして、都市に生きる人々の生活の息吹きを感じながら、自分だけの文化探検に挑戦してほしい。

おがわ・としやす

 1963年生まれ。96年嘱任。担当科目…「中国語」(I、U)「情報化社会概論」など担当


戻る


 第915号 Nov.2,2000


化学に興味の無い人にも楽しめるノーベル化学賞受賞者の自伝

評者・小川 誠(教育学部助教授)

『マリス博士の奇想天外な人生』 キャリー・マリス著 福岡 伸一訳 早川書房:定価1900円

 本書は一九九三年度のノーベル化学賞受賞者キャリー・マリス博士の自伝である。ノーベル賞受賞者というと少し浮世離れした研究一辺倒の科学者を想像しがちであるが、マリス博士に関してはそのイメージは全くあてはまらないようである。 

 本書では実験室を遊び場にした学生時代の思い出や、超常現象体験、また前妻、前妻との間にできた子供たち、そして当時のガールフレンドを引き連れて臨んだノーベル賞授賞式の様子などがユーモアたっぷりに語られていて、型破りでまさに"奇想天外"な博士の人生がうかがえる。二十世紀を代表する科学的業績といわれ、ノーベル賞授賞理由ともなったPCR(ポリメラーゼ連鎖反応)の発見についても述べられてはいるが、"長い間本を書きたいと願ってきた"著者の奇想天外な人生においては、それもまた一つのエピソードにすぎなかったようである。

 一方ではAIDSや代替フロンの問題などについて、情報の発信源(役所?)と伝達者であるマスメディアのあり方に疑問を抱かせる深刻な内容が、博士ならではの経験と調査を基に率直に語られている。是非多くの学生諸君に読んで欲しいところである。

 最近伝記物が流行らないという話を耳にしたことがあるが、本書は成功者のサクセストーリーといった趣はなく、自身の軌跡と考えを気楽に綴ってあり、医学、化学に興味のない人でも十分に楽しめるものと思われる。折しも白川英樹筑波大学名誉教授がノーベル化学賞を受賞された。久しぶりの日本からの受賞で明るいニュースであったが、報道に見られた白川名誉教授の謙虚な対応もまた感動的であった。近い将来に現れるであろう早稲田からのノーベル賞受賞者はどのような人であろうか?

おがわ・まこと

 1964年生まれ。95年4月嘱任。担当科目…「機器分析実験I&II」「環境化学」「科学英語演習」「基礎地球科学」「総合講座VIII」他。


戻る


 第914号 Oct.26,2000


起業を目指すための"ほんの少しの勇気"をもらおう!

評者・東出 浩教(アジア太平洋研究科 専任講師)

『ヴァージン…僕は世界を変えていく』 リチャード・ブランソン著 植山 周一郎訳 TBSブリタニカ社発行:定価1800円

 学生の皆さんにとって、卒業は人生の中での重大な岐路だと思います。皆さんの顔前に"就職"という文字がちらつく前に、是非一読してもらいたいのが、今では世界的にも有名になった起業家であるリチャード・ブランソンの自伝『ヴァージン』です。

 「自分で物事を判断したい」「サラリーマンになることがベストの選択だろうか」など考えたことはありませんか? 将来は自分で事業(ベンチャー)を起こすことを目指すのもひとつの選択だということに気づいていますか?

 書中では、起業過程での楽しさ・苦しさ・厳しさが、著者の興味深いエピソードの中にちりばめられています。著者は、ミニコミ誌の出版から、ヴァージンレコードの設立と世界展開を経て、ヴァージン航空の開業へとビジネスを展開し、航空業界でのジャイアント−英国航空−の卑劣な攻撃に毅然と立ち向かいます。二十歳前後の人達にも共感できる部分も多いと思います。

 この自伝を代表するキーワードは"独立とチャレンジ"であり、それらから導き出される行動パターンには、"自分で決めたことに関しては自分で責任を取る"という一貫した論理が流れています。日本人にとっては、驚くと同時に考えさせられることも多く、書中には起業を成功に導くためのヒントが豊富に含まれています。

 起業を目指すための"ほんの少しの勇気"を本書からもらいましょう。読後には、ベンチャー成功のための能力は"生まれつき"のものでも、また決して"偏差値"でもないことが分かると思います。最後に、Richard Bransonの座右の銘を引用しておきます。"Nothing ventured, nothing gained. We could all change the world." 解釈は皆さんの"自己責任"で。

ひがしで・ひろのり

 1962年生まれ。2000年9月嘱任。担当科目は、「アントレプレヌールシップ」「ベンチャーキャピタル・マネージメント」「リスク・ファイナンス論」。


戻る


 第913号 Oct.19,2000


「植民地教育」への見方の相違

評者・劉 傑(社会科学部助教授)

『「満州」における教育の基礎的研究』 竹中 憲一著 柏書房発行:揃定価75000円

※本書は分売不可のため、生協書評コーナーには置いていません。図書館等をご利用ください。

 中国の東北地方に残された史料が一部公開されたことによって、「満州国」および満鉄の研究は新たな展開を見せている。しかし、史料に対する全面的かつ系統的な調査と分析が欠如しているため、不毛な論争が惹起されているのも事実のようである。「満州」における日本の植民地教育をめぐる見方の相違がその典型的な事例である。「侵略戦争の一部分」「侵略の目的を実現するための手段」との評価が中国で定着しているのに対し、日本では、「政治と教育は分けて考えるべきであり、一概に侵略として片付けられない」との意見を持つ学者は決して少数ではない。

 平行線をたどっている議論の現状に対し、「事実」を把握することの重要性を指摘し、歴史研究のあり方を再確認したのが、法学部教授竹中憲一先生の新著『「満州」における教育の基礎的研究』である。

 全六巻に及ぶこの空前の大著は、関東州、満鉄付属地および間島地域における中国人教育、日本人教育、朝鮮人教育の三部にわけて、その沿革を系統的に論じている。記述は実に淡々と行われているが、膨大な未公開史料を駆使した全編の迫力にまず圧倒される。二十数回大連図書館に足を運び、中国人の植民地教育体験者百三十人にインタビューを実施している。さらに日本国内の旧満州日本人教育機関の同窓会などを精力的に回って収集した史料が著書の価値を不動のものにしている。論点もきわめて鮮明である。「支配と被支配の関係を抜きにして、近代化への貢献を議論することは無意味である」と著者はいう。

 「事実を知ることから始めるべき」という著者の厳密な研究姿勢は、植民地教育の評価をめぐる論争に一石を投じるものである。歴史研究の意味を考える機会として、学生諸君にこの好著を――たとえ一部分でも良いが、一読することを薦めたい。

りゅう・けつ

 1962年生まれ。96年4月嘱任。主な担当科目は、「歴史学」「中国研究」「中国語」


戻る


 第912号 Oct.12,2000


自由になりたい人に 自由でありたい人に ぜひ、読んでほしい本

評者・松島 毅(高等学院教諭)

『自由からの逃走』 エーリッヒ・フロム著 日高 六郎訳 東京創元社発行:定価1700円

 「自由でありたい」。人間なら、誰でもそう考える。そして、誰もが「今の自分は何かに束縛されている」と感じ、あるものは、その「束縛」に抵抗し、あるものは諦めを感じつつ生きている。いずれにしても、現代の我々にとって「自由」は、理想であり、目標であり、そして憧憬であった。もちろん私もそう思っていた。「自由」は、まさに金科玉条であったのだ。私は、大学に入学して間もない頃、この本を手にした。本書の挑発的なタイトルに反発と興味を覚えたのである。

 この書の中で、著者フロムは、「人間は、本当に自由を求めているのか」という問題を提起する。この問いの根底には、「なぜドイツでヒトラーによる全体主義が台頭しえたのか」というもうひとつの疑問が存在している。当のフロム自身がナチによってドイツを追われた経験を持っているためである。フロムは、本書の中で、様々に考察を繰り返しつつ、「人間は、孤独を逃れるためには自由を犠牲にできる存在である」という、ひとつの結論に至り、さらにもうひとつの結論として、「「〜からの自由」ではなく「〜への自由」をこそ目指すべきなのだ」と説く。

 我々人間は、確かに「自由」を求めている。しかし、その「自由」の内実は空虚なものになってはいないだろうか。我々は、実は「自由」をもてあましているのではないか。孤独に耐えかねて、「自由」を放擲することがありはしないか。これは、ナチズムに限らず、さらにオウム真理教の問題はもちろん、我々の生活の中で、日々問われている問題にほかならない。「自由になりたい」人、「自由でありたい」と願う人に読んでほしい。

まつしま・たけし

 1967年生まれ。2000年4月嘱任。担当科目…国語(主に古典分野)


戻る


 第911号 Oct.5,2000


経済学嫌いの諸君へ

評者・横山 将義(商学部助教授)

『日常生活を経済学する』 デイビット・フリードマン著 上原 一男 訳 日本経済新聞社:定価2300円

 現代社会にあって、経済に関する知識を身に付けることは、必要不可欠なことといえる。学部を問わず、学生時代に、経済を見る眼を養っておくべきであろう。しかし、「経済学は嫌いだ」という学生が多いのも事実である。本書は、経済学をはじめて学ぶ人はもちろんのこと、経済学が嫌いになった人にも、是非とも(経済学嫌いな人には再挑戦という意味で)、一読を勧めたい書物である。

 本書は、個別市場の動向や個々の経済主体の行動を説明する「ミクロ経済学」の考え方を援用したものである。書名のように、われわれの日々の生活の中に題材を見つけだし、その解説を通じて、経済学がいかに身近で面白いかを教えてくれる。まさに、「人間行動」を経済学的に分析した書物といえる。身近な題材をもとに、消費選択、企業行動、国際貿易、独占、ゲーム理論、公共財、市場の失敗など、ミクロ経済学の領域を網羅的に扱っている。

 しかし、本書は理論書ではない。題材はお堅いものから柔らかいものまで多様であり、それらの経済学的意味を解説してくれる。政治や法律から、果ては犯罪や結婚までと、読者の興味を掻き立てることは間違いない。

 経済学嫌いな人が共通して言うことは、「数学が難しくて経済学がわからない」というものである。しかし、本書では、数学的な記述はなく(あってもごく初歩的なもの)、需要曲線や供給曲線などの簡単な図形を用いて解説が行われている。その意味で、初心者も、経済学嫌いな人も、抵抗なく読み進めることができるであろう。

 本書をきっかけに、学生諸君を経済学の世界にいざなうことができればと願うばかりである。

よこやま・まさのり 

 1966年生まれ。96年4月嘱任。「マクロ経済学」「国際マクロ経済学研究」担当。


戻る


 第910号 Sep.28,2000


人生における「時間とエネルギーの配分」を深く考えてしまう本

評者・河合 隆史(国際情報通信研究センター・専任講師、人間科学部兼担講師)

『手塚治虫の知られざる天才人生』 手塚 悦子著 講談社(+α文庫):定価740円

 手塚治虫は、僕の心のヒーローの一人です。彼の作品はもちろん、人間としての手塚治虫について書かれている本に、特に興味があります。そういう本を、本屋さんで見かけると、ついつい買ってしまいます。元気な時には、影響を受けてしまいそうで、なんだか悔しいので、あまり読まないようにしていますが(笑)、落ち込んだ気分の時などには、よく読んでいます。「ああ、彼にもこういう時があったんだ」とか。

 さて本書は、手塚治虫について、彼の奥様によって書かれたものです。とても身近な視点で書かれているため、非常にリアルに感じることができます。本書の構成としては、前半が手塚治虫との出合いから結婚生活まで、そして後半が彼の体調不良から死までとなっています。本書を読んで、まず伝わってくるのは、何かをなすということが、本人および周りの人たちにとって、どれだけ大変かということです。特に後半では、手塚治虫の日記が随所に抜粋されており、壮絶ともいえる仕事への情熱や、病に倒れることの不安や無念さが、読んでいて痛いほど分かります。そういう意味で本書は、人生における、時間やエネルギー配分について、深く考えるきっかけになると思います。

 僕自身は、現在、国際情報通信の分野で研究をしていますが、それによって、人間の生活を豊かにしてくれるのか、また僕が、それにエネルギーを費やすことで、自分や周りの人たちに、やさしい答えが返ってくるのかどうか、いつも気にしています。学生の皆さんも、これから自分の人生をデザインしようとしていることと思いますが、本書は、そんな時におすすめの一冊です。

かわい・たかし

1969年生まれ。2000年4月嘱任。

担当科目…「生体情報特性基礎」「ヒューマンファクタ特論」「サイバースペース表現特論」(以上、大学院国際情報通信研究科)、「バーチャルリアリティ」「総合講座U メディア」「環境芸術」(以上、人間科学部)。


戻る


 第909号 Sep.21,2000


就職・恋愛にも応用できる…美しい言葉使い講座

評者・森川 友義(国際教育センター助教授)

『お嬢さまことば速修講座』 監修 加藤 ゑみ子 ディスカヴァー21社:定価1200円

 本書は一九九五年が初版であるが、五年経った現在でもその実効性はいささかも揺ぎないものである。乱れた日本語が氾濫している昨今、学生に推薦できる名著中の名著であると思う。もちろん、乱れた日本語を意図的に使用することによって、乱れた若者を演じてみたいという欲求を持つ学生には本書は必要ないが、お嬢さま言葉を使って、時にはお嬢さまを演じてみたいと思う人にはうってつけかもしれない。

 そもそも本書のタイトルは「面接に役立つ正しい言葉使い速修講座」でも、「もてるための言葉使い速修講座」としても良いのであって、就職、恋愛等に応用がきき、その副次的効果も大いに期待できる。またお嬢さま言葉は自分と他者との距離を明確にさせることから、どう人と交わってゆくかについても深く考えさせてくれるのである(例えば、お嬢さまは「すみません」とは絶対に言わない等)。面倒くさいのはちょっとぉ、と思い、もっと気楽に「ブティックやレストランで大きな顔をしたい」という女性にも最適である。

 現代人、特にビジネス・(ウー)マンの言葉使いは「話し方は早口で、簡潔に、結論から。反応は、素早く、断定的に、特に否定は明確に」が原則であるが、長い人生ではその全く逆の言葉使いが必要になってくるものである。その両極を知ってこそ、人生の達人となれるのである。なお、本書は言葉の使用頻度順に書かれているので実用的であり、また男性にも充分応用可能であるので、男性にも推奨したい。

 本書が気に入った場合にはその続編として「お嬢さま生活復習講座」がある。二つを読破した(立ち読みでも良いと思う)後には、ワセ女のあなたは本当のお嬢様になってしまうかもしれないので念のため。

もりかわ・とものり

1955年生まれ。2000年4月嘱任。「国際政治」「比較政治」担当。


戻る