とっておきの話 

アメリカ人は作られる

教育・総合科学学術院 教授
吉田 文

 もう、だいぶ前のことであるが、鮮明な記憶と印象は今もって変わらない。当時、4歳になる娘を連れてアメリカの大学に子連れ単身赴任した。保育園、幼稚園、小学校1年生と、2年間にわたりさまざまな教育機関を通過した娘の母親としての経験を総括すれば、「アメリカ人は作られる」である。

 こうした小さなころから子どもたちは人前に立って何かを説明し、それに対して他の子どもは聞き役として質問するという場面が、どこでも設定されていた。たとえば、幼稚園ではアルファベットを毎日1文字覚えていったが、担当の子どもは、その文字で始まる何かをもってきて、他の子どもの前に立って説明するのである。「このAppleはね。昨日、お母さんとスーパーで買ったんだ。これは赤いけど黄色いのもあったよ」という話に、「ねえねえ、それおいしかった?」、「どこのスーパーで買ったの?」、「僕は明日、Bananaを持ってこようっと」と続く会話はたわいない。

 同様の場面設定は、保育園や小学校1年生でもあった。これまで見たことのなかった光景の意味や意義について、娘の学校の教員や滞在していた大学の同僚に問いかけた。皆、一様になぜそのようなことを聞くのかという顔をして、答えあぐねていた。それほど当たり前のことなのだろう。

 私は、幼稚園での子どもたちの姿に、講義の際によく発言する大学生を重ねていた。アメリカの学生は積極的だ、それに引き換え日本の学生はと、多くの日本人が言う。しかし、大学生になって急に発言するわけでもなく、生まれついて以来、弁が立つわけでもない。娘が経験したような、小さいころから人前で自分の意見を述べるといった経験の蓄積こそが、発言するアメリカ人を作るに違いないとつくづく思ったものだ。

 日本にもどって小学校1年生を始めた娘の当初の戸惑いは、半年ほどで消えた。日本人も作られることを再確認した次第である。



太陽が昇り、風景に「色」がついてゆく
▲アメリカでの授業の一コマ

市場にはフレッシュな野菜果物が並ぶ
▲留学中の吉田教授

 
1258号 2011年10月20日掲載