記憶の“しおり”
〜震災ボランティアで感じたこと〜

法学部2年 田中 光太郎

 ただ漠然と被災地のために何かできないかという思いから、8月末、WAVOC主催の「0泊3日民家の田んぼの草刈りボランティア」に参加した。がれきの山となった街を初めて見たときは、“廃墟だ”という印象を受けてしまった。しかし、よく目を凝らしてみると、見るもの全ての中に、半年前の日常と、震災後の今とを見つけだすことができた。たとえば「15:03で止まった時計」は、それまで間違いなく人々の日常を刻んできたものだが、津波にのまれたであろう時間で止まっている。また、「道の駅高田松原」と書かれたぽつんと建つカラフルな建物では、つい半年前までここを利用していた多くの人がいた、と思うとやるせない気持ちになった。

 現地での作業は、田んぼの草刈り、がれき拾いだった。私は子どもが使っていたような弁当箱を拾った。写真を拾った班員もいた。その中には、おじさんが部屋の中でビールを飲んでいる姿があった。震災前の日常の一コマである。夏草に支配された沼のような場所に、ここで暮らしていた人の身の回りのものがあるということは、やはり衝撃的だった。その人が今無事かも、何も分からないことがもどかしかった。そして、自分にできることは、それらを拾い続け、深く根を張った草に思いの丈をぶつけ、刈り続けることだけだった。

 日ごろ私は写団シャレードの一員として写真を撮っている。普段から写真を撮っているためか、班員が拾ったおじさんの写真が強く心に残っている。本当に日常の、何気ないワンシーンだった。でも、もしかしたら唯一残ったその家族の「記録」だったかもしれない。そう思うと、写真と真剣に向き合う者としての自分に責任を感じた。私は「記憶」というものは、悲しいことに絶対に薄れるものだと思うが、「記録」は存在する限り、「記憶」を呼び起こすいわば“しおり”となるものなのだと感じ始めたからだ。また、この世にある風景の一つひとつを大切に、シャッターを切りたいと強く考えるようになった。日常を大切にしつつ、今自分にできる震災復興を、可能な限りやりたいと考えている。

 


「 世界市」ブース出店の様子
▲各地からボランティアが集結
ミーティング風景
▲蒸し暑さの中、がれき撤去に励む



 
1255号 2011年9月29日掲載