
えび茶ゾーンの原稿は、教員が交替で執筆しています。
二十世紀は歴史の中へ沈んでった。もうじき使われだす「二十世紀的」という言葉は、どんな意味なのか。あの百年が二度の大戦と冷戦に象徴される戦争の世紀だったと見るなら、二十世紀的なものとは、暴力的な殺し合いを容認する野蛮な精神かもしれない。二十一世紀に生きる我々が、戦争を過去のものと捉えられるようになればの話だが▼二十世紀最後の歳の暮れ、弱い人間を極限まで追い詰める戦争の姿を描く小品集『愛は生死を越えて』(暁印書館)を読んだ。捕虜になっても、教え込まれた「生きて虜囚の辱めを受けず」という戦陣訓に縛られる太平洋戦争下の若い日本人。身ごもる妻を思い、自分が生きていると伝えたいが、捕虜になったと本国に知れれば妻子がつま弾きにされると苦悩する。そしてまた、傷ついた日本兵を介護する現地の人々の優しさに打たれる▼著者は、貧農への優しさに充ちた『怒りは怨念の炎と燃えて』などの作品をもつ新幕昇。実は、社会科学部元学部長で、農業経済学の大家でもある本学名誉教授・小林茂その人である。世紀の転換点に、学徒兵としての体験をもつ彼が戦争を扱う背景には、戦争が人間の心に残した傷跡を、消え去る前に拾い上げ、伝えねばならないという、焦りにも似た気持ちがある▼世の中では、日本り直そうと画策する輩が暗躍し、平和憲法を壊さなければならないという叫びが聞こえる。戦争の世紀は終わったのか、それとも二十一世紀にも続くのか。それを決めるのは、我々自身である。
(H)
スペインのカタルニア州を車で旅して石造りの重厚なレストランに入る。そこで野趣豊かなカタルニアの田舎料理を味わう。旨さは格別だが、それにはこの建物の空間性が加担している。殆どが伝統的な石造りの民家マジアを改修したものである。ミロの著名な絵画『農園』はムンルッチにある彼の父親の生活を描いたものだ。あの絵の主題を想起していただきたい▼現在も農村部や郊外の集落に日常の住居として役割を果たしているものもあるが廃墟となって放置されているものも少なくない。そのため不動産投機の対象として切り売りされており、カタルニアの文化的な問題ともなっている▼州都バルセロナにあるスペイン日本学術文化交流協会はその修復再生を通じて、自国の文化を他国の人々に知ってもらおうと日本の建築家に打診してきた。そういう訳で依頼がこちらにあった。乾式の素朴な組積造の外観であるが、合理的・経済的で多様なスケールの内部空間を持つ建築的魅力に惹かれて引き受けることにした。地中海に面したラメッジャ近傍の廃墟を対象と定めた。環境エネルギーに依拠した石造のエコハウスとなる。研究費獲得が急務である。協会、バルセロナ建築大学、カタルニア州政府と連携を計り、早稲田の建築デザインや、環境や情報といった諸分野の叡智を土台とした日本とスペインの文化交流・大学・学生間交流の早稲田ブランチの基地として活用できればと構想している。早稲田大学スペイン・ハウス、カーザ・ワセダである。
(Ich)
テレビで屋久島の原生林を守った若者のドキュメンタリーを観た。こんな人たちを観ていると、たまらなく嬉しくなる。まだ日本も捨てたものではないと思う▼高度成長下の昭和四〇年代、過疎化の進む屋久島で経済に活気をもたらした森林の伐採に反対するということが、どんなに困難で勇気のいることだったろうか。事実、彼らの主張は無視され、地元の人々も木材の伐採をやめようとしなかった。縄文杉を守ることに熱心な人々も、その周辺の森を守ることへの関心は薄かった▼当時、日本では多くの人々が豊かな生活を目指して懸命に働き、自然保護が大事だと言いながらも、経済成長に伴う自然の喪失には驚くほど鈍感であった。お金さえあれば何とかなるというのが、当時の社会通念だった▼屋久島では森林の八割が伐採され、台風の災禍に見舞われるまでは、森林の果たしてきた役割を無視し続けた。森を守るためには一本の縄文杉を切っても構わないという島の若者の声に人々が注目し、政治家が原生林を視察するに至って、ようやく伐採が禁止された▼今でこそ、若者たちの主張の正しかったことが分かるが、その時代に生きている者が社会通念から抜け出ることは難しい。それに異議を唱えるには、確固とした価値理念がなければならない▼現在、経済のグローバル化が進展する中で、種々の対応策が講じられている。アメリカをモデルにした市場主義的対策がいわば社会通念として日本を席捲しているが、それに対しても冷静な判断を怠ってはならな。
(T)
このところ、「声」にこだわって、授業をしいる。できるだけ機会を作って、学生さんいろんな「声」を実際に聴いてもらい、自身の中からも声を出して応えてもらおうという趣向である▼映画や芝居のビデオ、朗読テープなどを多用する。先日は、百年前のパリ万国博覧会の折に渡欧した、川上音二郎一座のオッペケペー節を聴いてもらった。イギリスのグラモフォンというレコード会社で吹き込んだもので、長い間お蔵入りしていたのを、発掘した人がいて、九七年に東芝EMIから『甦るオッペケペー』というタイトルでCD化されている▼百年前の日本人の声――というだけで、私も学生さんもドキドキしながら聴いたが、これが思いのほか洒脱で、軽くて、明るいニヒリズムのようなものが漂っている。ことに「オッペケペッポーペッポッポー」の囃子ことばが、何とも言えずに粋だった▼人の声はうるさくなるほど大学に、街に、メディアに溢れている。にもかかわらず、肝心な局面で聞き返したり、言い直すことが多くなっていないか。音量レベルのことではなく、伝えよう・聞き取ろうという「気」のなせるわざのようにも思える▼政治的なメッセージだから大声で…という手法を百年前の音二郎一座はとっていない。ユーモアとキュートの入り混じった素敵な声が、しかし芯のところは「本気(マジ)」で語りかけてくる。百年後のわたしたちが、ザーザーというノイズをくぐって聞けたのは、彼らから何かつかもうとして聞いたからにちがいない。
(K・K)
「日本の教育はいま、抜本的な改革を迫られている」として、教育改革の緊急性を一斉に取り上げている。なかには、教育基本法や学校教育法まで変えようとする動きも出ている▼「教育」という場合、多くは"学校教育"がイメージされてきた。そして今、その教育が手に余る"荒廃"に達しているとの指摘を受けて、制度の改革によって、窮状を打開しようとの動きである▼「人間性豊かな日本人を育てる」を軸とした現有の「基本法」自体に、なんら欠陥があるわけではないのだが――。確かに、現状を見る限り、学校教育がその機能を十分に発揮し得てきたとは言い難いのであろう▼デューイは、「学校の本質は、社会における進歩の役割を果たすところにある」と強調した。学校は、既成社会への順応・適応を保持しつつ、常に新しい社会秩序を創造する場所であることを期待されているものなのである▼学校教育が本来の役割を果たすためには、家庭における教育が、確かな前提となり、社会教育がフォローする構図が、確立されていなければならないはずであった。にもかかわらず、それらがそれぞれに機能できない状況での"荒廃"であったのだが、そうだとする反論は、もっと強くなければならないのに――▼競争原理を優先させた社会が生み出した、価値観の多様性に順応しきれなかった、行政の無策と、教育への投資を渋った結果が、今日の破綻を招いた最大の原因であることを、猛省するところから出直す必要に迫られているのである。
(T)
ここ数年、わが家では年一回の海外旅行が慣行化している。長くても十日の異国の旅ではあるが、その後の日常生活に適度の刺激と潤いを与えてくれているように思われる▼夏期休暇中の出来事として、家族を含め気心の知れた親しい者七、八人から十人誘い合わせての移動は、少々賑々しくもあり、壮観でもある▼学会出張とは異なり、確固たる目的意識がある訳ではないが、目下のところは、一応ヨーロッパの歴史的文化的遺産の探訪が主なテーマということになっている。しかし、諸般の事情により日数に制約があるので、目的地は、日程上効率が良く、しかも無理のない場所の中から選定することにしている▼初期は何から何まで素人仕立てという、極めて素朴なスタイルで実施に踏み切ったので、時としてアクシデントにも見舞われたり、言語・習慣の違いから来る混乱もあった。それも今となっては得難い体験、懐かしい思い出となって蘇ってくるのも、また嬉しい。昨年・今年は思い切って大手旅行会社の厳選されたと思しきおすすめツアーに素直に便乗してみた。以前のように、常に気張る必要もなく、多少の制約・物足りなさを意に介さなければ、その時々の楽しさ、喜びを堪能するゆとりも得られ、結果として大いに満足している▼現地の素晴らしい景色、由緒ある建造物、著名な美術館や劇場など、どれをとっても歴史が今に結びついて息づいているように思われる▼「足腰の丈夫なうちに海外へ!」来年の夏を私は今から楽しみにしている。旅は、行き交う人も含めて、大勢で楽しむものともいわれているから…。
(M)
(茶話)
(MT)
(K)
(K)
(H)
平成九年十二月の京都議定書で、新規植林や再植林などの吸収源活動が数値目標の達成のための温暖化対策として認められた。本年五月のIPCC(気候変動に関する政府間パネル)特別報告書『土地利用、土地利用変化と林業』では京都議定書を受けて森林の吸収量評価の科学的根拠が書き込まれている▼さて、温暖化低減対策の第一は二酸化炭素などの温室効果ガスの排出規制である。第二は森林の二酸化炭素の固定及び貯留が重要である。ところで、この大気中の二酸化炭素の低減に夢のような生物装置が検討されている▼「光合成が活発な緑藻類をタンク培養する。光は自然の太陽エネルギー、二酸化炭素は大気をタンクに通す。緑藻類が増殖するとタンクは飽和して反応が止まるから、連続的に取り出す。こうして、大気中の二酸化炭素は継続的に吸収され、濃度上昇を抑制することができる。生物の機能を最大限に利用し、また太陽エネルギーを利用する経済的な連続除去装置である」▼とある先生によると、この装置のさらなる利点は生産物が食糧になる可能性を秘めている、というのである▼ところが、取り出した生産物をどうするのか説明がない。海底深く沈める、あるいは固めて地中に埋めるのであろうか。本当に食糧にするのだろうか。もしそうだとしたら、分解・呼吸を経てまた大気へ二酸化炭素が出ていくではないか。この装置は一種の永久機関であり、装置を通して二酸化炭素が循環しているだけである▼人間活動からの排出物は排出元で制御する、環境問題の原点である。
(YM)
今年の夏は記録的な猛暑だったが我が家はその真っ只中で都内に引越しを敢行した。片道二時間の「痛勤」に別れを告げるためである。晴れて都民となって感じたことが幾つかあるので新鮮に映っているうちに記しておきたい▼さきの衆議院選挙で東京を筆頭とする都会と地方ではまるで対照的な投票結果が出たことは皆さんの記憶に新しいところ。その背景については評論家がもっともらしく分析し、各紙一斉に報じていた▼十八年ぶりに二十三区に戻り、生活をしてみてわかったことは地域共同体というよりは個人の集合体的様相が極めて強くなった、というところに集約される。すなわち、交通手段や生活形式をどう選択するかの「多様性」に満ち溢れているのが東京で、そのプラットホームに登れば誰もが主役になれるというわけである▼つい先月も地下鉄の路線が延長され、東西はもとより南北も至便になって通勤経路もパソコンソフトに教わらないと選ぶのに難儀するくらいの自由度がある時代となった。さらに、本学の百二十五周年にあたる二〇〇七年には明治通り下に十三号線が開通して渋谷=池袋間の混雑も緩和されようと報道されている▼閑話休題。引越しで最も神経を遣ったのは我が家の愛犬アーサー号のご機嫌である。七歳のこのレトリバーは湘南のはずれで生まれ過ごし、都会を知らない。家の中で飼っていたので完全に家族の一員なだけに、転居の影響をどう受けるか心配した▼家の片付けが始まるやさすがに大変なことが起こるのか、と食も細り、四十キログラム近くあった体重もわずかではあるが減じたかに見えた。だが、一週間も経たずして都会の変化ある散歩コースや窓の下を行き交う人・犬を眺めて悦に入ったようで元の巨躯に戻り、パクパクペットフードを平らげている▼ときあたかも五年に一度の国勢調査である。引越したことがよかったか、は一概に評価できないが家族構成を聴かれると上記のような余計なことまで応えるペット愛好家が増えていることは確かなようだ。
(かじ)
夏休みの夕刻、車でバブル期にリゾート・マンションが多数建設された高原を通過した。バブル崩壊後、主を失った部屋や売れ残った部屋が多数出現して、窓から灯りが洩れている部屋がほとんどない。人の気配を感じさせない廃墟のようなマンション群。バブルが残した惨状というべきであろう▼約十年前、日本中がまるで魔物にでも取り憑かれたような感じで、多くの人が実体のない財テクや投機に走った。本来石橋を叩いて渡る慎重さが必要な銀行ですら目先の利益に踊らされて危険な貸出競争に狂奔した▼以前ある大銀行の支店長と会食した折に「冷静に考えれば変だとわかるのに、なぜあんな馬鹿げたことをしたのですか?」と尋ねたことがある。彼は「あの時は勢いに抗することができませんでした」と自嘲気味に語った▼学生時代のベストセラーにD.ハルバースタムの『ベスト&ブライテスト』がある。ケネディ、ジョンソン両政権に集った最良かつ最優秀なアメリカの知的エリート達が、なぜあの愚かしく不幸なベトナム戦争の泥沼にアメリカを巻き込んでいったのかを克明に描いた名著だ▼バブルの共同正犯たる大蔵省、日銀、大銀行…。そこには日本のベスト&ブライテストが多数参集していた。その彼らがなぜ土地神話等のデーモンに取り憑かれて、この国を長らく回復不能な困難に追い込んでいったのか? 彼らを育てた教育機関の責任を含めて、ハルバースタムがやったと同様な検証作業をすべき時が到来しているのではあるまいか。
(S)
試験問題に「遠隔授業とは何か」という質問を出したことがある。解答者五十人中約三分の一の受験生が「遠隔授業」と「遠隔地授業」を混乱していた。「遠隔授業」というのは、インターネットやISDN回線、衛星回線を用い、リアルタイムで双方向の授業、いわゆるディスタンス・ラーニングのことである。「遠隔地授業」は離島や僻地に出向いて行う授業のことである。「地」が付くか付かないかでこのような違いがあるが、『遠隔授業』はまだ当たり前でなく、新規なものだということを示している▼早稲田では、遠隔授業を二〇〇〇年度から、エディンバラ大学、エッセクス大学、高麗大学と開始した。後期にはハワイ大学なども参加する予定である。この授業を計画し、参加してみると、学習コミュニティーができあがることを体験した。教員、学部生、大学院生が御互いに助け合いながら、やや難解な英語の授業を共有していくという体験であった▼昔の恩師が好意から、遠隔授業を開催してくれたが、まさに時空を越えて、懐かしい『知』の共有の体験となった。ますます円熟した学問の立場が貫かれており、恩師の歳になる頃は自分もあのようなことが言えるようになりたいとさえ思った。早稲田大学では、今、このような授業を受講することが可能になっている。本当に素晴らしい大学ではないか?▼恩師に年賀状を送らないので、説教がましいことは言えた義理ではないが、やはり恩師、母校というものは、ありがたいものである。若き学生諸君も将来同じ思いに駆られることもあるだろう。
(MN)