早稲田に歴史あり

〜第8回〜
『紺碧の空』と『早稲田の栄光』

文学学術院准教授
真辺 将之


 早稲田の歴史は近代日本のスポーツ発展の歴史でもある。戦後ほどない時期までプロ野球をしのぐ人気を誇った野球は言うまでもないが、サッカーでも、例えば1936年のベルリン五輪の日本代表の半分が早稲田の選手であったし、ラグビー早慶・早明戦は現在でもトップリーグを凌ぐ集客力を誇る。

 早稲田スポーツの発展は、応援文化の発展にもつながった。日本における組織的スポーツ応援の淵源は、1905年秋の早慶野球戦、早稲田応援団がエンジの「WU」旗を振ったことに始まる。ただしアップテンポの応援歌使用は1927年の慶應義塾の『若き血』に先を越され、球場の雰囲気に押された早稲田は慶應になかなか勝てない時期が続く。これを打開すべく、早稲田は1931年春、『紺碧の空』を応援歌として歌い始める。以降今日まで80年間、学生が肩を組み『紺碧の空』を歌う光景は受け継がれてきた。なおこの曲を作曲した古関裕而は当時無名であったが、『紺碧の空』でその名を一躍知られることとなり、のちに読売ジャイアンツの『闘魂こめて』や阪神タイガースの『六甲おろし』を作曲する大作曲家となる。

 早稲田の得点時に歌う『紺碧の空』に対し、早慶戦に勝利した際に肩を組んで歌う応援歌に『早稲田の栄光』がある。また最近では卒業式の最後に歌われる歌にもなった。『早稲田の栄光』は昭和27年、創立70周年に際して作成された。創立60周年が戦争のため祝えなかったこともあり、戦後の新しい時代にふさわしい、学生が希望をもって口ずさめるカレッジソングを、というのがその趣旨であった。

 この2つの応援歌を記念する碑が、大隈庭園付近に佇んでいる。しかしこれらの石碑を訪れる前に、まずは球場で、二つの応援歌を友だちと一緒に、大声で歌ってほしい。そしてそのあとで、これら二つの石碑を前に、その時のことを思い出してみてほしい。きっと、「早稲田に来てよかった」と思えることであろう。

 

『紺碧の空』歌碑(大隈会館手前)
▲『紺碧の空』歌碑(大隈会館手前)

『早稲田の栄光』歌碑(大隈小講堂脇)
▲『早稲田の栄光』歌碑(大隈小講堂脇)


1252号 2011年7月28日掲載