
第794号 Jan.16,1996
昨年の暮れに、学部四年生六人に集まってもらい、学部教育についての座談会を行った。新カリキュラムへの移行が一応完了し、必要があれば新制度を手直しすることも考えなければならない。今、学生が学部教育に何を期待し、学部教育の現状をどう判断しているのか、生の学生の声をぶつけてもらおうと考えて行った試みである。本音で語ってもらうために匿名での公表を条件とした▼一年生で一番最初に聞いた授業に幻滅して授業への足が遠退いていった。四年間でまともに大講義に出席したのは十回ぐらい(逆に、欠席したのが十回という学生もいたが)。語学の授業レヴェルは高校生以下。教員にとっては、改めて面と向かっていわれるとショッキングな発言もあった▼学生が「面白い」と評価するのは、アクチュアルな問題を扱い、具体的な現実と理論とを架橋し、教員の熱意あふれる講義である。声の大きさや聞き取り易さといったテクニカルな要素も重要だ。因みに早稲田の良さは、自由な雰囲気と、様々な人間との出会いの機会の豊かさにあるというのが学生の一致した意見だった▼ただし、教員が学生のニーズに迎合する必要はないという発言も学生から出た。学生の自由を認め、学生の声を聞くと同時に、教員の側でこれだけは譲れない一線を示す必要性も高い▼座談会後、お互いあまり相手のことを知らないんだなという感じが残った。学生と教員の間にもっと意思疎通の機会があってしかるべきなのだろう▼この座談会が掲載される法学部報は三月刊行、乞う御期待。
(源)
第793号 Jan.9,1996
二年前、妻が息子(当時五才)をつれて一年間ドイツに留学した。当初息子は大学の託児所にあずけるつもりだったが、年齢制限のため入ることができず、やむなく近くの保育所をさがすことになったが、その地区には保育所はないとのこと。それでも運よく、夕方まで預かってくれる幼稚園がみつかって、ひと安心▼ところが、その幼稚園の教育方針がわたしたちが想像していたのとはかなり違っていて、正直言っておどろいた。いうなれば、放し飼いなのである▼息子はそのまえ一年間、日本の保育所に通わせていたが、そこではお絵描きの時間や、歌の時間、運動の時間など、集団の規律をやしなうさまざまな仕組みができあがっていた▼それにくらべ、このドイツの幼稚園は、子供にいっさい干渉しない。いちおう縦割りでクラスが決められているが、そこではなにをするのもまったく自由である。積み木であそぼうが、パズルをしようが、好きなことをしてよい。先生は、部屋のすみで紙細工などをしていて、興味のある子がそばで一緒につくっている。ようするに、一斉になにかひとつのことをしようという発想が、まったくないのだ。放任主義といってしまえばそれまでだが、しかしこの自由には、つねに自己決定の強制という代償が払われているのである▼彼我の教育方針の決定的な違いをみせつけられて、子供たちのその後の成長過程におけるメンタリティーのへだたりのにおもいをはせるにつけ、自分ははたして本当に外国人を理解できるのかと、いささか不安になる今日このごろである。
(露斉)
第792号 Nov.5,1996
今年の八月に中国の大連にある大連理工大学を訪問した。中国建文化協会のもとに建設環境心理学研究会という学会が発足するので、その成立儀式に、日本の人間・環境学会を代表して出席した▼ホテルのキヨスクで買った大連商貿遊交通図によると、大連は遼東半島の南端の都市で、六つの区、群クラスの三つの市、そして一つの群からなるとある。人口は五百万、うち三百万が市内に住むという。私は大連市の最も開発された部分を経験したようだ▼大連は北の上海といわれ、経済技術開発建成区も指定され、市街地は区画整理され再開発されている。市内は建設ラッシュでいくつもの高層ビルが建設中であった。日没後は、中山ロータリーのロシア風や日本的洋風など保全された往時のホテルや銀行の建物、電視台等の現代的な建築がライト・アップされていた。ここは日清、日露の歴史の街なのである。上野駅を模した大連駅は鉄道であるが、路面電車、バス、トロリーバス、四輪・三輪自動車、荷車を引いた馬もみた。起伏があるので自転車はほとんど見かけなかった。オープンスペースには芝生が植えられ、道路は拡張され自動車が増えた。しかし、信号や道路標識や表示など、交通インフラはまだ整備されていない▼この街は、建築環境心理学にふさわしい。開発と保全、いずれ環境問題も生じよう。学会では、私が早稲田出身と知って、建築学科の尾島先生はお元気かと訊ねられた。大連理工大で日本語を教えている神谷純子先生が通訳してくれた。彼女は私と同じ文学部出身である。
(佐古)
第791号 Dec.28,1996
(実録)
第790号 Dec.21,1996
(K・T)
第789号 Dec.14,1996
古い資料の中から、たまたま川口大三郎君の追悼集を見つけた。川口君事件とは、1972年11月8日、文学部構内において一文2年生の同君がリンチ殺害されるという、ショッキングな出来事であった。75年の4月に入学した愚生にとっても事件の陰惨な印象は記憶に残っている。初めて追悼集を通読し、事の顛末を知り得た▼遺稿中に「入学当時の日記」が収められる。その4月3日(71年)の条に、「1時間目・国語学 松野先生 写本(本モノ)の新古今集などを見た」とある。松野先生とは、平安末期和歌研究の権威者で、現在国文学研究資料館教授の松野陽一氏であろう。国語学は国語の誤り。新入生に貴重な写本を示しながら講義する35歳の松野氏の姿が彷彿とする▼研究者として愚生が心より尊敬する松野陽一氏と川口大三郎君とが結びつくことに驚きを覚える一方で、早稲田の歴史を思った。戸山キャンパス内を闊歩する学生諸君は、誰一人として川口君事件など知らないことだろう▼ところで創立125周年を記念する企画がそろそろ検討されていると仄聞する。節目として、125という数字にこだわるのがのは、老侯の「人間125歳寿命説」にちなんだ発想か。大隈講堂の時計台の高さも、確か125尺のはず、だったらお止しなさい。縁起でもありません。2007年は早稲田の命脈が、いよいよ尽きる年ということになる。もっとも、「早稲田大学の死と再生」と銘打って、カッコよく切り抜ける手が、あるにはあるのだが…。
(河下)
第788号 Dec.7,1996
山畑の開墾もまたこの夏の吾が「業績」か丸の芽(現在の“都の西北”、奥多摩町に移り住んで三年のこの春、我が家の八十七坪に隣接して四百坪の土地を借りた。三十年の賃貸料が百五十万、専門家に頼んだボサ刈りと、石除け・道づくり・根っこ掘りとに二十万かかり、『カンディード』の結びの「私たちはやはり自分の畑を耕した方がいい」という状況にこぎつけた▼さて、生まれて初めてを手にして、土地の言葉でカッチロをやってみて、私は何を学んだか。この大学に就職して二十五年目のことし、専門の英文学の足腰はすでに十分鍛えられたと自負しているが、これからいよいよ本格的に著作をものしていく長丁場を迎えて、当然フィジカルな足腰(!)も整えておかねばならない。何ごとも自分でやってみればわかるけれど、ちょっと落葉を掻き集めるだけでもなかな重労働である。健康な思想と堆肥づくりは並存・共鳴する。しかも、好きな山に登るいとまもないほど、にわか農夫の仕事は楽しくて仕方がないのである▼さいわい、老妻(と言っても三十歳になったばかり)と二人ぐらしで、もう何年もは使わず、自家製の梅干し・パン・果実酒をこよなく愛するヴェヂテリアンの私は、健康には自信がある。私はこの頃やっと学問の本当の味を知りはじめたような気がする。中国の諺に「(と)の性は老いてし」とあるそうだが、そういう人間になりたいと願っている。(くさぐさの野菊家ぢゅう活けたればいつの間にやら山翁野媼
(西海子)
第786号 Oct.17,1996
最近、全学審議会の「自己点検・自己評価の実施に関する考え方、実施のあり方に関する提言」なる答申が出された。関係各位のご努力には敬意を表するとして、筆者が関心をもったのは、「自己評価」という言葉の定義である▼例えば裁判という概念を定義するとき、T自己裁判は裁判ではないUということが言われる。平たく言えば、検察官や警察官が同時に裁判官を兼ねるような裁判は裁判ではないということである。同様のことは、「自己評価」についてもいえないだろうか▼評価とは他者の評価でしかあり得ず、自分で自分のことを「評価」してもそれは評価に値しない。本答申での「自己評価」も、結局は早稲田大学内での構成員相互間での他者評価ということになるはずである。例えば学生が教師の授業を評価することもその一例をなす。この面での評価には随分いい加減な評価もあるが、ともかく評価は技術的に可能である。むずかしいのは、研究についての評価である。答申では学術年鑑の活用が考えられるとしている。確かにこれによって各人の研究活動の事実(著書、論文の本数とか題目等)を認識することはできるが、そうした事実についての内容的評価となると、学内教員相互間でそれを行うことは不可能ではないだろうか。国内外の同業者による他者的評価でしかあり得ず、それを年鑑に併せ自己申告するしかないだろう。▼もっともそうしたやり方は、よその国ならいざしらず、伝統的な日本人の美的感覚からは随分外れることになるが。
(H.K.)
(MI)
第784号 Oct.3, 1996
ある先輩の話をしよう――。本学法学部から文研の社会学に入り、さらにパリの高等社会科学研究院で民族学を学んだ彼は、現在パリの某会議所事務局長。「ファッションの都」に二十五年も住んでいるにしては、服のセンスが気がかりだが(!)、その論理力と迫力抜群の弁舌は、パリ在住の日本人はもとより、うるさ型のフランス人ですら、一目も二目も置かざるをえない▼経営手腕もまた非凡なものがあり、赤字続きだった会議所の会計を、事務局長就任一年たらずで黒字にし、彼の地の日本研究者に奨学金を出すまでになっている。さらに驚くべきことに、多忙を極める勤務の合間を縫って、三年前、かつてコレージュ・ド・フランスから奨学金を得て調査した、南インドの農業技術に関する詳細きわまる博士論文をまとめ、研究院の教授たちの度肝を抜いているのだ。それもそのはず、二巻からなるその分量、実に二千頁。邦訳すれば、四百字詰め原稿用紙でゆうに一万枚は越える▼外国人がこれだけのものを書いたと、専門家の間で称賛ばかりでなく、埒もない嫉妬すら買ったが、すでに著書も数点出している実力者であってみれば、むろんそんなことは馬耳東風。ヨーロッパ統合なにほどのことならんとのたまいながら、十年かけてようやく理髪店に習得させたという独特の「ブラシ頭」を掻きながら、今日もまたパリの町を闊歩する。間違いなく、早稲田の男がここにいる。
(不動)
(怠け者)
(KT)