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えび茶ゾーン
 

1268号 (1月19日発行)掲載

 カンニングやレポートの丸写しはなぜいけないのか。教育上の理由はいろいろあるだろうが、大きな理由のひとつは自分で考えることを放棄する罪である。これは日本を滅ぼしかねないのである。

 福島の原発で、日本最初の原子炉を設計した元技師の告白によれば、日本に設計ノウハウがなく、米国製の原子炉の設計をそのままデッドコピーしたそうだ。当時の米国ではハリケーン対策が主流で、地震と津波は想定されていなかった。そのためハリケーンには強いが津波に弱いところが随所にあったそうだ。たとえば地下に非常用電源を置いたのはハリケーン対策であり、津波には弱い。日本の状況に合わせてその当時しっかり考えていればここまでひどいことにはならなかったかもしれないと後悔しているとのことだ。

 自分で考えること、それも批判的に考えることを学生の間にぜひ身につけて欲しい。ここでいう「批判すること」は「非難すること」ではない。他人の欠点を責めるのではなく、自身の状況に照らしてその妥当性を考えるのである。

 表紙まで他人の名前のレポートを平気で提出したり、インターネットで検索して授業内容とは相容れない文をコピペすることをやっていたのでは批判的思考は身につかない。こういう学生は概して卒業研究がなかなか進まない。研究には解がまだない。どこにもない解を探索する行為から自分で考えることに移れないと卒研はできない。だから卒研が終わるとたいていどの学生も一皮むけるのである。

(ST)

1267号 (1月12日発行)掲載

 最難関の国家試験のひとつへの合格を目指す学生を多く抱えている私の所属箇所では、当該試験の最終合格発表が行われるこの時期、我々教員も学生たちと喜び・悲しみを分かち合うこととなる。苦労が報われ、合格を勝ち取った学生たちと喜びを共有できるのは私たちの特権だが、努力が報われなかった学生たちを励ますため、彼らの心に届くようにと慎重に言葉を選び取るのは、我々の責務とはいえ身を切られるような営みである。また、どれだけ彼らの心に寄り添おうとしても、上滑りするような言葉しかかけられない自分の無力さに落胆する時期でもある。

 国家資格に挑戦し始めるのは容易だが、首尾良い結果が得られなかった時の「引き際」を見極めるのは困難である。最終的には本人の「納得感」が何よりも重要であるから、受験を続けようとする学生たちに対する安易な助言は差し控えているが、「意地や面子、プライドよりも大事なものがあるのではないか」と言いたくなるケースは多い。むしろ国家資格の取得が当人にとって必須と感じられるケースの方が少ない。

 中学時代の恩師が語っていた「今からでも遅くない(やり直しはいつでもできる)」が思い出される。個人的な体験からも「本人の心がけ次第で失敗さえもやがて糧となる」は普遍的な真理といえそうである。これらの言葉を努力が報われなかった所属箇所の学生たちのみならず、今進路に悩んでいる読者のすべてに捧げたい。

(M.Y.)

1266号 (12月15日発行)掲載

 科学技術の進歩の功罪ないしは善し悪しについては、さまざまに考察されてきているが、少なくとも、かつては世代を超えて維持されていたつながりが断ち切られる結果をもたらしているのは間違いないだろう。

 何とも大袈裟な書き出しになってしまったが、言いたいのは、極めて身近な次のこと。少なくとも1960年以降の親たちは、自分が子どものときにはできなかった諸事を実行できる子どもたちを、相手にしなければならなくなったという事態である。例えば、筆者が子どものころに何度となく親から言われたのは「夜遅くまでテレビを見るな」と「友達と長電話をするな」だったが、まさしくこれらは我が両親が子ども時代には不可能な行為であった。

 親の立場となれば注意せざるを得ないが、自分も子どものころはやったものだったから理解はできる——こんな、世代を超えて維持されていたつながりが、科学技術の進歩のおかげで、ほとんど望めなくなっているわけだ。筆者の世代にとっては、ケータイ、インターネットなどが、自分が子どものときには存在しなかった物の代表例になる。

 実は筆者自身は育児なしの人生を送ってきており(おそらくは今後も同様だろう)、もっぱら親となっている同級生からの話を聞かせてもらうにとどまっている。

 「おいおい大事なことを忘れているのではないか」と指摘したい方が、おられるだろう。そう、教員と学生の関係も事態は同じ。どう対応すべきか、当事者の1人として、科学技術に頼らぬ方法があると信じているのだが…。

(K.H)

1265号 (12月8日発行)掲載

 今秋、初めて韓国を旅行した。釜山(プサン)近郊では、日本とよく似た山並みを背に、所狭しと建ち並ぶビル群に圧倒された。バスの車窓越しに見た光景ながら、日照権をこちらが心配するほどだった。ガイドによれば、ビルの大半がマンションで、核家族化が進んだ韓国ではマンション需要が増していること、そしてまた、あのような建築は地震の心配が少ないからできる、とのことであった。

 3・11から8カ月以上が過ぎ、年の瀬が近づくにつれ、東日本大震災を振り返って検証する新聞記事やテレビ番組が増えている。復興促進のためにも、多角的な検証・分析、今後を展望する報道は当然求められる。しかし、今なお多くの方々が故郷を奪われて生活していることも決して忘れてはなるまい。

 今回の韓国旅行を通じて、風土がもたらす郷愁を再認識した。釜山近郊のビル群に日本との違いを感じながらも、その背景をなす山並みに強く親しみを覚えたのは、私自身が山並みを毎日眺める環境で育ったためである。自ら意図して離郷した者にとっても、郷里は忘れがたいものだと改めて実感させられた。まして期せずして郷里を離れざるを得なかった被災者にとって、望郷の想いはいかほどのものであろうか。

 被災者の方々の複雑なる心境を他者が真に理解するのは難しいかもしれないが、当事者の心境へ「心を寄せる」ことはできる。日本各地、世界各国から多くの学生・教職員を迎えているWASEDAにおいて、こうした心の持ちようが大事にされることを願う。

(SK)

1264号 (12月1日発行)掲載

 授業でのちょっとした話題に、これまで自分がしてきた旅の話を取り上げることがある。旅先の文化や習慣、見聞きしたもの、食べたもの、そして旅ならではのエピソードなど。かつて私がそうであったように若い学生たちにも、未知の世界に対する興味をもってもらいたいと思ってのことだ。しかしいつのころからか、旅の話に学生が関心を示さなくなったように感じていた。その理由のひとつに、私が語る旅の話が、古いものになると20年も前のことという「鮮度」の問題があるのは疑いない。しかし旅への関心の低下のみならず、海外へ留学しようとする若者も激減していると聞くと、事情はそう単純ではないのかもしれない。

 この現象は一般的には「内向き志向」と呼ばれ、国際化が進んだ社会へ出ていく若者が「内向き」では困る、という文脈で語られることが多いようだ。もちろん当人の向き不向きを抜きにして「外向き」を勧めることは乱暴であるし、社会に貢献するには「外向き」でなければならない、とも思わない。ただ「内向き」で過ごすだけでは「もったいない」と、思うのだ。

 本紙の別冊である『新鐘』最新号は「旅」をテーマにしている。「旅行」ではなく、あくまでも「旅」というところがいい。学生、教員、卒業生がさまざまな立場や目線から語る「旅」は、いずれも興味深い。この1冊が、学生の目を「外」に向けさせるきっかけになるかもしれないと思う。少なくとも旅の「鮮度」を取り戻したい私は、『新鐘』最新号にいたく旅心をくすぐられている。

(w)

1263号 (11月24日発行)掲載

 交流協定を結んでいる韓国の大学へ大学院生を引率した。相互の研究発表による交流が主目的である。合間で、現地の大学の教員と食事をしながらの会話、研究所の訪問などから、韓国の競争社会とそこに教育機関が大きく関わっていることをひしひしと感じた。

 中間試験の週でもあり大学生たちは緊張の面持ちに見えたが、それは韓国では大学の成績が就職を大きく左右するという話を聞いた後だったからかも知れない。

 大学までの学校教育のさまざまな場面で全国レベルのテストがものをいう。6、9、11学年で実施される日本でいう学習指導要領の達成度を測定するテストでは、生徒個人の達成度、教員に対する調査、学校に対する調査を突き合せて、どのように教育の質の向上を図り生徒の学力を向上させるかが検討されるという。基準点以下だった生徒が多くいる学校には特別支援がなされ改善状況がチェックされる。大学入試や大学での試験はこうした仕組みの一環と考えれば、その厳しさは特異ではない。

 グローバル人材養成という目的のもとにPDCA(plan, do, check, act)サイクルを回すためには、チェックの部分でテストを行い教育の成果をデータで示すことが、資源の投入との関係で求められる。こうした状況が何となく腑に落ちないものの、かつて受験競争に対する批判がゆとり教育につながり、それが学力低下をもたらしたとして授業時間数の増加になったという日本の30年と比較すれば、目標に向かって走る韓国の教育はサバイバル・ストラテジーとしては有効なのかもしれないと思ったりもした。

(A)

1262号 (11月17日発行)掲載

 東日本大震災から半年以上が過ぎたが、被災者の住宅問題解決やコミュニティの復興はまだ端緒についたばかりである。そして復興のプロセスやそのポリティクスから立ち現れてくるのは、この国の〈共生〉のしくみの貧しさである。

 義援金の支給が遅れるなかで被災地ではヤミ金融が横行し、義援金の支給を理由とする生活保護受給の打ち切りが問題化した。復興と雇用の一体的解決の切り札としてキャッシュ・フォー・ワークの活用が言われる一方で震災を理由とした派遣切りが各地で相次いだ。避難所からの退去においては被災者間の格差が露呈し、お金や人間関係の「溜め」の多寡がひとりひとりの〈人間の復興〉に大きな格差をもたらしている。

 それだけではない。復興のための財源確保のために子ども手当が縮小/廃止されたことに象徴されるように、被災地支援と社会保障はなぜかトレード・オフの関係として論じられ、被災地復興において大きな期待が寄せられたボランティア活動も、大学・自治体・障害者団体等の活発な取り組みにも関わらず、震災後3カ月間の被災地ボランティア延べ人数は阪神淡路大震災の3分の1にとどまっているという。

 被災地支援において顕在化する軋(きし)みの数々から問われているのはこれまでの日本型福祉社会の〈公共〉である。これまでの「共助・公助」の脱構築を通じ新たな〈共生〉社会再構築の視座が求められている。恐れずにパンドラの箱を開け、せめぎ合う現在進行形の問題を精査していこう。〈希望〉はまだ箱の底に残っている。

(K.O)

1261号 (11月10日発行)掲載

 ようやく4年生の就職活動も一段落し、ゼミに全員が顔を揃えられるようになったと思いきや、今度は3年生の就職に向けたセミナーやガイダンスが始まりつつある。就職活動の早期化・長期化で学生も大変である。

 就職情報会社が大学生へのアンケートに基づく就職人気企業ランキングを公表している。各社により多少の差はあるものの、いずれも名の通った企業が名を連ねている。思い立って、筆者が学生当時のランキングを検索してみた。今もランキング上位に名を連ねている会社もある一方、合併したり倒産に至った企業もあり、社名も変わらず存続しているのは半数程度であった。

 筆者は大学院への進学を志望していたため、本格的な就職活動は行わなかったが、就職情報雑誌に綴じ込まれている資料請求ハガキなるものを送ったことはある。その中でもなかなかいい会社だと思っていた企業はその後経営破綻し、今はもうない。

 かつてのように終身雇用が当然と考えられていた時代ではないが、就職の際の企業選択が人生の大きな岐路であることは今も変わりはない。ランキングの上位に入っている会社は、その時代の花形産業ではあるが、景気の振れ幅や時代の移り変わりにより、人気や業績は大きく変動する。企業の中で中核として力を発揮するのは10年後、20年後である。ぜひ、先を見据えて自らの進路を主体的に選択してもらいたい。

(K.Y)

1260号 (11月3日発行)掲載

 “Stay hungry! Stay foolish! ”故スティーブ・ジョブズ氏が“The Earth Catalogue”最終号から引用したフレーズは、今世界中で再引用されている。

 多くの名文句がそうであるように、このフレーズを人はそれぞれに読み取る。特に後半部はさまざまな解釈が可能だが、私は「常識を疑え!」と読みたい。コペルニクスやダーウィンはそれまでの常識、いや世界観を完全に覆した。今年のノーベル化学賞も、かつての学会の常識を覆す準結晶の発見者に与えられた。もし、ニュートリノが光速を超える速度をもてば、物理学の常識は再び覆される。常識や権威は常に正しいとはかぎらない。

 ビジネスの世界でもそれまでの常識を覆すことで急成長を遂げた企業は数多い。身近な例では、今ではすっかり定着した缶(やペットボトル)入りのお茶や、点滴用の輸液を基につくられた青いパッケージのスポーツ飲料などは、いずれも当時の常識を無視するfoolishぶりが如何なく発揮された商品だったと聞く。

 ジョブズ氏は56歳まで常識に挑戦を続けた真の道化師(fool)だ。道化にあこがれつつも、常識の世界から抜け出せぬまま齢を重ねる私にはかの言葉がグサリと突き刺さる。だからこそ、皆さんにはおおいにfoolishぶりを発揮してほしい。常識にとらわれない自由な発想と実行力は若者が握る大きなアドバンテージなのだから。ただし、言葉面だけを追い、「馬鹿な」行為に走ることなきよう!

(A.K.)

1259号 (10月27日発行)掲載

 「考えるって何ですか?」高尚な質問かと身構えると、学生は「思う」との違いが分からないと言う。感覚を武器に命を維持する小動物も何かを考えているように見えることがある。

 しかし動物は、複数の物事を結びつけてとらえることが得意ではない。「ワン」「ニャー」など微妙に異なる声で、痛い、お腹空いたと鳴く。複雑な事物を概念化しその関係を理解し、新たな解釈をふんだんに加えながら論理的に考える力を持つのが言語や文字を持った人間であろう。しかし、「カワイイ」「ヤバイ」との叫びに終始する会話が流行っている。

 ウェブは、世界中の情報を瞬時に机上に呼び寄せる夢の環境を実現した。ここ10年、学生だけではなく、記者など原稿書きも編集者も、まずはパソコンでググって原稿をなすとの話をよく耳にする。集まってきた情報を選別する目を持っているのかが問われる。検索で上位にあるから信頼が置ける、またクイズのような質問への名無しの回答に、自身の知を託すことができるとすれば、なぜだろうか。

 知識は上手にコントロールできれば多いに越したことはない。的確な調査法を身につけておけば、不足する部分には便利なツールを駆使することで近似値を得られるが、それで万全か。考えることを放棄した人が行き着く先はどこだろう。楽に流されては危うい。間違ってもいいから思考してみることだ。命をもつ人間しか物事を考えることができないという現実を肝に銘じ、知識、調査と思考の連携を大学生活で身につけ、「常識」だらけの現実の世間へと旅立っていって欲しい。

(S)

1258号 (10月20日発行)掲載

 スポーツの秋。秋季の「早稲田スポーツ」もいよいよ本格的な活動の時期に入ってきた。競走部の53年ぶりインカレ優勝を筆頭に今年も早稲田スポーツが盛り上がる予感がする。スポーツ界ではイチロー選手が今年は200本安打を達成することができず苦しんだ。サッカーのなでしこジャパンはワールドカップ優勝、オリンピック出場など目ざましい活躍がみられた。ラグビーの日本代表はワールドカップで苦戦したが、着実に世界へのステップを歩んでいるように思える。大きな大会、国際大会、シーズンの成績など良い成績を残せば注目されるし、話題になるが、そこにはチーム、選手の日ごろの鍛錬が表れているのである。

 来年はロンドン五輪を控え、スポーツ界全体が4年に1度のスポーツの祭典に向けて大きく動いている。それは単年度での成果ではなく、自分の人生を賭けた大勝負が待っているということだ。

 在学中に少なくとも1回はオリンピックの開催と重なるが、早稲田スポーツと日本のスポーツがどのように戦うのかを注目してほしい。それはメダルや順位だけでなく、その取り組み自体が価値あるものであるからだ。なかには情報提供がなされないものもあるが、全ての結果に原因があるように、何ゆえその成果に結びついたのかを知る機会があれば一層共感できるのではないかと思う。あくなきチャレンジを続けることの大切さを実感できる時期がまた到来する。

(K.O)

1257号 (10月13日発行)掲載

 藤沢周平をご存じだろうか。時代小説の名手と書くと、文学好きを自認する学生からは軽く見られ、他の学生には年寄りくさいと敬遠されそうである

 いいものはいいと開き直らずとも、井上ひさし、丸谷才一、宮部みゆき、辻仁成…と藤沢ファンの文筆家は多い。過日、世話になった卒ゼミ生に図書券を贈る際、ふと氏の名を記したら、後に「ちょっとハマリぎみ」と返信が来たので、若い人も満更ではないようだ

 お嬢さんの遠藤展子によると、氏の教育方針は「普通が一番」であった。幼い娘をもつ父親として、この言葉は含蓄がある。幼稚園で我が子にどこか抜きんでたところがあれば嬉しいし、隠れた才能を伸ばそうなどと欲が出る

 『世界に一つだけの花』に限らず、個性尊重、個性を伸ばす教育が喧伝される時代である。個性の魅力を否定するつもりはないが、養老孟司は「若い人に個性は心や思考だと教えるのは可哀想」、なぜなら「万人に共通のもの、それが心」と述べる。養老流の逆説だが、要は反復学習と身体経験を重んじる「ふつうの教育」が軽視される危うさを説いている

 近年、個性的であることと他人と異なること、自分らしくあることと努力しないことを、混同して主張する学生が増えてきた気がする。藤沢文学の特徴は清冽(せいれつ)な矜恃(きょうじ)と人情の機微(きび)を穿(うが)つユーモアにあるが、それは前半生に抱えた忍耐と鬱屈から生み出されたという。すぐれた個性が、矜恃ある「普通」から生み出されたことに注目して欲しい

 私も自省を込めて、「普通」の教育とは何かを再考してみたい。

(TKM)

1255号 (9月29日発行)掲載

 3月11日、あの時たまたま居室にはいなかったが、夕方落ち着いたころに戻ってみると大変なことになっていた。居室は比較的新しい建屋の6階にあるのだが、壁一面に高さ2mほどある本棚の転倒防止金具は捩(ね)じ切れ、収められた本や資料が崩れ落ち、床は本の海と化していた。ここは制振構造も入っていると聞くが、長周期地震動という奴にはすこぶる弱かったらしい

 数日後、歪んだ本棚を直してもらい、この際思い切って大掃除と手を付け始めたが、これが一向に進まない。積読(つんどく)のまま行方知れずだった本を発掘してはつい読み始めてしまうといったこともさることながら、古い本や資料に挟んだ手書きのメモを見付けてしまうと途端にそこで手が止まってしまう。昔読んだ本の活字をにらんでいても当時のことはなかなか思い出さないが、書いたり消したりまた書き足したりと紆余曲折した手書きのメモを見ていると当時の状況がありあり思い浮かんでくる(錯覚かもしれないが)。学生時代に頭をひねった問題を見て「なかなか良いところに目を付けているな」とか「なんでこんなのが解けてないんだ」とか自分を褒めたり貶(けな)したりしながら思い出に耽(ふけ)ってみたり、「この問題はこっちと関係があるな」とか「こう考えた方が良いのでは?」と新たな発見もあったりする。どうやら手書きメモには苦労した分の不思議な力があるらしい

 なんだか宝の山を発見したような気分だが、あれから半年、いまだに全ての本が片付いていないのは困ったものだ。(N)

 

1254号 (9月22日発行)掲載

 夏休み中にカナダ・プリンスエドワード島をレンタカーで周ってきた。日本人には『赤毛のアン』の島として有名であるが、B&B(Bed & Breakfast)で一緒になったカナダ人ご夫妻によれば、この島は彼らにとっても‘special’に感じられるそうだ。確かに起伏に富んだ内陸の田園風景、赤土の切り立つ絶壁が続く海岸線、点在する岬の灯台など、写真集の1ページのような風景にあふれた島である。

 私たちと同様にレンタカーを借りて海岸線をめぐる日本人の夫妻にも何組かお会いしたが、例外なく奥さんの方が元気で、モンゴメリ所縁(ゆかり)のスポットを含めて、主な観光ポイントを駆け回っていたようである。鉄道駅跡のベンチでモンゴメリになりきってポーズをとっている妻の写真を撮るのは面倒なのだけれども、それでも気分は悪くもない。

 研究上で株価や為替レートといったデータを扱っていると、文学、それもモンゴメリのようなタイプの作家はひどく遠くの存在に感じられる。そして島の上に広がる青空を見上げながら、博士課程以降は研究とまったく関係のない本を手に取る回数が減ったことを思い起こす。専門性も重要だけれども、同様にliberal artsも重要だということには大学人になってから痛感させられた。人として自由でなければ、研究者としての自由な発想もないのである。

 そう思って来年のドイツでの国際学会の準備としてゲーテの文庫本を読み始めて、肝心の研究が夏休み中に進んでいないことを思い出す。なかなかうまくはいかないものである。(H.T.)

 

1253号 (8月4日発行)掲載

 キース・リチャーズの自伝が出た。あのローリング・ストーンズの、だ。(といっても、そろそろピンとこないのかもしれないが)口頭によるインタヴューをまとめたものだが、訳もうまいのか、その話し言葉も含めてなかなか面白く、読み始めたら目が離せなくなくなった。

 ぼくも相当の歳になったが、それよりもう少し年上でそろそろ70歳が近くなっているというのに、少しもリタイアする気配がない。常に音楽を追い求め、本を読み、ひとと会う。いやなことはいっさいやらない。やりたいことはとことんやり続ける。その生き方は、常識からすれば、もう無茶苦茶ということになるのかもしれないが、しかしそこには常に、極めてクレヴァーな頭脳と、逞しくてタフな身体とがあったことが分かる。それがなければ、もうとうの昔に死んでいておかしくはない。

 この種の伝記は単なる成り上がりの物語になるところだが、そこに止まらない魅力がここにはある。なにより創作活動の現場が生き生きと描かれているからだ。しかもそれは、ひとりの芸術家が孤独に取り組んでいるというのでもないし、またオーケストラみたいに全体を統轄するひとりのコンダクターについて行くというものでもない。ここでの魅力は創作活動が数人の共同作業である点だろう。仲がいいとは必ずしもいえない場合も多いのだが、それでもやっぱり「友情」というしかない唯一無二の関係が、複数の要素を併せもつ音楽=作品を生み出していく。ワクワクさせる集団作業のマニュアルだ。そこでのキースはギタリストというよりも、まさに音楽家。(きっと元気がでます)(RS)

 

1252号 (7月28日発行)掲載

 小学生の時に大地震を体験した。「液状化現象」という言葉が日本国内で知られるようになった地震であった。自宅は全壊し、避難生活を余儀なくされた。デマも風評も経験した。緊急時における人々の変わりようも目の当たりにした。

 「災害は忘れた頃にやってくる」と言った人がいたが「災害は忘れていなくてもやってくる」ことを、東日本大震災で思い知らされた。確実にやってくるであろう首都直下型地震にどう備えるか、個人レベルでの話を授業で話すことがある。普段偉そうにしている人が、意外と利己的な行動をしていたこと。一見頼りなさそうに見えていた人が、家族の安否の心配も表に出さずに責任感ある行動をしていたり、テキパキと周囲に指示を出すリーダーシップを取っていたりしたことを、子どもの目線で見ていた。

 今回の大震災後、科学・技術への信頼が薄らいでいるという。また、実際そのような言説も耳に聞く。そもそも科学とは何か、科学者とは何かと問う文化の欠如がその背景にあると思われてならない。

 振り返って見たときに、見えてくるものがある。ああすればよかった、こうすればよかったと思うことは人の常だが、われわれの想定を超える災害時で重要なことは、人々の協力であると経験から学んだ。防災訓練は、緊急時に備えての協力関係をいかに築くかという確認の場と考えている。授業中の脱線話としてする避難体験の話は、卒業しても覚えてくれている。教え子たちにはできたら生死を分かつ経験をすることがないことを願っている。(IH)

 

1251号 (7月21日発行)掲載

 最近、近くの字がぼやけて見える。若い時分から近視と付き合ってきたが、いよいよこちらも始まったかと嘆息した。目の大切さは馬齢を重ねるにつれ、身にしみる。

 しかし、大岡昇平は、その美しい短編『歩哨の眼について』で「視覚はそれほど幸福な感覚ではないと思われる。」とし、ゲーテの『ファウスト』を引用している。塔守リュンコイスは、遠方の老夫婦の家が悪魔に燃やされるのを、塔の上からそのすぐれた視覚ではっきりと見つめ、助けられないことに絶望する。「眼が物象を正確に映すのに、距離の理由で、我々がそれを行為の対象とすることが出来ない。それが不幸なのである」と大岡昇平はいう。

 3月11日からの数日間、私はテレビの前でだらりと手を垂らし画面を見つめるばかりだった。瞬きも忘れ、凄まじい虚脱感と無力感に繰り返し襲われた。恐らく現場はもっと過酷で凄惨であることを想像しつつ、未曽有の惨禍に呆然としていた。何も出来なかった。

 だが、眼を逸らさず画面を凝視しつづけた。絶望的な距離まで津波が押し寄せるのを見つつ老人の背を撫でて遅々とした歩みを共にする青年の悲壮なまなざしや、家族を喪いつつ避難所で人々に食事を配布する介護士の女性の「逃げません」という唇の震えを、目を閉じて漆黒に追いやることは出来なかった。闇の中のその光を、被災地の外の自分は血走った目を凝らして見つめ、悼み、そして継いでいくしかない。

 視覚は時として不幸だが、決して無為ではなかろう。その先があるはずだ。 (M・S)

 

1250号 (7月14日発行)掲載

  近年の学生を見ながら自分が大学生だった頃を思い出すと、なんて不真面目な学生生活を送っていたかと反省する。授業の最初の数回を聞いて面白くないと思えば、それ以降は自主休講。あとは、頼りになる友人がいればそれでよし。授業に出席しないで優をとったことを自慢したりもしていた。

 大学も寛容で、授業の初回と最後は休講というのが暗黙の了解だったし、自然休講というのもよくあった。出席を取る授業など数えるほどしかなかった。大学は自分で勉強するところだという雰囲気を、教員も学生も強く持っていた。

そんな大学生を採用する企業の側も、「大学時代は勉強なんてしなくてよい、勉強は会社に入ったらするものだ」などと言っていたような気がする。そうやって会社に入った世代が、会社のトップに位置するようになった今、企業の大学に対する要求はまことに厳しい。「近頃の学生は勉強不足。大学がきちんと教育をしてよい人材を送り出してもらわないと、日本の将来は心配だ」という声をよく耳にする。

しかし、近年の大学は以前と比較して状況が変わってきていることを企業の方々はご存知ないのだろうか。休日をつぶしてまでの半期15回の授業、休講に対する補講、各回の授業内容を公表したシラバスなどは当たり前である。学生も欠席回数を気にして授業に出席するし、かつて言われた授業中の私語は近頃あまり話題にのぼらない。大学の変容が見えないのか、大学の努力が学生の成果となっていないのか。一考に価する研究課題である。 (A)

 

1249号 (7月7日発行)掲載

 小説家 野呂邦暢(くにのぶ)が書いた古本をめぐるエッセイはどれも書物愛にあふれている。たとえば、諫早の古本屋で手に入れた小野十三郎の『抒情(じょしょう)詩集』が、町を襲った洪水で流された話。彼は5年後、早稲田の古本屋で同じ詩集を見つけて買い求めている。「まだ古本の値段が暴騰する以前の話」で、詩集の値段は「四百円であった」という。今ではそんな値段では手に入りませんよという含みがある。読んでいると胸がきゅんとなる。このエッセイが書かれたのは1979年、たしかにあの頃古本はとても高かった。ぼくは当時大学生で、早稲田や神保町や中央線沿線の古本屋でブックハンティングをしていたからよく覚えている。

 それに比べたら今は別世界だ。古本は安い―というか安すぎる。ぼくたちが愛し、頼りにしてきた書物文化の行く末を考えれば、古書価の低迷は不吉な前兆と言うほかない。とはいえ、懐具合をあまり気にせず蔵書を増やせる今は、ありがたい時代でもある。おまけに、多くの人がそっぽを向く汚い本を新たに読み替えて、誰も気づかなかった価値を見いだせるチャンスが、あちこちにころがっているのも確かなのだ。憂い顔をするのはやめて、うまずたゆまずアンテナの感度を磨いたほうがいい。

 季節は初夏、昼下がりのキャンパスで顔見知りの助教さんとすれ違った。ニコニコ顔で会釈した彼女は、特大の買い物袋を重たそうに提げている。どうやら近所で掘り出し物をしてきたところらしい。ぼくも負けずに、授業が終わったら古本屋をひやかしにいこう。(NT)

 

1248号 (6月30日発行)掲載

 東日本大震災発生後、買い占めによる欠品が店頭に戻り始めてもヨーグルトは姿を消したままだった。その製造には多量の電力が不可欠なため、計画停電によって生産能力の落ちた工場では生産が追いつかないからだ。風が吹けば桶屋が儲かる、なんてことわざは今の学生にはもう古いのかもしれないが、ともかく今回の震災では地理的な連鎖というものを痛感した。

 この連鎖なるもの、空間的な拡散にとどまらず、時間という基軸にも当てはまると思われるのだが、今の自分の選択や行動がどういう結果につながるか無自覚なことも多い。目先の単位取得の方便として楽勝科目ばかりを選んだり、じっくりと時間をかけて勉強をせず試験直前に付け焼き刃という学生も多いのではなかろうか。就職活動にしても、もっか人気の職種ばかりに飛びつきがちだ。足下のことを疎かにしては未来が開けないのはいうまでもないが、学生諸君にはあまり近視眼的に大学時代を過ごしてもらいたくない。2~30年先の自分に投資するくらいの気もちで、自己の専門分野と無関係に思えることにも本気で打ち込んでほしい。

大学は製造業やサービス業ではないから、教員は製品やサービスを売ることはできない。我々が提供できるのは夢だ。(甚だいいかげんな商品だがこれ以上ステキな売り物はないと思っている)それが大げさな物言いというなら、夢の種を学生に蒔く仕事と言い換えてもいい。数十年後に、たった一人でもその種から花を咲かせてくれることを願いながら日々教壇に立っている。(KK)

 

1247号 (6月23日発行)掲載

 早稲田大学で学ぶ多くの留学生たちは、どのような先輩たちがかつて早稲田に留学していたのか、興味をもっているのではないかと思う。多方面から調査し、国ごとに記録を整理したものがあれば、そのような問い合わせにも対応することができるだろう。

 大学からこれまでに多くの資料が公表されていることはいうまでもないし、それ以外にも個々の研究者がさまざまなテーマのもとに取り組んでおり、多くの成果が生まれているにちがいない。だが、どこにどのような資料があるのか、一般にはわかりにくい。このような仕事は個人で取り組むには限界があることも明らかである。時間の壁は厚いが、埋もれている原資料もまだまだ存在するはずである。新たな発見があるかもしれない。

 それと同時に、不確かで検証されていない事柄に関して、現時点でどこまでわかっているかということを明らかにする機会とすることもできるだろう。

 早稲田に留学した人々の足跡は研究テーマになることもあり、この視点からの早稲田大学の意味を改めて確認するきっかけになる。長い年月を経ていればわからなくなってしまっていることも多く、諸説が存在することは驚くに値することではない。視点を広げれば、なぜそのような説が生まれたのか、それはどのようにして伝えられてきたのかといった点も含めて考えることもできるのではないか。それらを整理して示すことにも何らかの意味は出てくるだろう。そこにもまた歴史のひとこまひとこまが刻まれているからである。(T)

 

1246号 (6月16日発行)掲載

 世阿弥の『風姿花伝』に、「男時(おどき)」「女時(めどき)」というのがある。運気が向いて昇り調子の時が男時、逆に流れに乗れないスランプが女時なのだそうで、「時」にもジェンダーがあるらしい。

 森羅万象なにごとも、男性原理と女性原理の二項に分類して女側を劣位に置くことでコト足レリとするのは西欧近代主義に特有の悪弊だと考えていたので、世阿弥の発言はどうも気になる。

 翻って見ると、昔から、男と女はやたら二項対立の具に使われた。たとえば高尾山には急勾配の男坂と傾斜の緩やかな女坂がある。勇壮な熊本城は男城で、優雅な姫路城は女城と呼ばれている。また大綱引きの巨大な綱は、結び目の形態で雄綱と雌綱に分かれている。しかし女を劣位に排除するものではなかった。

 世阿弥の男時/女時も、じつは優劣ではなく「陰/陽」の表裏一体の関係にある。世阿弥の時代、舞台は男だけの世界だから、役者は両性具有的で性を超越しなければならなかったからだ。

 「女形」が消えた近代舞台では、「女優」が不可欠になった。性別に則して男は男、女は女の役割が張り付くのが普通になったのだ。これで女性排除は無くなったが、逆に舞台上のジェンダー秩序は強化されたことになる。ジェンダーに縛られた役者たちは、いわば素顔で舞台に上がるようなもので、写実を超える演技の審級を失ったと言える。

 せめて舞台だけでも、女優/男優の区別を消してみたらどうだろう。そもそもジェンダーはパフォーマンスなのだから。(勝)

 

1245号 (6月9日発行)掲載

 3月11日に起きた東日本大震災の直後、私はあるプロ野球球団の広報誌から取材を受けた。そのテーマは、今回の大震災で被害を受けた人々に対し、「スポーツは何ができるか?」である。そこで今回は、大震災とスポーツについて考えてみたい。

 人々が自由時間に自発的に行うスポーツは、実は遊びであり、自己実現の手段である。しかしスポーツに対する欲求は、日々の生活が満たされて生まれる「高次の欲求」であり、身の安全とシェルターを求める被災者に、スポーツをする余裕はない。事実、震災直後は、食糧とシェルターの確保で精一杯だった。

 しかしながら、遊びの天才である子どもたちはすぐに順応し、被災地でできる遊びを発見する。スポーツ選手に出番があるとすれば、この時だろう。福原愛選手のようなトップアスリートが被災地を訪問し、卓球を通じて子どもたちを勇気づけるのは、スポーツが被災者に対してできるまっとうな貢献である。

 その一方、避難所での生活が落ち着いても、仕事に戻れない大人たちは、無為な時間との戦いを強いられることになる。そのような大人たちに対してスポーツができることは、日常生活にリズムと喜びをもたらすことである。プロスポーツならば、人々の生活に日常(リズム)と喜びを与えるために、全力でプレーすることが社会貢献に結びつく。それが被災者に感動と生きる力を与えるのである。震災後に訪れた石巻市で、半壊した自宅を片づける被災者がかぶっていた楽天の帽子が忘れられない。(M.H.)

 

1244号 (6月2日発行)掲載

 「もし人違いだったらすみません」こんな一行ではじまる見慣れないアドレスからメールが届いた。ヨーロッパのある都市で開催された海外に駐在する日本人を中心にしたラグビーの大会後、新たな出会いや再会を喜ぶ出場者間で交わされたメールの中に、私のアドレスを発見したらしい(私はその場にはいなかったのだが)

 院生時代の私は、週末のほぼすべてを趣味のラグビーに費やした。博士課程の時には、医学部体育会クラブのコーチもしたりした。連絡の主は、当時の部員で、今は医師としてロンドンに留学中とのことだった。この大会に参加した者以外にも仲間にこの大会の様子や自らの近況を報告するメールの中に、偶然にも私の名前を発見したようだった。驚いたのは、この大会には、これまた私が院生当時所属していたチームの仲間も参加していたのである。彼らは、ヨーロッパの大学で研究者として、あるいは企業戦士としてそれぞれに活躍していた。その場にはいなかった「私」という共通の「仲間」を触媒にして、彼らが今大会の想い出とお互いの関係をより豊かに醸成していく様子を「Cc」で流されるメールで確かに確認するのが何とも嬉しかった

 彼らと一緒に汗を流した当時も、「あの時間」は相当に毎日を充実させてくれた。あれからウン十年経った今、こんな出来事が、あの時感じた充実感とはまた違った、何とも言えない喜びを自分にもたらしてくれるとは当時は想像もしなかった。

 これからウン十年後にも今回と同じような喜びを得られるような「仕込み」を、今も大事にしたいと思う。しかし、その実現にはあの当時なかったいくつものハードルを越えなきゃいけない…。でもまずは、ウエスト-85cmから。(A.O)

 

1242号 (5月19日発行)掲載

 ツイッター、ミクシィ、ブログなど、インターネットで情報を公開している皆さん、プライバシーに注意しているだろうか。名前は明かしていない、 顔写真は出していないから大丈夫、と思っているとひどい目に遭うかもしれない。

 4年前、自爆テロを名乗る人物から一通のメールを受け取った。そこには、自分の生まれた年と都道府県名が記載されていた。そして、 「自爆テロに反対なのかそうでないのかを3日以内に返信しなければ、おまえの住んでいる近くで自爆テロを起こすぞ」と書かれていた。これには本当に驚いた。

 しかし、冷静に考えると、大学の取材記事にこれらの情報が載っていることを思い出した。電子メールアドレスはその記事には書かれていなかったので、 他の記事などから、ひも付けたのだろう。まずまずの技術の持ち主だ。

 こうしたメールには、決して返事をしてはいけない。返事をすると、大変なことになる。 このようなメールを受け取ったら、迷わずITセンターヘルプデスクへ相談しよう。

 最近の技術の進歩はすごい。ブログやツィッターの記事から、投稿者のプロフィールを推定することは当たり前になりつつある。 さらに、性別、年齢、行動範囲の推定など、研究が進み、実用レベルまであと少しだ。さらに、ブログのような長めの記事だと、 さまざまな情報を組み合わせて著者を推定することも可能になりつつある。

 インターネットで情報を発信する際には、いま一度、こうしたことを考えてみよう。 (HY)

 

1241号 (5月12日発行)掲載

 「悪気があるわけではないから」という言葉がある。この言葉は、意図が善意なのかどうかで、結果を評価する言葉だ。しかし、残念ながら結果の良し悪しは、意図とは別の問題である。確かに、人に危害を加える意図の存在は全体に弊害をもたらすことが多そうだ。

 しかし、必ずしも悪意は結果を悪くするとは限らない。例えば、自己利益=エゴの追求が常に結果を悪くするとは限らない。「自己利益の追求が結果として全体の繁栄をもたらす」というのは、自由競争市場を擁護する「レッセフェール」と言われる標語である。この標語の誤りを指摘する経済学者は多いが、市場における自己利益の追求を完全に否定する経済学者も少ない。

 大震災後の「自粛」のほとんどは、善意によるものだろう。しかし、一方では自粛は経済活動を停滞させ、復興を遅らせるという議論がある。

 ミクロ(個々)の視点では「正しい」行為が、マクロ(全体)の世界のメカニズムを通じて、個々の人々に悪い結果をもたらすことがある。「合成の誤ごびゅう謬」といわれる現象である。例えば、人々が消費を控えて貯蓄に励むことが、結果として社会全体の消費を抑制して、ひいては人々の収入を減らしてしまうというようなことが指摘される。

 善意が常に結果を良くするのであれば、行為を評価することは難しくないかもしれない。しかし、社会においては、善意は結果の良し悪しを必ずしも意味しない。全体にもたらす影響の冷静かつ緻密な評価が必要なのである。そこに「科学」の出番がある。 (N)